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2017年10月10日火曜日

韮山反射炉 I

今回から世界遺産韮山反射炉の紹介編である。

大仁ホテルをでて約20分ほどで韮山反射炉ガイダンスセンターに到着。開館の5分程前であった。

入館時間は9時なのでそれまでセンターの前庭を散策する。

センター玄関口



韮山反射炉ガイダンスセンター  ガラス張りでとても見晴らしが良い。


前庭からの眺め  反射炉が見えている。



反対方向にも芝生が広がっておりその横に広い駐車場がある。早めに来ないと観光客で一杯になるというワイフの予想が当たり、帰るころには観光バスが続々と押し寄せてきた。


前庭からの反射炉を撮影する。 木々に一部隠されているとはいえ、姿形の見栄えが良い建築物です。 



定刻になったのでセンター内の見学である。

なんと、韮山反射炉にも専属のマスコットキャラがいたのである。

てつざえもんである。頭が反射炉で鼻が大砲になっているやつである。


てつざえもんは、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の構成資産の一つとして平成27年の世界遺産登録を目指す韮山反射炉のPRキャラクターとして誕生した。
新人ゆるキャラなのだ。

キャラクター設定もある。

てつざえもんは、伊豆韮山の名代官であり、政治、兵学、外交、芸術など多方面で活躍した人物、江川坦庵公(以下:坦庵公)が日本のからくり人形西洋の機械技術を融合して作り出した男の子のからくりロボット
坦庵公が存命の時には工業実験の助手をしていた。

坦庵公が亡くなる時に、日本の近代化にかける熱い思いが乗り移り、てつざえもんに魂が宿る。てつざえもん坦庵公の死後、人々に坦庵公の熱い思いを伝えている。


着ぐるみも存在する。 中に入るのが大変そうな着ぐるみだね。身長2mくらい。


ユネスコの世界遺産認定書(のレプリカ)


その訳文

世界遺産委員会
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・石炭産業
世界遺産一覧表に記載した。 とある。

他にもあるがその項目の施設の1つということである。
それがこの 幕末の最先端工場 韮山反射炉 である。早い話がこの炉で大砲を作っていたのである。



ここで韮山反射炉の基礎知識をWikipediaから取得する。

韮山反射炉


韮山反射炉

鉄フレームは1957年(昭和32年)の保存工事で追加されたもの。左端の四角の穴より燃料を投入し、その右の馬蹄型の穴より粗鋼を投入する。


韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)

静岡県伊豆の国市にある反射炉跡である。日本で唯一現存する実用反射炉であり、国の史跡に指定されている。

韮山反射炉は、伊豆の国市中字鳴滝入に現存している反射炉の遺跡。日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉萩反射炉(山口県萩市)のみであるため貴重な遺構とされる。1922年(大正11年)3月8日に敷地も含めて国の史跡に指定された。また、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された。

世界遺産に認定されて2年しか経っていない。新しい観光資源として脚光をあびている。

歴史:

1840年(天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍は海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議した。
韮山反射炉は、1853年(嘉永6年)の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定された。
1853年伊豆下田にて築造開始。翌1854年(安政元年)、下田に入港したアメリカ合衆国のマシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が伊豆韮山に変更された。
1855年(安政2年)、江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年(安政4年)に完成した。
1857年から1864年まで、反射炉本体での鋳造が行われる。
1868年、幕府直営から江川家私営となる。(以降、鋳造されたかどうかは不明)

実働は7年程で短いと言えば短い。鋳造施設の様式が古くなるんだろうね。

特徴:

幕末期の日本では各地に反射炉が作られたが、そのほとんどが失われ、当時のまま残っているのは、韮山反射炉のみである。特に韮山反射炉は、実際に稼働し、大砲を鋳造した反射炉であることが特徴である。

炉体は、外側が伊豆の特産品である伊豆石(緑色凝灰岩質石材)の組積造、内部が耐火煉瓦のアーチ積となっている。煙突も耐火煉瓦の組積で、その高さは約15.7m。築造当時、暴風対策のために煙突部分の表面は漆喰で仕上げられていた。

明治維新後、陸軍省の所管となり、錐台等の附属機械は造兵司令に引き渡された。そのため、現在残っているのは、反射炉本体のみである。
その後、反射炉は、荒れるままに放置されていたが、英龍没後50年を機に「日本における砲兵工廠の鼻祖」として保存の気運が高まり、1908年(明治41年)、陸軍省による補修工事が行われた。
以後、1957年(昭和32年)と、1985年(昭和60年)から1989年(平成元年)にかけて大規模な保存修理が行われ、耐震補強・煉瓦風化防止処置などが施され、現在に至る。

韮山反射炉では、鋳鉄製青銅製大砲を製造した。

入場券  韮山反射炉・江川邸共通券 で大人700円 高齢者割引なし。

入場券は春夏秋冬の4種類ある。


パンフ

以上Wikiでの解説をさらに詳しく説明されているのがこのパンフである。2つ折り12頁のパンフとしては立派な印刷物である。解説の詳細は読んで下さい。











センター
の展示物

反射炉の明治期、戦前、現在の姿が写真で掲示されている。



青銅製20ドイムモルチーム 2門


小型の砲筒です。

側面

洞筒の中


デジタルドキュメンテーション展が館内で行われている。



このような7面大型ディスプレイにパノラマ映像が映し出される。韮山反射炉の歴史が要領良く映像説明されている。


大砲作成のプロセスが図示されているパネル

今回はこれでおしまい。次回は実際の韮山反射炉の見学である。


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