ごく小さい神社で小さな川(風呂の川)沿いの小高い崖を開いた平地に立っている。小さな古墳のような形をしている。
川向いからの眺めた境内 木が邪魔しているが玉垣の奥の社殿が見えている。
風呂の川 通称のようで下流になると要玄寺川と名を変える。
石の鳥居
鳥居前の石碑 皇太子 御降誕 とある。 今の今上天皇のご誕生を祝って建てられたものらしい。
Wikipediaには記載がないので例によって兵庫県神社庁の記事を参考にしてこの神社の基礎情報を記述する。
ご祭神: 八幡大神 (やはたのかみ、はちまんしん)
前回にひきつづき宮司さんの演じる八幡大神。
由緒:
創立年月は不祥であるが、中世、源満仲(頼光)の四天王の1人である臼井貞光が後年この小路に永住し、源氏の守護神たる八幡大神の信仰に習って、当地に祭祀したと伝わる。
旧字地名には「小路臼井内」とあり、境外末社が臼井家屋敷内にあった事などから社地とは隣接していたものと推察せられ、その末裔が御祷講員に名を列ねている。
昭和の初めの社殿改築の際、本殿下より刀剣鎗先が多数発掘されたが、神威を惶れてそのまま埋蔵されている。また、当社地全部が、東南に面した瓢形の古墳とも思われ、社殿は往古より後円上に建てられている。
昭和の初めの社殿改築の際、本殿下より刀剣鎗先が多数発掘されたが、神威を惶れてそのまま埋蔵されている。また、当社地全部が、東南に面した瓢形の古墳とも思われ、社殿は往古より後円上に建てられている。
瓢箪型の古墳の後円部に神社の社殿があるということで、地形からそのことを納得できました。
『尼領神社書上帳』、元禄5年(1692)の『寺社吟味帳』には、社名、建物、敷地を記載し、「元禄16年(1703)1月奉納」の石燈籠の銘文には、「本庄庄、庄司村中」とあって所在地である小路は、庄司と書かれていたこともあるらしい。
それでは境内の散策である。
大小の常夜燈 異なる2種で四基ある。火袋の部分は新しくなっているが本体は古そうである。
この石燈籠のどこかに本庄庄、庄司村中という銘文があるらしい。確認はしていない。
手水舎 洗心と刻まれた手水鉢は由緒ありげです。
境内 奥に見えるのが木造屋根瓦の社殿
拝殿 板塀の民家のような趣がある。
常夜燈
狛犬二基 素朴な表情をしていて愛らしい。
拝殿前の鈴 お詣りを済ませてお賽銭を投入口に入れました。この神社も盗難にあったのかお賽銭箱は置いてありませんでした。
本殿屋根部分
石祠 何をお祀りしているかは不明。
石碑 尼崎領 の刻字がある。
オトー(御祷講)神事では、文政10年(1827)尼崎藩松平侯拝領の九曜星、桜木の紋所の入った三ッ重の木盃で神酒を戴き、当屋交替の儀式が行われた。
オトー(御祷講)神事:
毎年1月15日(現在は成人の日)に行われる。 前日、「トーヤ」二家男子にて準備に入り、15日早朝より「トーヤ」(当番)男手で調理され三宝に盛る。 キヨーの御膳-三宝の中央に円錐形に盛り上げられた白飯、鯛、オーネ(大根を蒸したもの2本、辛子を添え)、鯛と芹の煮付、鰤の刺身等 弓、矢、的を神前に供え、祈願する
それに因む石碑と思われる。
最後に注意! 決して境内に犬をいれないでください。
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