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2015年6月21日日曜日

中山寺

思い出の神社仏閣巡りの3回目で、今回は特に思い出深い(実は忘れていた)中山寺である。ここは、安産・守護の中山さんとして有名で、息子3人全員の腹帯を頂き、長男を除いて初参りもこのお寺でさせて頂いた。私一家とも関わりの深いお寺である。 清荒神清澄寺  売布神社

阪急宝塚線で中山観音駅下車。以前は、中山駅でした。2013年12月21日に駅名を改称した。
ここも駅自体は大して変わっていないように思う。ただ以前も地下通路があったかどうかは憶えていない。



駅前からお寺につづく商店街。

ここを通過してすぐの所に大本山中山寺がある。その石碑。

その鳥瞰図がパネルになって、山門横に展示されている。現在五重塔が改修中である。

 
境内の案内図。
 


ここで、Wikipediaにより中山寺の基礎情報を確認する。

中山寺
Nakayamadera hondo01s5s1998.jpg
本堂
所在地兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
位置北緯34度49分18.0秒
東経135度22分3.6秒
座標: 北緯34度49分18.0秒 東経135度22分3.6秒
山号紫雲山
宗旨真言宗
宗派中山寺派
寺格大本山
本尊十一面観音(重要文化財)
開基伝・聖徳太子
正式名大本山 中山寺
別称中山観音
札所等西国三十三所24番
真言宗十八本山4番
摂津国八十八箇所69番(大師堂)
摂津国八十八箇所70番(納経所)
摂津国八十八箇所71番(奥の院)
摂津国三十三箇所1番
聖徳太子御遺跡26番(開山堂)
神仏霊場巡拝の道 第80番
近畿三十六不動尊霊場21番
川辺西国三十三箇所 1番
文化財木造十一面観音菩薩立像ほか(重要文化財)
本堂ほか(兵庫県文化財)
 


中山寺(なかやまでら)

兵庫県宝塚市にある寺院。
真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。本尊は十一面観音西国三十三所第24番札所
本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。
普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。
摂津国八十八ヶ所霊場会の本部も置かれてる。

由緒:

寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。「極楽中心仲山寺」と称されていた。古くは現在地の北の山腹にあった。
しかし、寿永の乱荒木村重の乱で兵火にあい、消滅したが、豊臣秀頼の命により、片桐且元の手になる諸堂が現在地に再建されている。
ということで、大変由緒ある大きなお寺である。中山寺派の大本山なので、当たり前であるが。

安産・守護の中山さんとしての由縁はこう説明されている。

安産祈願の霊場として皇室源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めた。
豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。

このような御威光があって、息子達も無事生まれたのである。

写真案内をする前に、ご本尊の十一面観世音菩薩の画像を紹介したい。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。


私としては、実際の仏様のお写真を撮りたいのだが、殆どの寺院では撮影禁止なので雑誌とかで発表されたものを2次使用するしかない。画質は悪いが、あるだけ幸運と思われる。

写真紹介を始める。

山門  



立派ですね。1646年、徳川家光の寄進により再建されたものである。両脇に2体の仁王像が立っているが、その前の柵には巡礼の安全を願って奉納された草鞋がたくさん吊るされている。

左にいる仁王様  その後の巨大草鞋に注目。


右側の仁王様  草鞋は、ペアでこそ役に立つ。

 
仁王像の後にいる漆ぬりの狛犬。
 
 
山門を抜けて参道を歩くと、その両脇にいくつものお寺が並んでいる。
 
宝蔵院
 


華蔵院

観音院

成就院

以上全て門扉が閉まっているのは、訪問時間が5時以降だったため。各寺院毎に、御祈祷の種類が異なっている。こんな所にも棲み分け現象が現れている。

参道に咲いていた紫陽花。梅雨時期の花ですが、見るたびに花の色が変わってくる。不思議な花ですね。


手水舎  えらくモダンになっております。

涅槃堂

鐘楼堂
 

寿老神勢至菩薩を祀るお堂。 これも門扉が閉められている。


癪なので、実物とは異なるが寿老神勢至菩薩の画像をアップしておく。

寿老人
勢至菩薩
 
 
 
