そういえば、清盛七弁天のうち和田神社、真光寺、能福寺は既に取材済である。
和田神社 兵庫 真光寺 兵庫大仏(能福寺)
撮影済の看板
これによると、残りは恵林寺と花隈厳島神社だけになる。
念のため調べてみると誤解をしていました。気がつけば当たり前だが、清盛くんと松王丸くんは弁天様ではない。清盛七弁天とは、七弁天+清盛+松王丸 なのである。
従って、残りはあと3つなのである。恵林寺 (運動辨天) に加えて、 済鱗寺 (勉強辨天) と 花隈厳島神社 (健康辨天) である。 そのうちにコンプリートするぞと決心するのであった。
清盛七弁天の看板
9人衆
お洒落弁天のキャラカード
のっけから脇道に入ってしまった。悪い癖だ。 それでは、厳島神社の記事を始める。
みなと八幡から歩いて5分位の所にあるお隣の神社である。この神社も割合きれいに整備されている。
入り口にある社碑 兵庫弁財天 厳島神社 とある。
朱鳥居 広島の厳島神社の鳥居と同じスタイルですね。足元が三本支えになっている。
境内側から見た朱鳥居
それでは、まづ Wikipedia による神社の基礎データ。
厳島神社 | |
---|---|
所在地 | 兵庫県神戸市兵庫区永沢町4-4-21 北緯34度40分28.6秒 東経135度10分11.8秒 |
主祭神 | 市杵島姫命 |
創建 | 治承四年 |
別名 | 兵庫弁天 |
札所等 | 清盛七辨天 外弁天 |
例祭 | 5月16日 |
主な神事 | 亥の子祭(旧暦10月亥の日)針供養 |
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
兵庫県神戸市兵庫区永沢町に鎮座する神社。
ご祭神:
市杵島姫命(イチキシマヒメのみこと)
弁財天のことだね。画像は省略。 神戸兵庫区 氷室神社 を見てください。
歴史:
治承4年(1180年)に、平清盛によって、兵庫津の発展と住民の繁栄を析廟し、平家一門の氏神として深く崇敬している安芸国厳島神社を勧請して創建された。
縁起によれば平清盛が人工島を築く際に夢枕に厳島明神があらわれ、「汝の志を成就せんが為に現れた。篤く信仰して疑うことなかれ」と告げられたので、祀ることにしたと言われる。
社を場所を探していると、龍燈が西の方角から飛び立ち、松の枝に掛かった。ここが神慮の地であるとし、この地に建てられた。龍燈の松は戦前まで枯れてはいたものの現存したが、神戸大空襲で焼失した。
元禄5年(1692年)の指出帳には厳島弁天女社、増福寺支配とあって、除地になっている。
それでは境内を見ていこう。
手水舎
放生池 水の入ってない池です。その前が石橋になっている、
由緒板
本殿 厳島神社というだけあって朱塗りの本殿です。
本殿の扁額
狛犬二基
摂社の淡島神社
淡島さまは医薬の道をはじめられた祖神で、病気の治癒を祈るとご神徳あらたかといわれる。
同じく摂社である稲荷社 白萩稲荷大明神・若永稲荷大明神 を祀っている。
その稲荷鳥居
社をお守するお狐様2匹。 幾分痩せたお狐様である。
針塚 毎年2月8日に針供養が行われる。
石灯籠
石灯籠と退筆塚(筆塚) 右から2番目にあるのが退筆塚
胞衣塚は写していない。そもそもその存在を知らなかったのだ。それで調べてみるとありました。
神社の背後に祀られているそうだ。胞衣(えな)は胎盤やへその緒で、屋敷の隅に埋めることが多く、縄文時代から胞衣信仰は続いているという。
これでおしまい。
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