地図では駅から南東に300mほどの距離にある。すぐ分かりそうなものだが周辺の住宅に視界が阻まれていてなかなかたどり着けない。通りを行き過ぎてしまっていたのだが、道行く人も見当たらないので、公園で遊んでいた小学生にこの近くに神社はないかと尋ねてみた。知らないという答えだったが、友達が走って近づいてきて彼に知ってると聞くと二つ知っていると答えてくれた。それでその二人ともう一人の友達がついてきて案内してくれるという。有難い事なので彼らに案内をお願いした。爺さんと小学生3人の道行きである。
通りを戻りさらに南側に国道43号線まで下ったところに地蔵堂がありこれかと訊ねられたので違うというと角を曲がってつぎの神社に連れて行ってくれた。その神社こそがお目当ての八坂神社であった。
ここです。
ただ一行で、小学生が神社に連れて行ってくれた。と書くところを無駄に詳しく書いてしまった。この記事に登場をお願いする可愛い小学生であったのでつい詳しく書いた。
この本庄地域には、現在東から深江・大日霊女神社、青木・八坂神社、西青木・春日神社の三社があるが、以前は春日神社は本庄でなく山路庄に属するものであった。それで他の二社と異なり総氏神は本住吉神社になる。当青木・八坂神社は大日霊女神社と同じく総氏神は保久良神社である。今回で本庄地区の三社はすべて参拝済になる。 神戸東灘区 保久良神社
ここで青木(おうぎ)の名前の由来を神戸の空の下から引用しておく。
本庄の総氏神・保久良神社のご神体といわれる椎根津彦命(しいねつひこのみこと)が青いウミガメの背中に乗ってこの地から上陸したため、このあたりは「青亀(あうぎ)」と名付けられ、それが後に訛って「青木(おおぎ)」と変化したという伝承が残っています。実際、昔は八坂神社が鎮座している国道43号線の辺りまで海岸線が入ってきており、昭和の中頃まではウミガメが上陸していた記録が残っています。この「ウミガメ」が、神武東征時に青いカメに乗って水先案内を務めたという神・椎根津彦と本庄地域を結びつけるキーワードになったとも考えられます。
青亀(おうぎ)にうち跨った椎根津彦命
脱線したが神社紹介を始める。
朱鳥居 鳥居横にある常夜燈と手水鉢 道標らしき石塔が二本立っている。
ここで兵庫県神社庁等の記事を参考にして当神社の基礎情報を記述する。
ご祭神:
素盞鳴尊 (すさのおのみこと)
配祀神
豊受姫命 (とようけひめのみこと)
大山咋命 (おおやまくいのみこと) 前回と同じ画像です。
由緒:
天保年間、この地は青木村米屋利兵衛の所有地であったが、村中で買収し方一間春日造りの社殿を建て、天保11年(1840)正月13日神祇管領卜部良長より神明宮・素盞嗚命・松尾大明神を勧請したと伝わる。
大正2年(1913)10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神・大物主命を祀った。
大正2年(1913)10月11日、八坂講を組織し神明造りの社殿や社務所を造営し、末社として天満天神・大物主命を祀った。
見栄えはしないのですが180年もの歴史をもつ神社です。阪神淡路大震災での倒壊は免れたようです。
本殿 ここには素盞鳴命と神明宮(天照大御神)が祀られている。
お賽銭箱は外に置いていない。格子戸の所に穴が開いていてそこからお賽銭を入れるようになっている。いつものように10円を入れ鈴を鳴らし2礼2拍1礼を行い家内安全を祈った。小学生にも10円を渡してお祈りして貰った。
拝殿の鈴
本殿側面 拝殿と本殿が一緒になった神明造りである。
拝殿前 狛犬二基 ギョロメの獅子
東末社社殿 大物主命と恵比須神を祀る。ご祭神の一柱である恵比須神は浜手にあった戎神社を合祀したもの。お賽銭はガラス格子扉中央の穴からひっそりと入れる。
本殿裏手 神社に案内してくれた親切な小学生。 有り難う ハ~イ ピース。 もう一人はどこかへ走って行っちゃった。
西末社社殿
住吉大神・八幡大神・保食神・事代主命・天満宮(菅原道真公)・武内宿禰・猿田彦命・金毘羅神を祀っている。連合社殿で神々が一緒くたに祀られている。こちらもお賽銭箱は社殿内にある。
西末社前 常夜燈
西末社から眺めた境内
これです。
脇参道から本殿を望む。
これでおしまい。
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