さて、前日のリベンジを果たすべく、讃州井筒屋敷へと向かった。
途中、宿泊予定の翼山温泉を通過する。
どんな温泉か気になったので、調べてみた。広そうだが、どうやら湯槽は1つだけみたいだね。白鳥温泉と似たり寄ったりかな。
30分程で讃州井筒屋敷に到着。
井筒屋敷の案内図 かなり広いお屋敷である。
香川県の公式観光サイトでは、こう書かれている。
歴史的な引田の街並み散策の拠点施設。無料ガイド、レンタサイクル、物産店、レストラン、お茶処、雑貨、体験観光、ツアー、地元の特産品の販売もある。
手袋工房でのオリジナル手袋作り体験、和三盆型抜き体験など、地元の伝統工業の体験もできる。
Wikipediaには、比較的詳しい説明がある。
讃州井筒屋敷 | |
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母屋 | |
情報 | |
用途 | 資料館、観光案内所、商業施設、ホール |
旧用途 | 佐野家住宅 |
事業主体 | 東かがわ市 |
管理運営 | NPO法人東かがわ市ニューツーリズム協会 |
構造形式 | 木造、入母屋造、瓦葺 |
着工 | 江戸時代 |
開館開所 | 2005年2月26日 |
改築 | 2001年(平成13年) |
所在地 | 〒769-2901 香川県東かがわ市引田2163番地 |
座標 | 北緯34度13分40.2秒 東経134度24分12.4秒 |
讃州井筒屋敷(さんしゅういづつやしき)
香川県東かがわ市の引田にある江戸時代築の商家建築旧佐野家住宅(井筒屋は屋号)を活用した資料館と観光案内所、商業施設、ホールを備えた複合施設。
概要:
江戸時代の1692年(元禄5年)の創業後間もなく上方から江戸まで醤油を出荷し、引田醤油の名を全国に広めた『引田御三家』のひとつ。
1913年(大正2年)から酒造も手がけ合名会社酒造井筒屋を設立、1920年(大正9年)からは焼酎・みりんの製造も始めるなど、戦前まで栄えた。
しかし1997年(平成9年)頃から当屋敷は空家となり朽ちるにまかされていたため、引田町(現・東かがわ市)はこの町の歴史的建物の保存のために2001年(平成13年)になって母屋と倉庫群を取得した。
東かがわ市により改修が行われ、新築の蔵とともに2005年(平成17年)2月26日に「讃州井筒屋敷」の名称で一般への公開が開始された。
以来、引田を代表する建物、歴史資料館として、また観光客への情報発信と食事処、土産物店、休憩所として活用されている。
この概要を読んで、納得したのである。私はてっきり武家屋敷と誤解していて、醤油屋のイズツヤとの関係がイマイチ分かってなかったのである。商家の大邸宅だったんだね。いやあ。お恥ずかしい限りです。
このような構成になっている。
- 母屋 - 旧佐野家の住居。居間、奥座敷、屋根裏部屋、帳場の間取りがある母屋と、離れの茶室を公開している。併設の2階建ての釜谷蔵を活用したギャラリー「かまや」では1階は旧井筒屋伝来の品々と醤油業に関する資料を展示、2階はギャラリーで絵画、陶芸作家らの作品展示を行う。
- 一之蔵 - 旧米蔵。現「ごはんや醤」(和食処)
- 二之蔵 - 「アンティーク三宅」(骨董品店)
- 三之蔵
- 1F - 東かがわ市物産館「匠の物産館」 和三盆と醤油(かめびし、山本醤油、引田醤油、井筒屋醤油)
- 2F - 「手袋工房」 体験コーナー
- 与之蔵 - 「和楽座」(ホール)
- 五之蔵
- い - 「いろはのい」(和雑貨店、喫茶コーナー)
- ろ - 「ザッカ トコトコ」(アジアン雑貨店)
- は - 「MOKA」(花屋)、「NOVO」(古材家具リフォーム)
- に - 「カブクワ やまと.com」(カブトムとクワガタ販売店 )
- ほ - 「ちわわ屋」(チワワ専門ショップ)
まづは、中庭の様子を写して来た写真で見てみよう。
二之蔵 である。閉まっておりました。
左が三之蔵で右が母屋の建物。
左が与之蔵で右が五之蔵(の一部)。
五之蔵(の中央部)。 休憩所になっている。
