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2018年2月15日木曜日

神戸東灘区 中野八幡宮

昨日の平昌オリンピックは日本人のメダルラッシュでしたね。上の奥歯が欠けて治療に行っていて、歯石掃除のときに治療台の隣のTVで観戦していました。ハーフパイプ(もろ競技場の形です)の中継で平野歩夢が決勝で1位になり最後に逆転されて銀メダルになったのを見ました。2大会連続の銀メダルでした。凄い大技の回転ジャンプですね。

本人はピアスでヤンキー風ルーズパンツの19歳のお兄さんだったので、人は見かけで判断してはならないと肝に命じたのでした。大事故から復帰したという堂々とした気骨のある人物でした。


スノーボード男子ハーフパイプでソチ大会に続いて銀メダルを獲得した平野歩夢選手。人気の若手芸能人みたいだね。

帰宅してからスポーツニュースを見ると何と3名もメダルを獲得していました。素晴らしい活躍ですね。こちらも歯痛から解放されて元気になります。前回も記録したので今回も記録しておきたい。

スピードスケート女子1000メートルで、小平奈緒銀メダル高木美帆銅メダルを獲得した。






ノルディック複合個人ノーマルヒルで前回ソチ五輪に続いて今大会でも銀メダルを獲得。


実力を発揮した素晴らしい結果だと思います。4名ともそうですが金メダルを取れなくとも十二分の活躍をしたと思いますね。と、愛国者でTV爺さんの私は思うのであった。

さて今回は阪急岡本駅沿線の3つ目の八幡宮中野八幡宮の紹介である。前回の小路八幡宮の近くにある。もう1社岡本八幡神社があって岡本駅周辺の神社は八幡さんばかりのようです。
この神社は小さな丘の上にあり神戸薬科大の下方にあたる。

周辺の地図はこれ。 右上段の2つ目の神社である。今まで訪問した鷺宮八幡宮小路八幡宮、これから訪問予定の稲荷神社岡本八幡神社も記されています。



この神社の祭事とか管理は小路八幡宮と同じく保久良神社の宮司が行っているようである。

石畳の参道 



中野八幡神社 由緒舎



境内に通じる石鳥居からの急峻な石段  境内から写したものでこちらが本来の参道です。


どうも紹介の順序がいつもと逆になりそうなので一旦階段を降りて参拝のし直しである。

社碑常夜燈  参道前にあり真新しい。



常夜燈の並ぶ参道



鳥居前の立派な常夜燈  火袋八幡宮のトレードマークである鹿のレリーフがある。



石鳥居  鳥居の奥にある石の階段は境内につながる。



このような急な石段をエッチラオッチラ登る。往復すると足にこたえる。鍛錬不足ですな。



その登り口にある常夜燈  その形から明治初期か江戸時代末期のものと思われる。




参拝の前にこの神社の基礎情報を兵庫県神社庁の記事を参考にして記述する。

ご祭神:

天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)

今回は掛け軸。





八幡大神 (はちまんおおかみ)


今回の画像はやはり掛け軸である。三柱のセットになっているが右端の神。何度も書いたが応神天皇のことです。



配祭神:

大山積神 (おほやまつみのかみ) イザナギ、イザナミの御子
奥津比古神 (おきつひこのかみ) 竈の神様で男性
奥津比売神 (おきつひめのかみ) 竈の神様で女性
                  
以上画像は見当たらないので省略。

由緒:

創立年月は不詳であるが、「古くより八幡宮」とも、また「茨木八幡社」ともいわれた。古記録によると、暦応2年(1339)大山崎八幡宮の神人より勧請、祭祀したとも伝えられる。また、明暦3年(1657)の『御祷文書』によれば、古くより神社祭祀が行れていた事が知られる。

元禄5年(1692)の『寺社吟味帳』には、社名建物が記載され、元禄7年(1694)の『中野村明細帳』には、由来がくわしく書上げられている。元禄15年(1702)拝殿上棟の棟札及び石灯籠奉納の銘文がある。

境内末社琴浦社があり、寛政11年(1799)神主市正が勧請したと伝えられ、天保7年(1836)造営の石祠がある。里人等はマムシの神様と称え、毎年6月6日祭礼を行い、村の子供等に菓子を与え夏の日々の生活の安全を祈ったと伝えられている。

拝殿  瓦葺き漆喰塀でこじんまりと端正な姿をしている。



拝殿渡し鳥居  右側には 精 誠 通 という文字が刻まれている。何となく意味が通じますね。

左側は 於 神 明 です。 漢書にでてくる文章のようです。詳細はよくわからない。


狛犬二基  二頭身半でとても可愛らしい。


神額には由緒板が架けられている。こんなのは珍らしい。初めて見ました。


こちらの神社は賽銭箱が設置されていた。盗難にあわなかったことを祝してお賽銭を弾みました。


境内外観 




手水舎  竹筒はプラスチック製です。


由緒ありげな標石と蘇鉄  


火袋が鋼鉄製の常夜燈二基  火袋は鍵がかかるようになっている。コンクリでくっ付けてあるが面白い造形である。


相当に古い物かもしれませんね。それともあり合わせの古石を組み合わせて作ったのか?


境内末社三連社殿

左から 山神社

琴浦社  寛政11年(1799)に神主の市正が勧請した社ですね。


竈神社 

その背後に天保7年(1836)に造営されたという石祠が並んでいる。一基は崩れたままである。早く直して欲しい。


黒板塀の本殿  本殿中は全く覗けなかったので少し欲求不満。


 これでおしまい。





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