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2017年7月31日月曜日

神戸垂水区 網敷天満宮

今回は神戸の神社シリーズ垂水区網敷天満宮の紹介である。

須磨の天神さまとして知られている歴史の古い由緒ある神社である。天神様なので当然菅原道真公を祀っている。山陽電鉄須磨寺駅から徒歩数分のところにある。

玉垣で囲われた広大な境内  と言っても駐車場が敷地の半分近くを占める。楠の大木が見事である。


目的はなくとも、境内を散策するだけで楽しい、綺麗に整備された神社である。

大鳥居 


 神額には単に天満宮とある。



波乗り坂   波の下・・・・蟹と戯る。


境内にさしかかる坂に、サーフボード型の石畳がある。この石畳に乗っかる。そうすると「人生の波にうまく乗ることができる」という訳である。



忠孝碑


Wikipediaにこの網敷天満宮の記事はあるが、誠に貧弱である。それで、この神社の情報は公式ホームページ から教えて頂くことにする。

Wikipediaより:

Sumatenjijn5258.JPG
所在地兵庫県神戸市須磨区天神町2-1-11
位置北緯34度38分40.6秒
東経135度7分9.5秒
座標: 北緯34度38分40.6秒 東経135度7分9.5秒
主祭神菅原道真
創建979年(天元2年)
札所等菅公聖蹟二十五拝

ホームページより:

綱敷天満宮へようこそ!

全国一万社ある天満宮の二十五霊社ひとつとして歴史が古く、由緒ある天神さま。春の頃には、きれいな梅が咲き、合格祈願、学業成就を願う人々で賑わい七五三の頃には、ご家族連れで境内は一段とにぎわいます。
 
綱敷天満宮は、学問の神様、天満大神菅原道真公を祀り、神戸では須磨の天神さまと親しまれ、合格祈願・学業成就を始めあらゆる御祈願に御利益があります。菅原道真公がお亡くなられてから76年後にこの地に創建されました。 

由緒:

道真公は九州太宰府に左遷された際、須磨の浦で波が高くなり航海を中断されました。その時、漁師達が網の大綱円座を作り、お休みになられた事にちなんで創建されたのが綱敷天満宮です

ご祭神: 菅原道真

Sugawara Michizane.jpg 
菊池容斎による菅原道真像


本殿


それでは境内の参拝を始める。にぎやかというか、境内には色んな縁起物が沢山あって眺めるだけでも面白い。

三重塔

境内の中央にあって見栄えのする塔です。





菅公母子像  (菅原道真公の母君に抱かれる像)

父は菅原是善(これよし)、菅原道真公の母は(とも)氏(名は不詳)。菅原氏は、道真公の祖父清公(きよきみ)のとき土師(はじ)氏より氏を改め、祖父と父は文章博士(もんじょうはかせ)を務めた学者の家系でした。母方の氏は、家系には大伴旅人大伴家持ら高名な歌人がいる。




菅原道真母 (すがわらのみちざねのはは)  生年未詳~貞観十四(-872)

菅原の大臣かうぶりし侍りける夜、母の詠みはべりける

久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな

【通釈】こうして元服した上は、月に生えているという桂の木も折るばかりに――大いに才名を上げて、学問の家としての我が一族の名を高めてほしいものです。

息子の出世に期待をかける
教育ママだったんだね。

本殿前の石鳥居  駐車場からの石段の上に立っている。


北海道の名付け親  石段横にある掲示板である。

北海道」名付けの親である松浦武四郎さんが納めた宝鏡があります。 二十五霊社とは「北海道」を命名した松浦武四郎の定めた天神社25社を指します。

奉納された宝鏡の写真があるが、松浦武四郎は数多くの神鏡を全国の天満宮東照宮に奉納している。



松浦 武四郎(まつうら たけしろう、1818年3月12日 - 1888年2月10日)

江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家浮世絵師好古家。名前の表記は竹四郎とも。諱は弘。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)、多気志楼など多数。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。(by Wikipedia)



松浦武四郎。
首から下げているのは、武四郎がコレクションしていた古物で自作したもの。

面白い人物であったようです。彼の余生の部分:

余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。天神(菅原道真)を篤く信仰し(天神信仰)、全国25の天満宮を巡り、鏡を奉納した。好古家としても知られ、縄文時代から近代までの国内外の古物を蒐集し、64歳のときには、自分を釈迦に見立て古物コレクションに囲まれた「武四郎涅槃図」を河鍋暁斎に描かせている。
退職教授の見果てぬ夢: 河鍋暁斎