讃州井筒屋敷に来たという証拠写真。手袋の彫像の傍で。相変わらずハラが出ているネ。
一之蔵は、写真に撮らず。
メインが母屋見学になる。ここは入場料が必要で、大人500円。老人割引なし。Fさんは、ここの常連で、関係者と親しい。この和室で尺八演奏をするという算段である。
パンフというかチラシ
入り口にあった旧讃州井筒屋敷のミニチュア模型。かっての帳場である。
奥座敷
奥座敷からの中庭の眺め。広い立派なお庭である。
山水画の描かれた屏風。立派なものです。確認していないが、名のある絵師と思える。
奥座敷の机と肘置き、掛け軸と銀箔の屏風絵。ご主人様の部屋ですね。
机の上に展示されていた画帳。 兼本春篁 他 とある。
美術人名事典では、
兼本春篁: 南画家。安政2年(1855)松江生。京都住。田能村直入の門。
と記載されている。
別の屏風絵。
この座敷でFさんは、暫しの尺八演奏を行った。ほんの2,3分ですが。
さて、Fさんは渡り廊下を歩き茶室に向かう。
控えの間で梅こぶ茶をご馳走になる。
ここが茶室。扇風機が置いてあるのは良いとして、カラクリ人形の茶運び坊主があるではないか!
その動きについては、 わらべ館 I おもちゃの部屋 の動画を見られたい。
Fさんは、ここで本格的に尺八演奏を始めたのである。私は素人なので分からんが、Fさんは中々の吹き手だと思われる。 写真記録によると、30分以上の演奏であった。勿論解説時間も入っている。尺八の師匠のお話とか、感激したこと、霊についての話、演奏会さらには尺八についての薀蓄話を聞かして頂いたのである。残念なことに、私には猫に小判のお話であった。
それで、茶室に飛んできたカミキムシの写真などを気分転換に撮ったのである。
併設の2階建ての釜谷蔵を活用したギャラリー「かまや」がある。
この1階は旧井筒屋伝来の品々と醤油業に関する資料を展示している。
のれんや袴、各種賞状などですね。Fさんは、このような絣の袴を購入したいと言ってました。確かに似合うかもしれないね。
当時の写真
大金庫 お金がうなっていたんでしょうね。
井筒屋の隆盛を極めた佐野新平の少年時代の写真。右は大富豪になったときの写真。
賞状とか、金銭出納帳。
2階はギャラリーで絵画、陶芸作家らの作品展示を行っているらしいが、今はもぬけの殻。
作品展示の残骸は残っていた。屋根の骨組みや梁自体が素晴らしい。
全てを見終わって、入り口兼出口に戻ってきた。
古地図なんかも、掲示されていた。気が付かんかったね。引田城とか引田村の地図である。
これですね。引田城古地図。
佐野家と実業家としての佐野新平の解説パネル。
かくして母屋をでる。
こんな幸せの風車が三之蔵前にあった。
三之蔵は、1階が東かがわ市物産館で、要するに土産物屋さん。2階は手袋工房になっている。この記事は次回に回す。
今度は、井筒屋敷の裏側に廻る。そこには、井筒屋文政樽がある。大きな醤油樽ですね。
草臥れた木造建築だが、井筒屋文政樽永久保存建立 の立札がある。
中央の樽は、中で対面に座れる。樽の上には電灯も設置されている。
樽は木曽杉で作られているそうである。掲示板には、佐野五郎左衛門 は醤油を売って大儲けをして、高松藩のお偉いさんになったと書いてある。
この大樽である。130年以上前の樽と考えられる。
そこから、奥座敷の中庭入ることができる。
佐野新平の銅像。
Wikipediaには、佐野新平 の記事はない。それで、東かがわの広報誌より抜粋。
佐野新平(1868~1945年)
第13代当主佐野 新平翁は、醤油・酒醸造を引き継ぎ発展させ、耕地整理事業や溜池整備など農業基盤整備をしたり、貧しかった農家の生活の向上の為、努力をおしまなった。
また、大川郡を葉煙草の優秀な産地に成長させた功績もある。
地方の名士ですね。地方銀行の設立者でもあった。
長くなりすぎると、画像データのやり取りが遅くなるので、今回はこれでおしまい。
鳴門香川訪問記 IV につづく。
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