大黒天千手観音を祀るお堂。 門扉が閉められていないが、金網が邪魔して良く見えぬ。この大黒様と観音様のお姿は周知なので、画像はアップしない。


お年を召された拝観者が多いのでしょう。エスカレーターやエレベーターが付いている。一瞬、
駅の構内かと思ってしまったのである。止まっていたため、私は石段を利用した。


五百羅漢堂  エスカレータ横にある。


拝観時間が過ぎて閉じられていたので、実は他所から画像を拝借した。(奈良の寺社観光ガイド)

その内部には、このように羅漢様がずらりと並んでいる。




塔婆の納め所で、お地蔵様が祀られている。


閻魔大王の額の掛かっている閻魔堂


堂の中に祀られている閻魔大王  
嘘をつくと舌を抜かれる。私のみならず、抜かれない人はいない。


本堂

本堂前


 
護摩堂

 

 
開山堂

本堂の裏手  周り階段がついているのだ。

五重塔の再建工事中です。


大願塔であるが、現在このような状態。

 
別のアングルから写してみた。
 
 

大願塔の横に建つ鎮守社鳥居。 寺院内神社ですね。



鎮守社


境内には、このような石碑や石灯篭も散見される。


子さずけ地蔵のお堂



子さずけ地蔵様

太子堂
 


 
中山寺の後方に中山という山があり、山麓は中山寺奥之院がある。時間も遅いので、行こうかどうか迷ったのだが、見切り発車でいくことに決めた。30分もあれば行けるだろうと思ったのだが、見込みは甘かったのである。往復で1時間40分もかかった。革靴だったので、上りの山道を歩くのが大変であった。


お寺の裏手が墓地になっている。

このように、墓地からの眺望も悪くはない。


奥の院への標識。ここがスタート地点。


川沿いの道を登っていく。川を渡ってしばらく坂道を登ると、


小さな公園にでる。
 
さらに民家横のコンクリ舗装の坂を登ると、結構本格的な登山道にでる。この山道も中山寺の敷地内である。道端には、お地蔵様の群が祀られている。


山道はこのような具合。


奥の院までは18丁あるのだが、区切りになる箇所で小さなお地蔵様が祀られている。


20分程あるくと、夫婦岩展望所まで約 0.3kmの標識に出会う。中山観音駅は、以前中山駅と呼ばれていたので、この標識は結構古いのである。


山道。 赤い布の掛けられた石のお地蔵様が見える。


奥の院まで1.2kmの標識。まだまだですね。


これが夫婦岩。 由緒はあるんだろうが、調べる気はない。

 

その裏手には、お地蔵様3体が祀られてある。


再び標識に遭遇。奥の院にはもうすぐである。



と思ったが、まだ17丁である。あと1丁歩かねばならぬ。



そして、ようやく最後の18丁の石碑を発見。



奥の院に到着。55分も山道を歩いたことになる。


随分と真新しい奥の院の本堂厄神明王が祀られている。
 

狛犬

本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれる。飲用禁止である。


厄神明王の石像。

お大師様の像。

弁財天を祀るお堂。

中国式の石灯籠。

院内神社 応神天皇御座とあるが、この小神社の名前は分からない。


狛犬

同じく小神社の鳥居。神社名は分からない。


その祠。

概観するとこのようになっている。


 
地元の方が参拝するコースになっているようで、お2人のご老人にあった。私より少し年上のようであったが、健脚でタッタと歩いておられた。やはり訓練が肝要である。

 
帰り道の景色。甲山が見えるではないか。


 
ここらの中山さん一帯は、宝塚自然休養林になっている。


夫婦岩展望所

展望所からの見晴らし。曇っているし、どうという事はない景色であるが、慣例により写真を撮る。



ようやく、中山寺に戻り着く。 時刻は、7時15分になった。いやあ、草臥れました。

中山会館横にある、灯篭には火が入ったようである。


その広場からの眺望。



夕暮れの境内。

大願塔
鐘楼堂
紫雲閣


帰宅後、寝る前に両足がつった。直ったが、かなり痛かったのだ。短時間とは言え、急にハードな山登りをするといけませんね、と反省する。

これでおしまい。

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