彼は学部からの院生ではないので、研究指導について指導教官との軋轢があり、悩まれているとメールで伺っていたのである。退職後勉強し直すという事だけでも大変なのに、彼は壮大なビジョンを持っていて、それを実現すべく研究三昧の日々を送っていたのだ。
メールでお話を伺うと、理解しがたい研究指導上のやり取りがあったようで、当の指導教官は、指導を放棄して他大学に移ってしまった。梯子を外されてしまった訳で、その上学生を通して彼を批判してきたらしい。それで、鬱状態だと伺っていた。
私も鬱状態だったので気になり、彼の現状を伺い、ついでに鳴門観光をして記事を書こうと思ったのである。メールで連絡したところ、訪問を受け入れ、あまつえ鳴門観光のセッティングをしてくれた。有難いことである。
今回は、その訪問記。
天気予報では22日は晴れだったが、見事に予想は外れ、朝から雨。四国地方は豪雨と予想されていたが、楽しみにしていた旅行なので決行することにした。
利用したのは、10時10分三宮発の徳島行の高速バスである。
JR三宮の高架下にある、神姫バスの三ノ宮バスターミナル。
車内の様子。 雨のせいか、乗客数は少ない。7~8人といった所であろうか。
窓側の席だったので、雨中の三の宮の高層ビルを手すさびで写すのであった。
神戸駅前のビル。 神戸ハウジングデザインセンタービルでした。
強雨のお蔭で、渋滞にまきこまれ高速垂水駅に止まるまでに25分以上遅延する。
明石大橋上からの写真だが、雨風でなにも見えぬ。
このような霧も立ち込めてきて、視界は極めて悪し。
洲本を過ぎた辺りから、雨が途切れる。その時の山並みの写真。
11時55分に高速鳴門着。約20分遅れ。そこには、すろっぴーが待っていた。
これである。 現役時代に鳴門を訪問したときに、これに乗ったので2回目である。
Wikipediaに解説記事があったので引用する。
すろっぴー
徳島県鳴門市にあるスロープカーである。高速鳴門バスストップにアクセスするために鳴門市が設置した。
現在のすろっぴー(二代目) 黄色から青色にボディカラーが変わっている。
ここが、高速鳴門バスストップ。 待ち合わせのFさんがいない! 携帯で連絡するも通じない。焦りました。 ひょっとして行き違いになったかと思い、バス停まで引返すがいない。私の携帯のアドレスを教えなかったのが間違いであった。私は常日頃携帯もスマホも持たないので、こんな時に失敗するのである。ターミナルの掲示板に記載したとの事だったが、私は掲示板の存在すら知らずに焦っていたのである。
しかし、何度かのコールの後連絡がつく。再度迎えに来てもらうことになり、ほっと一安心。
ターミナル前のくり抜かれた少年像が面白かったので、高速道路をバックに写してみた。
迎えに来て下すった浴衣姿のFさんである。20年ぶりの再会になる。爺さんになったことを除けば、変わりがない。元気そうである。悩みはふっきれたらしい。後は、彼の愛車。
常日頃着物を召されて生活しておられる。鳴門教育大では、有名院生である。彼は、新進講談作家、虚無僧、贋茶人など沢山の肩書きを持っている。
彼の専門は生物なのであるが、大変な趣味人かつ教養の持ち主で、言語学に特に秀でており現在ラテン語を勉強しておられる。勿論古語も得意で、メールのやり取りも擬古文である。
こんなメール文である。
拙者思ふに、博士号を持ちをらぬ者は、戒名とて今からそを得、
既に持ちたる者なれば、他の分野の戒名を得らば如何、と思案してをり候。
取り分け、文系の戒名得るに難しと広く思はれたれども、さなることあるまじく御座候や。
さても、思ひ込みこそ親の敵(かたき)にて御座候。
(この「思ひ込み」に自ら気づくことと、それを破ることそこ、拙者の裏の研究主題なれ。)
文学博士の博士論文なるものは、読めばその殆どが引用ばかりにて御座候而(て)、こは恰も薄き粥が如し。
