そして、類まれな冒険心。人生を彼のように冒険で生ききる事ができれば、どんなに素晴らしいかと思う。
そう思うが、私は彼の人生をそれ程詳しく知っている訳ではない。私が知っているのは、エベレストに日本人初の登頂、北極点を犬ゾリで到破、そして冬のマッキンリーで遭難死したという事である。
今回植村直己冒険館を見学して、彼の人となりとかその冒険や業績を知り、素晴らしい漢だったのだと改めて思う。
植村直己の年譜
植村直己 (1941/2/12~1984/2/13頃)
Naomi Uemura生地:日本の兵庫県城崎郡日高町(現:豊岡市)、出身校:明治大学
没地:米国アラスカ州マッキンリーで消息不明となる、43才没
職業:登山家、冒険家
実績:単独北極点到達(1978)他
年譜
1941/02/12 現在の豊岡市で植村藤治郎・梅夫妻の農家に6人兄弟末っ子と
して生まる。
1959/03/31 兵庫県立豊岡高等学校卒業後、
豊岡市の新日本運輸株式会社(現在無)に就職する。
1960/04/01 明治大学農学部農産製造学科に入学後に
山岳部へ入部、本格的な登山を開始。
1964/03/31 明治大学卒業 就職試験に失敗する。
1964/05/02 1万屯級移民船「あるぜんちな丸」で横浜港を出港し、
ロサンゼルス到着後、苦労して職を得るが、不法就労で捕まる。
1965/04/23 明治大学ゴジュンバ・カン登頂隊に途中参加で登頂し、
その後モルジヌに戻るも、黄疸で一ヵ月の闘病生活。
1966/7月 フランスとイタリア国境のヨーロッパ最高峰モンブラン(4,807m)単独登頂。
1966/07/25 スイスとイタリア国境のマッターホルン(4,478m)単独登頂に成功。
1968/02/05 アンデス山脈中の南米大陸最高峰アコンカグア山(6,960m)単独登頂。
1970/08/30 最高峰エベレスト山(8,848m)登頂(松浦輝男氏と共に日本人初登頂)成功。
1970/08/30 北米大陸最高峰マッキンリー山(6,168m)登頂成功で、
世界初の五大陸最高峰(Five summits)登頂成功。
1971/01/01、フランスとイタリアの国境にあるヨーロッパ三大北壁の一つ
グランド・ジョラス(4,208m)北壁を完登。
1971/08/30 南極横断3000kmのため、日本を徒歩で縦断へ稚内を出発し、
1971/10/20 鹿児島に到着、日本列島3,000kmを徒歩で縦断に51日間で成功。
1976/07月 ロシアのコーカサス山脈の最高峰エルブルス山(5,642m)に登頂成功。
1978/03/05 北極点犬ゾリ単独行に出発し、
1978/04/29 犬ゾリ単独行で北極点到達(単独到達世界初)。
1978/08/22 犬ゾリ単独行でグリーンランド南端に到着、縦断成功。
1980/10月 日本冬期エベレスト登山隊隊長として日本を出発し、
1981/1/27 犠牲者が出て冬期エベレスト登頂計画を断念。
1982/08/13 アコンカグア山を冬期に共同で第2登を達成。
1982/01月 南極大陸3,000kmの南極点単独犬ぞり探検・走破と 南極最高峰ビンソン・マシフ(4,892m)の登頂のため日本を出発する。 1983/03月 フォークランド紛争勃発でアルゼンチン軍が協力を撤回、 南極計画を断念して帰国する。 1983/10月 野外学校設立を欲して勉強を兼ねてアメリカ の野外学校「ミネソタ・アウトワード・バウンド・スクール」に参加。 1984/02/12 マッキンリー山冬期単独登頂(世界初) 1984/02/13 飛行機との最後の連絡後、消.息不明となる。 1984/04/19、国民栄誉賞を受賞。 |
華々しい登山歴、冒険歴であるが、失敗歴も多い。失敗を克服して、つぎの冒険に向かう強靭な精神を持っている。しかも優しい心の持ち主でもある。得難い冒険家であった。
経歴を説明したので、冒険館の話に戻す。
Wikipediaでは、 冒険館は、博物館として分類されている。
植村直己冒険館 | |
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本館
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施設情報 | |
正式名称 | 植村直己冒険館 |
