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2015年2月14日土曜日

仁徳天皇陵古墳

堺の仁徳天皇陵古墳に行ってきました。実は、先月の29日の話です。次男が休暇を取り、車で連れていってくれました。メンバーはワイフとの3人組。いつもと違い1人欠けている。昼に自宅を出発する。

 この時の旅行写真は沢山撮ったのだが、記事に纏めるのが面倒でそのまま放置していた。しかし、旅行記は早めに書かないと忘れてしまうし、写真は処理しないと溜る一方である。忘備録としても記事にする必要があるし、ということで早急に記事化しました。それに百舌鳥・古市古墳群は相当に見ごたえがあったのである。 

と、またどうでも良いことを書いてから、記事を始める。

湾岸線を走る。飽きもせず、車からの写真を撮りました。



 


仁徳天皇陵古墳のある大仙公園についたのは、午後1時過ぎでした。


広大な公園です。ウイークデイだったので、人は少なくて気持ちの良い公園散策でした。
案内図では、仁徳天皇陵古墳が右中央に示されている。

堺市観光部の発行したパンフの表紙です。

仁徳天皇陵古墳の航空写真が写っている。


これは実に立派なパンフで、1枚物だが、8つ折り16ページからなる。堺市は、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録を目指して広報活動を繰り広げているのである。

Wikipedia では、このように記述されている。


大仙陵古墳国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)

大阪府堺市にある古墳の集まりをいう。古市古墳群とともに、巨大な前方後円墳を擁する古墳群として知られる。4世紀末ないし5世紀初頭から6世紀後半頃に築造された古墳が分布する。

かつて100基以上の古墳があったとされるが、第二次大戦後に宅地開発が急速に進んだため、約半数近くの古墳が破壊され、現存するのはわずか50基に満たない。

とされる。それにしても、こんなに沢山の古墳が残されているとは知りませんでした。

現存するものは47基とされる。
  • 前方後円墳21基
  • 円墳20基
  • 方墳5基
  • 形態不明1基

大仙陵古墳仁徳天皇陵古墳と呼ばれているものである。 この古墳は、宮内庁直轄で立ち入り禁止である。だから堀の周りを巡るだけで、その全貌はよくわからない。観光客が入れないのでは、世界文化遺産認定は難しそうと思ってしまう私であった。

現存47基をリストアップするのは簡単である(コピペ)。つぎのようになっている。

最初の4古墳と国の史跡に指定されている古墳(太字)を知っていると、一応古墳ウォッチャーとしては合格みたいだね。私は、勿論不合格です。

名 称所在地墳形文化財指定墳丘長状態
大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)堺市堺区大仙町前方後円墳
486m
上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)堺市西区石津ヶ丘前方後円墳
360m
土師ニサンザイ古墳堺市北区百舌鳥西之町3丁前方後円墳
290m
御廟山古墳堺市北区百舌鳥本町1丁前方後円墳
186m
乳岡古墳堺市堺区石津町2丁前方後円墳国の史跡155m半壊
田出井山古墳(伝反正天皇陵)堺市堺区北三国ヶ丘町2丁前方後円墳148m
いたすけ古墳堺市北区百舌鳥本町3丁前方後円墳国の史跡146m
永山古墳堺市堺区東永山園前方後円墳104m
長塚古墳堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁前方後円墳国の史跡100m
丸保山古墳堺市堺区北丸保園前方後円墳国の史跡87m半壊
銭塚古墳堺市堺区東上野芝町2丁前方後円墳71m半壊
定の山古墳堺市北区百舌鳥梅町1丁前方後円墳69m整備
御廟表塚古墳堺市北区中百舌鳥町4丁前方後円墳67.5m半壊
竜佐山古墳堺市堺区大仙中町前方後円墳67m整備
収塚古墳堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁前方後円墳国の史跡65m半壊
孫太夫山古墳堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁前方後円墳56m整備
旗塚古墳堺市北区百舌鳥夕雲町3丁前方後円墳56m整備
文珠塚古墳堺市西区上野芝向ヶ丘町1丁前方後円墳国の史跡58m
菰山塚古墳堺市堺区南丸保園前方後円墳半壊
かぶと塚古墳堺市西区上野芝町6丁前方後円墳半壊
飛鳥山古墳堺市北区百舌鳥陵南町3丁前方後円墳半壊
樋の谷古墳堺市堺区大仙町半壊
塚廻古墳堺市堺区百舌鳥夕雲町1丁円墳国の史跡
大安寺山古墳堺市堺区大仙町円墳
茶山古墳堺市堺区大仙町円墳
源右衛門山古墳堺市堺区向陵西町4丁円墳
狐山古墳堺市堺区大仙中町円墳
鏡塚古墳堺市北区百舌鳥赤畑町2丁円墳半壊
グワショウ坊古墳堺市堺区百舌鳥夕雲町3丁円墳整備
七観音古墳堺市堺区旭ケ丘北町5丁円墳整備
経堂古墳堺市堺区南陵町円墳半壊
舞台塚古墳堺市中区土師町1丁円墳整備
善右ヱ門山古墳堺市北区百舌鳥本町3丁円墳半壊
坊主山古墳堺市北区百舌鳥赤畑町2丁円墳半壊
万代山古墳堺市北区百舌鳥赤畑町5丁円墳半壊
鎮守山塚古墳堺市北区百舌鳥赤畑町5丁円墳半壊
正楽寺山古墳堺市北区百舌鳥陵南町3丁円墳半壊
ドンチャン山2号墳堺市北区百舌鳥陵南町3丁円墳半壊
聖塚古墳堺市中区学園町円墳半壊
東上野芝町1号墳堺市堺区東上野芝町1丁円墳
東酒呑古墳堺市堺区旭ヶ丘南町3丁円墳半壊
西酒呑古墳堺市堺区旭ヶ丘南町2丁円墳半壊
鈴山古墳堺市堺区北三国ヶ丘町2丁方墳半壊
天王古墳堺市堺区北三国ヶ丘町3丁方墳半壊
銅亀山古墳堺市堺区大仙町方墳
寺山南山古墳堺市西区上野芝町1丁方墳半壊
檜塚古墳堺市堺区石津北町前方後円墳?