その論理の構造をば詳(つまび)らかに致したく所存にて御座候。
論文の枚数と引用文献の多さを以て勝負するならば、こは昨今の粗製乱造され続けられたをる、所謂(いはゆる)アホ博士の博士論文とは、質の違ひあらず御座候。
・・・・
かくなる次第は、拙者が末席を汚しをる○○大学院の、特に文系の教授どものなかに、この戒名具せぬ者散見さるるが理(ことはり)あればなり。
そのうちの一人に意地悪なる試験問題を出す者ありて、その試験に通らなからば、この寺を出(いづ)るを得ねば、
「老師よ、せめては教育学の博士号をお持ちでなからば、かくなる愚行は恰も恐怖主義(terrorismus)が如きなり」
と拙者諫言せしが、応えて曰くに、
「博士号、みんなで持たば、怖くなし」
とぞ。
その本音は、
「自分より年下の教授どもに査読をいただくは遠慮いたしたし」
なりけり。
学問の中身に自我を投影してはならじ。
・・・
そこで拙者なればどうするか、で御座るが、「数学の理解とか、数学上の発見などの過程にて認知はどのやうにして行はれてゐるか」を解明致したく存じ御座候。
数学の成書や論文をこの視座から眺むるに、この記述なし。
但し、拙者は誠に浅学なれば、Polyaが成書読破するを得ず。
斯くして、人間の頭脳が人工無能に勝つには、己(をの)が頭脳を別のmonitoring systemより冷かかに観察し続くるも一つの戦略なり。
・・・・
新進講談作家、虚無僧、贋茶人
F-Kenneth-Kwan-Emon 頓首
このように辛辣なことを学術的に発言する方です。もっとも普段は、丁寧な現代標準語を使われている。
この日の行程を彼の文に従って、写真紀行としよう。
1. 着替え
11時半頃、所定の場所に拙者も到着致す所存にて御座候。
此処にて信左エ門殿(私)には浴衣に着替へていただき、履物は下駄に替へていただく所存にて御座候。
準備は万端にて御座候。
ということで、ターミナル横の駐車場で、用意して頂いた浴衣に着替えたのである。下駄はきつくて履けないので草履にした。そのあで姿はあとでアップする。
2. 船本食堂
バスの遅延で12時半にターミナルを彼の車で出発。助手席に座ったのだが、車内の凄さに吃驚。車中生活ができるようにだろうが、後部座席には色んなものが積み込まれている。洗濯物を乾す縄まである。プライバシーの侵害になりそうなので止めるが、乱雑すぎるのでないかい、Fさん。
取り当たりの腹ごしらへとして、「鳴ちゆる饂飩」を食しに、大学寮が近くなる「船本食堂」に行かうと存ずるが、
この汚き「食堂」に貴殿は既に訪れたることありや、如何にと存ずる次第なり。
この「鳴ちゆる」なるは腰弱きが故に拙者あまり好まず候共(さふらへども)、その汁や真(まこと)に美味く候。
貴殿は此処にて昼から更にコツプ酒を一杯のみあほる予定にて御座候。
不思議なることに、この店は2時間程のみ開きをり候共、その壁には地酒の一升瓶を沢山置いてあり、一体誰がこを呑すなるか、拙者は未だ一向に判らず次第にて御座候。
このお店です。住宅街の中にある。特異点としてのうどん屋である。入ったことはない。
しかしながら鳴門の有名店で、支店も三店出している。
店内の様子。夏休みなので子供の客がいる。女性の2人づれの客もいました。しかし、地酒の1升ビンは影も形もなし。
これが、舩本うどん 350円 である。それと、冷やのコップ酒である。
Fさんの言うように、「鳴ちゆる」は麺が短く歪で、しかも腰が弱くべちゃべちゃ感がある。お汁は、魚とコブダシだが特に美味いという訳ではない。でも値段は安いので、それなりではないか。
お酒のほうは、昼酒ということで大変結構でした。Fさんには、一滴も飲ませず。
3. 漁協食堂 うずしお
車でそのまま東へ向かひ、途中にて昼食をとる予定にて御座候。
その品目は「賄ひ定食」にて御座候。
売り切れ御免!
