卒塔婆の供養林と呼ばれている。死者の霊魂は全く別の世界(地獄とか天国ね)に行ってしまうわけでなく、現実の山の中などに「他界」があって、そこに集まってくる。その迷える霊を供養するために卒塔婆を立てるというわけである。
宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する岳参り(たけまいり)という風習がある。
人の身長並みの高さから電信柱より高い角柱(8m未満)の塔婆まで色々あるが、全て表には墨で黒々と故人の戒名と施主の名が書かれている。
故人の使っていた帽子などが時に掛けられているが、原則それはいけないことのようです。お値段だが、奥の院で確認したところ、一番高いので50万円、時限つきで供養の期間は6年間です。
塔婆は1番地から8番地まで番地が振られ、その番所にズラリと並べられている。サイズは大体統一している。
2番地の番所での塔婆群 お墓と同じように塔婆の前にお花を供えています。
奥の院に向かう参道脇の卒塔婆の並べられていない場所には、苔むしたような墓石や墓碑、経塚がならんでいる。
九鬼嘉隆公の五輪塔
小川頼重公の五輪塔
奥の院前の卒塔婆の列
奥の院山門 石灯籠の中にも仏様がおられる。
手水舎
ご本尊の延命子安地蔵尊を祀る地蔵堂 堂というより構えは拝殿ですね。
本堂 手前が焼香堂
子安地蔵の大軍団
一際立派な子供を抱く子安地蔵尊 水子を供養されているのでしょう。山中にあって錫杖も手にしておられます。
供養林前参道にある大東亜戦争殉国碑
奥の院の参拝をおえて、もとの参拝路に戻る。
芭蕉碑
神垣や おもひもかけず 涅槃像
伊勢神宮は、当時仏教との混交を忌み嫌っていた。かつて『野ざらし紀行』でも半僧半俗の芭蕉は神域に入れてもらえなかった。それなのになんとこんな所に佛の涅槃像があるとは。この日、2月15日は涅槃会で、釈迦入滅の日とされる。
苔むしているが、その芭蕉の句碑
極楽門を出て本堂まで戻り、参道を開山堂にむかって歩を進める。
開山堂 弘法大師が開山された。
仁王門から書院につづく山門 学僧が書院に向かう道である。
ここから下りの坂道があり事務所の建物を横目に睨みながら駐車場に至る。
駐車場から仁王門、境内を望む。
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