主要古墳の航空写真。


上石津ミサンザイ古墳
Kamiishizu Misanzai Kofun air.jpg
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)

土師ニサンザイ古墳
HazeNisanzaiKohun1.jpg
土師ニサンザイ古墳(前方部の北側より撮影)

田出井山古墳
田出井山古墳01.jpg

いたすけ古墳
Itasuke Kofun-20070103.jpg

Wikiで見つかる画像はこの位である。

大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)=仁徳天皇陵古墳 については、Wikiでは、こう書いてある。

大阪府堺市堺区大仙町にある前方後円墳である。
墳丘長は日本最大で、墓域面積は世界最大であるとされる。

中学校で習った、世界最大前方後円墳というのと何ら変わりのない説明ですね。もう少し詳しくかくと、

墳丘長486m、前方部の幅305mである日本最大の墳墓。5世紀の築造と考えられている。

くどいけど、古墳の規模の全体を書くとつぎのようになる。(堺市の公式サイトによる数値)
  • 古墳最大長:840メートル
  • 古墳最大幅:654メートル
  • 墳丘長:486メートル
  • 墳丘基底部の面積:103,410平方メートル
  • 後円部直径:249メートル
  • 後円部高さ:35.8メートル
  • 前方部幅:307メートル
  • 前方部長さ:237メートル
  • 前方部高さ:33.9メートル

大仙陵古墳のステレオ空中写真(1979年(昭和54年))

ところで、仁徳天皇のデータである。信憑性は、余りない。

仁徳天皇
第16代天皇
在位期間
仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日
先代応神天皇
次代履中天皇

陵所百舌鳥耳原中陵
異称大鷦鷯天皇
父親応神天皇
母親仲姫命
皇后磐之媛命
子女履中天皇
住吉仲皇子
反正天皇
允恭天皇
大草香皇子
草香幡梭姫皇女
皇居難波高津宮
 
 
このような画も残っている。
 
「東錦昼夜競 仁徳天皇」(部分) 楊洲周延画 明治19年(1886年) 
 
 脱線しだすとキリがないので、大仙公園の散策から始める。
 

公園内には、小古墳跡がいくつもあるのだが、その名は当然のごとく記憶にない。従って、公園内の写真で誤魔化す。









この古墳跡は、掲示板の写真を撮っていたので分かる。


ぐわしょう坊古墳である。






そうして歩いているうちに、堺市博物館に到着するのである。






ここには、このような甲の埴輪を模した銅像や、


 
 武野紹鴎の銅像


武野紹鴎(たけの じょうおう、文亀2年(1502年) - 弘治元年閏10月29日(1555年12月12日))は、堺の豪商(武具商あるいは皮革商)である茶人。千利休は、その門人になる。

