南海 今宮戎駅 この高架を通過するとすぐである。
大鳥居
由緒舎
昔から西宮えびすに次いで今宮えびす、三番目が柳原のえびっさんと聞かされてきた。その2番目に賑やかなえびっさんである。大阪生まれの母がえびっさんといえばここである。十日えびすでは100万人の参拝があるという。でも神社の規模から言うと西宮えびすにはかなわない。
西宮神社 I 西宮神社 II 西宮神社 III 柳原天神社と満福寺
いつもの様にWikipediaから基礎情報を仕入れる。
今宮戎神社
今宮戎神社 | |
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本殿 | |
所在地 | 大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10 |
位置 | 北緯34度39分19.2秒 東経135度30分8.9秒座標: 北緯34度39分19.2秒 東経135度30分8.9秒 |
主祭神 | 天照皇大神、事代主命、素盞鳴命、月読尊、稚日女尊 |
社格等 | 郷社・別表神社 |
創建 | 伝・推古天皇8年(600年) |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道45番(大阪4番) なにわ七幸めぐり 大阪七福神(恵比寿) |
例祭 | 1月9日-1月11日 |
主な神事 | 十日戎 |
地図 |
今宮戎神社
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今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
大阪市浪速区にある神社。商売繁盛の神様「えべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。旧社格は郷社、現在は別表神社である。
ご祭神:
天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
今回はブロンズ像である。
事代主神 (ことしろぬしのかみ)
神楽のえびっさん
素盞嗚命 (すさのおのみこと)
八岐大蛇退治の図
月読尊 (つきよみのみこと)
今回はお人形
稚日女尊 (わかひるめのみこと)
由緒:
聖徳太子の四天王寺建立の際に西方の守護神として建てられたと伝えられている。
戎さまのお姿は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として宮中に鮮魚を献進していた。
またこのような海辺で物資の集積地では、いわゆる「市」が開かれるが、当社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には開かれるようになり、その市の守り神としても当社の戎さまが祀られるようになった。 そして時代が経るに従い、福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになった。
近世初頭、豊臣秀頼より社殿造替と社領の寄進を受けたと伝えられる。
江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになった。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、さらに元禄期になると十日戎の祭礼を彩る宝恵籠の奉納も行われるようになり今日と同じような祭礼となった。
それでは境内の参拝を始める。
境内 一面に玉砂利が敷かれている。境内に高い木はなく 木組みの鉢植えの木が幾つも並べられている。十日戎の時には、この鉢植えは移動される。
阿波野青畝の句
陋巷(ろうこう)を 好ませたまひ 本戎
句碑 1979年(昭和54年)建立
小西来山の句
蕣(あさがお)の 雨天にしぼむ 是非もなし
手水鉢
御神燈
狛犬二基 脚力のありそうな精悍な顔つきの狛犬です。
渡し鳥居
拝殿 神社の建物は1945年(昭和20年)の戦災でことごとく焼失し、現在の拝殿・本殿は1956年(昭和31年)に再建されたとのこと。
拝殿中
拝殿側面
拝殿後方部
本殿
本殿屋根
本殿裏
大国主命、五男三女八柱神を祀る。
社務所
宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る。
神額 単に 稲荷社 とある。 お狐様が祀られている。
社務所から社殿横につづく砂利道
その奥に常夜燈が二基あり、その内の一基はクボタの献燈である。
この石燈籠である。
二つ目の常夜燈
神社を取り囲む玉垣
今日は主夫業に加えて朝からずっと講義のレポート問題作りや下調べをやっていて疲れた。それでへろへろ気味でこの記事を書きあげました。やっと日課を果たしたので安心して今から寝れる。これでおしまい。
大阪の今宮戎神社は、忘れ去られてはいますが西宮戎神社(恐れ多くも西宮(=廣田神社に奉れた固有の尊称)を勝手に騙る。)
返信削除と同様に(大阪の)廣田神社(天照大神荒魂)の南宮(出張所)と言うのが本来のポジションです。