武四郎涅槃図

また、明治3年(1870年)には北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。

千島一覧


常夜燈 社の造りを持つ立派なものです。


手水舎  稲荷神社ではないのに鮮やかな朱塗りです。

渡し鳥居 奥に本殿が見える。

本殿前の牛の銅像 

道真公ととは切っても切れない縁で結ばれている。牛は天満宮の神使、シンボルになっている。


牛(うし)

菅原道真公の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時道真公を泣いて見送った」「道真公はに乗り大宰府へ下った」「が刺客から道真公を守った」「道真公の墓所(太宰府天満宮)の位置はが決めた」など菅原道真公とにまつわる言伝えや縁起が数多くあります。これにより天満宮では、御祭神の使者とされ、縁起がいいとされてます。

本殿脇の親子牛



牛の群れ の像 



子どもたちが小さいときから 動物をかわいがり
子どもたちが作文や習字が上手になるよう 願いを込めて

この像がつくられました。


波乗り祈願像 
へえ~と思いますね。子供の道真公がその時代何でサーフィンするねん?そんな史実があったんかいとツッコミをいれたくなります。

 サーフボードを持たれた菅公さん
時勢の波に乗り、夢が叶うことを祈願します

波乗り祈願」とは、成功を収めるために、うまく時流の波に乗ることを祈願するものです。決して自分本位な行動をとるのではなく、時を読み、流れに逆らわず、自らの平衡感覚によって状況に適応していくことが、人間が生きていく上で大切だと思います。綱敷天満宮の近くには、古くから風光明媚な景勝地として親しまれている須磨の浦があります。 今も、夏になれば、須磨海岸には、多くの若者や家族が訪れ、賑わいます。この像は、時代の荒波に乗り、一人でも多くの方々が幸せになることを願い、須磨の海でサーフボードを抱える幼少時代の菅原道真公をモチーフに制作、建立しました。

ついぞ時流に乗る事の無かった私は、子供の道真公に僻んでいるのかもしれない。


願いをかなえる「なすのこしかけ」


何でも願いが叶うというなすの腰掛けなすの花は一つの無駄もなく実を結び また「成す」と語呂が同じ処より努力はむくわれ願いが叶えられるという縁起をふくみます。 願いを込めて「なす」に腰かければどんな願いも叶えられます。


親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない

という格言もある。私も親父から散々いわれましたが、無駄ばっかりと思いました。それで求められないのを幸いに、息子達には意見を言ったことがない。それでも全員まともに育ちました。



本殿内に茄子の子安台がある。 赤ちゃんの初宮詣の際に、この台上に赤ちゃんを乗せて健やかな成長をお祈りする。へた部分は黄金です。



狛犬二基  スマートな狛犬で、獅子というよりむしろ虎に似ている。



綱敷の円座

道真公がお休みになられたとされる漁網の円座を模した縁起物。



本殿内部

天満宮神額


本殿屋根部分
石灯籠

筆のこころ 石碑 硯石の形に刻されている。


歓びも哀しみも 愛も憎しみも 怒りも嘆きも 筆はそのすべてを知る
ああ 天地無辺の筆

及川英雄 文

境内社厄神社 稲荷社のように朱で塗られている。


厄神社神額


祖霊社・奥都城 祖先の霊を祀る社。境内社かもしれぬが何ともモダンなである。
奥都城は、お墓のことである。


説明板

祖霊社

奥都城(おくつき)


祖霊社に安置されている子授け地蔵

境内東入り口にある黒鳥居


影向の松 (ようごうのまつ)

菅原道真公が大宰府に下る途中、風波を避けて一時、須磨に上陸されました。地元の漁師たちはこの松の木の下魚網の大綱を巻き、円座を作り休息いただいたと伝わる。

社務所 祭日ではないが、日本国旗がたなびいている。


歌碑 菅原道真の詠んだ超有名な歌である。


東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花
        あるじなしとて春な忘れそ


五才の菅公像

5歳の菅原道真公(天神さま)


 菅原道真公は清公(きよきみ)公、是善(これよし)公と続く文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれました。母は、少納言(大伴)氏の出身です。
道真公の幼名は、「阿呼(あこ)」。
5才の時、庭に咲く紅梅を見てその花びらで自分の頬を飾りたいと、『美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある』と歌い、11(斉衡2/855)には、初めて漢詩を詠み、神童と称されました

道真は幼少のころからナルシストでした。この由縁もあって、紅梅天満宮のシンボルになっている。そのせいでか、朱塗りが稲荷神社並みに多用されている。




一の谷合戦八百年記念の碑


社務所玄関に展示されている金のお神輿


これでおしまい。


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