ここは堺市茶室である。「伸庵」と「黄梅庵」のふたつの庵がある。



その庭園。

 
 さて、堺市博物館に入館し見学をしたのだが、その記事は次回に回す。

博物館をでると、このような石碑が見つかる。

大寒のみささぎ みどり失わず 啓輔



みささぎとは、陵のことをいう。啓輔は、誰か不明。

古墳の窪地に鷺(の仲間?)がいた。公園にいたお爺さんから、お弁当のおかずである魚を頂いていた。餌づけされていたのである。びっくりであった。


写真を撮って見ると、綺麗な鳥だとわかる。辮髪みたいな頭の羽根が特徴である。


仁徳天皇陵の拝所である。
 


博物館でゲットしたパンフを手に持つ爺さんである。仁徳天皇陵に来たという証拠写真である。


 
ここで、ボランティアのおじさんが資料を手に持って仁徳天皇陵の説明をしてくれるのである。
 
 

黄色いユニフォームを着た、親切なおじさんである。百舌鳥古墳群世界文化遺産登録を目指して、草の根で頑張っておられる。話術の巧みなおじさんで、解説の要所要所でクイズを挟む。

第一問世界三大墳墓は、この仁徳天皇陵とあと残り2つはどこだ?

ワイフが答えた。エジプトのクフ王のピラミッドと秦の始皇帝陵。 大正解

第二問:古墳は皆、東西南北の一定方向に並んで建造されているが、なぜだ?

私が答えた。海から見た方向で巨大に見えるように建造したから。 大正解

 第三問:古墳は5、6世紀を過ぎると全く作られなくなったが、なぜか?

息子が答えた。時の権力者の意向で、権威を示すため墳墓でなく、巨大仏像が作られるようになったから。 大正解

という訳で3問とも正解でした。おじさんは少なからず驚いていたようですが、何のことはない。種明かしは、我々は博物館で古墳群の説明を既に聞いていたからである。

英語版の仁徳天皇陵の説明板も作られている。 外国にも知名度アップの試みです。

仁徳陵の外周の堀。車で一周しました。かなりの距離である。周囲3㎞くらいだから、徒歩では、私の足では50分くらいかかる。

 
このような正面までの距離表示石柱がありました。
 

その後、駐車場へ戻るべく、公園内を散策。

仁徳天皇のお歌の石碑発見。

高き屋にのぼりて見れば 煙 ( けぶり ) 立つ民のかまどはにぎはひにけり

 
 
こんなお話です。ボランティアのおじさんが挿絵つきで説明してくれました。

竃の煙

大雀命《おおさざきのみこと》(仁徳天皇)は、難波の高津宮《たかつのみや》(大阪市中央区法円寺付近)にあって天下を治められました。
ある時天皇は高い山に登って、四方の国を見ておっしゃいました。
「国の中に、米を炊く煙が立っていない。民は皆貧しいのだ。よし。これから三年の間、租税と労役を免除せよ」
税収がまったく無くなったわけで、宮殿は破れ崩れて、いたる所で雨漏りがしましたが、まったく修理もなさいませんでした。木の箱で雨漏りを受けて、漏らない所に移って雨を避けられました。
後にふたたび山に登って四方の国を見ると、民の家々から炊事の煙が立ち上っていました。「よし、民は豊かになった」ようやく課税と労役を再会しました。こうして人民は富み栄え、労役に苦しむことがありませんでした。よってその御世を讃えて聖帝《ひじりのみかど せいてい》の世と言いました。

大仙公園のシンボルタワーである、平和塔。


堺大空襲などの死者、堺市の戦没者らの鎮魂を祈念して1971年に建設された高さ60mの塔である。こちらは、平和の鐘なんだろうね。


塔の前に広がる池。鴨が泳いでいた。

 
意味不明だが、トーテムポーロ像。


そして日本庭園に到着。ここは、65歳以上は無料なので、見学することにした。大人は、200円、小中校生は、100円。その代り、コイの餌を100円で買ったところ、当たりが出て2パック頂くことになった。 


趣のある良い庭園です。詳しくは、大仙公園 日本庭園 を参照。

ここでは、庭園の写真集をアップする。 











鯉は見当たらず、鴨ばかりが餌を取りに来る。


鯉は、こちらの池にかたまって居ました。時すでに遅しで、餌はなし。


 
かくして、日本庭園の見学もおわる。
 
この後、駐車場まで戻り、つぎの目的地たる堺市立文化館へと向かったのである。
今回は、これでおしまい。 次回は、博物館編。

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