専門分野 | 植村直己の冒険記録 |
収蔵作品数 | 約300点 |
館長 | 小谷士郎(2012年4月現在) |
事業主体 | 豊岡市 |
管理運営 | 豊岡市 |
建物設計 | 栗生明 |
開館 | 1994年4月 |
所在地 | 〒669-5391 日本 兵庫県豊岡市日高町伊府785 |
位置 | 北緯35度27分41秒 東経134度43分55.8秒座標: 北緯35度27分41秒 東経134度43分55.8秒 |
アクセス | JR 山陰本線 江原駅(東口)より全但バス「稲葉」、「東河内」行きに乗り約10分、「冒険館前」下車 徒歩で3分。 |
ウェブサイト | 植村直己冒険館 |
プロジェクト:GLAM |
植村直己は、現在の豊岡市日高町の生まれで、それに因んで植村直己記念スポーツ公園内に建てられている。
植村直己冒険館(うえむらなおみぼうけんかん)
兵庫県豊岡市の植村直己記念スポーツ公園内にある博物館。
郷土出身の英雄、国民栄誉賞を受賞した世界的冒険家・植村直己の偉業顕彰を目的として1994年4月に開館。2003年1月には 新館が落成、全館リニューアルオープンした。遺族から寄贈された北極圏犬ゾリ単独行装備品を含む約300点の遺品や記念品、写真、映像などが展示されている。植村直己個人を紹介するとともに冒険における技術等を紹介している。
今年で設立20年になる。前回に説明したようにこの冒険館は変わった構造になっている。地中に隠れてしまっているのだ。 余部日帰りドライブ
引用する:
建築家栗生明が設計した冒険館本館は、構造物の大半が地中にあるユニークなデザインで、1996年度日本建築学会賞受賞、1998年の公共建築百選に選出されている。
入場料は、大人500円ですが、65歳以上250円で半額になる。有難い事だが、いつまでこの特権を使えるかは心もとない。
パンフ
入り口の壁に掲示してあったパネル。
館に入ってすぐのところに映像ホールがあり、そこで大画面で植村直己の生涯を映像により紹介している。つづいて展示室になる。
展示室では、単独北極点到達とグリーンランド縦断の冒険を紹介している。彼の愛用した装備品約200点が展示されている。その他色んな展示物があるが、飛び出す絵本風の装置があって、植村直己の冒険シーンが交代して飛び出してくるのが面白い。
展示室の壁に、グリーンランド(2011/7/28発行) から発行された 植村直己生誕70年記念の切手シートが展示されていた。 彼は、1978年にグリーンランド縦断に成功しているのだ。
体験コーナーでは、植村直己が撮影した北極圏の映像が写されており、犬ぞりの模型(実物かもしれん)と、テントが展示されている。テントの中へは入ることができる。入ってみたが、2重になっており、手を出す穴が縫い付けられてあった。
通路にある壁には、北極圏犬ゾリ単独行のときに、同行した犬たちとのエピソードや写真がパネルで説明されている。
屋外の展示場もあり、このような手作りの船の展示があった。
またクライミングウォールというのがあって、色のついた石を横に伝ってゆくのである。
馬鹿な爺さんがクライミングウォールをやっておる。すぐに着地して、移動距離ほぼ0。
植村直己は但馬の人である。
生前の笑顔の写真の数々。勇気づけられますね。
屋内展示には、このようなゴンドラの模型も展示されていた。
この方、神田道夫さんの冒険の一端を示すものです。 神田道夫
彼は、熱気球パイロットとして中軽量級長距離世界記録を達成したのを始め、同-高度世界記録、同-長距離世界記録、同-滞空時間世界記録などを樹立した。
2004年と2007年には熱気球による太平洋横断に挑戦したがいずれも成功しなかった。三度目の挑戦で行方不明となり、死亡したものとみられている。
彼もまた、冒険に生きた人生で悔いはなかったろう。もう無理だが、私もそのような人生を行きたかった。
植村直己の言葉。
そして、あきらめないことが往々にして死につながる。
マッキンリー冬季登頂の際に彼の書き残したノート類。
そして、登頂を果たしたのち、下山途中で氷雪の中に消えてゆく。
私もそのようにして消えていきたいと切に願う。
植村直己のマッキンリーに残る足跡。
今回は、これでおしまい。
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