JF北灘さかな市 内にあり、新鮮な魚介料理を食べさせてくれる。
注文した「賄ひ定食」は売り切れ。
代わりに我々は、アワビ丼を注文。1350円。値段は高めだが、これは大正解。アワビの刺身が極めて美味。湯がいた肝も苦くなく海藻の風味がする。
店内には貝やエビ類の生簀があり、ここから選んで料理をしてもらうことができる。
また鮮魚店や干物の店もある。
この店のマスコットチンパンである。
4. 讃州井筒屋敷と引田の街並み
更に国境なる隧道を超ゆり、暫く走らば、讃州井筒屋敷に辿りつき御座候。
この界隈は昭和レトロの雰囲気未だに漂ひをれば、股旅帳に載せる種尽くることあらじと覚え御座候。
風の港の風情(ふぜい)を暫し楽しみたく御座候。
歴史的な引田の街並み散策というのがあって、狭い路地を挟んで屋敷が立ち並んでいる。その中心が讃州井筒屋敷になる。
この日は、1日中雨。従って、車の中からの写真撮影が主になる。仕方がない。
昭和レトロ風郵便局。 引田郵便局
今や滅多に見られない赤ポスト。
日下家の屋敷門
定休日で閉まっているが、讃州井筒屋敷の玄関。
東香川手袋博物館 レトロな感じの博物館だが、ここも定休日で閉まっていた。
幸い翌日に再訪問したので、施設の中も見学することができた。訪問記事IIIで詳しく説明の予定。
雨では、見学も儘ならぬという事で、車中から引田の街並みを写すのであった。
郵便局の建物。 レンガ壁の八角窓が面白い。
このように武家屋敷がつづく。
民家や屋敷を隔てる細い路地。これが、ある意味引田の街並みの特徴になっている。
壁が赤く塗られた建物は、かめびし屋の醤油蔵。
かめびし屋は、江戸時代から続く醤油醸造元である。その店舗や醤油蔵など18棟の建造物が国の登録有形文化財に登録されている。
その玄関
現在も使われていて、奥が作業場になっている。
引田の護り神社ともいえる誉田八幡神社。
その門柱。上下和楽 四海昌平 とある。禅語から来ているようである。
5. 平賀源内記念館
時あらば、源内殿の記念館に迄足を運びたく存じ御座候。
雨のうえに定休日だったので、引田の街並み見学は不調でした。ならばと、さぬき市志度にある平賀源内記念館へと向かった。約1時間半ほど走ったのだが、Fさんはカーナビなし、道路地図なしで運転するのだ。ここに何かがあって、そこを曲がるとドータラなどとつぶやきながら、目的地に到達したのである。その間、高尚な哲学の話をしながらである。正に名人芸である。
平賀源内記念館
Fさんは、平賀源内にとても詳しく、色んな話をして頂いた。約1時間かけた充実した見学であった。この記事も別項で書く予定。
7. 海鮮料理 いせだ
晩御飯をどこで食べようかといことになり、旅館ではあり来たりなので、車を走らせて物色。さぬきうどんなら、外れはなさそうということで、この店の前で駐車。
中を覗いてみて、やめようということになった。落ち着いて酒が飲めぬ。 それで、行き当たりばったりだが、この店に決めた。
海鮮料理店 いせだ である。 全く知らん店だが、正解であった。
いせだ 前のいなせな浴衣姿の私である。和服姿の証拠写真である。
入り口には、大壺と漢詩の屏風が飾られてある。高級店風である。実際は、大したことなし。
会席料理で、お好みにぎりとエビの天ぷらのセットを頼んだ。それと生ビール。セットは、2000円位だったと思うが、正確な値段は忘れた。食べ慣れたものばかりであるが、それなりに美味であった。ビールの当てとしても良好でした。
食後、私は所望していないが、Fさんは尺八を吹いてくれた。虚無僧ゆえである。喜捨はせなんだ。
さて宿であるが、Fさんからはこのような文。
食ふ寝る所に泊まる所ならば、温泉付きの民宿もどきが近くにあり、飛び込みにても泊まるを得むと覚え御座候。
clicca!
翌日は此処から国鉄の「引田駅」迄徒歩(かち)にて辿り着かば如何(いかが)と存じ御座候。
かくすらば、信左エ門殿も田舎の生活にはまるは必定(ひつぢやう)と覚え御座候。
いや、もつと面白き泊まり方これ有御座候。
そは、「野宿」にて御座候。
clicca!
しかし、初めて野宿をするには、些かの躊躇(ためら)ひもあると覚え御座候。
その段には、「駅寝」(えきね)を奨めたく覚え御座候。
虫除けスプレエを1本持つは、野宿にて必ず要り申し御座候。
この他にも、大量の酒類も必要にて御座候。
引田駅には駅員が詰めてをれば、駅寝に邪魔入(い)るやもしれず、その恐れあらば宿を隣の無人駅なる「讃岐相生駅」に替ふるも宜敷きかと存じ御座候。
とまれ、引田より徳島迄は高速道路にて僅(わづ)か半時間の距離にて御座候。
それで、野宿はかなわんので、翼山温泉を予約しようと思っていると、前日につぎの文。
泊まり先の「翼山」温泉を望むならば、速やかに予約を入れられるべくお願ひ致し御座候。
此処は夜の十時迄風呂に入るを得(う)れ共、最早温泉は出(いで)ず、井戸水を汲み沸かしをり御座候。
本物の温泉を御所望ならば、更に奥にこれ有候。
そは白鳥温泉にて御座候。
此処は鄙びたる所にて御座候ば、翌朝は必ずお迎へに行きたく御座候。
かくして雨中暗い中を、1時間ほどナビなしで走り、無事白鳥温泉に到着した。チェックインを済ませて、部屋に荷物を置いて早速温泉へ向かったのであった。
今回は、ここまで。 II につづく。
0 件のコメント:
コメントを投稿