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2018年4月18日水曜日

道の駅・銀の馬車道と東広畑古墳 

今回は養父市を訪問した帰りに立ち寄った道の駅 銀の馬車道・神河町東広畑古墳の紹介である。神河町は4年前に銀の馬車道を探索するために訪れたことがあります。あの頃はホント元気でした。ブログでも長い訪問記事を書いたことがあります。銀の馬車道 をご覧になって頂ければ銀の馬車道の歴史などが分かります。

銀の馬車道は昨年平成29年4月に「日本遺産」に認定された。村おこしには良い事ですね。


道の駅 横の河原に植えられている桜  この時はまだ満開でお花見の家族づれもいましたした。


道の駅 銀の馬車道・神河町  国道312号線沿いにあり広い駐車場をもつ。


茅葺屋根の民家風ショップがあるのですが改装中のため休業していました。少し残念。


昨年11月にオープンした時はこのようでした。


広場  ショップは隣の瓦屋根の家で営業していました。 屋台のたこやきの店もでています。


構内にまつられていた 北向地蔵 の社


道の駅 付近の景色 田園地帯ですね。


つぎは息子が車で走っていて目ざとく看板を見つけた東広畑古墳の紹介である。全く知らなかった播但地方の古墳です。

田圃の中にポツンとあった。


福崎町の広報による解説記事:

圃場整備に伴い調査した場所から古墳の形を示す地形か見つかりました。そこから直径約16mの円墳と考えられます。この古墳は今から約1400年以上前に造られたものです。 入口が西を向く古墳は珍しく、おそらく西にある西広畑遺跡に住んでいた人の墓ではないかと考えられます。 平成20年度に古墳公園として当時に近い姿に復元されています。

東広畑古墳


入り口には鍵がかけられていて中には入れない。覗いて見る。

内部の部屋は石積みになっていて中央に石棺(発見されたものではなさそうだ)が置かれている。これだけです。


これでおしまい。

2017年8月2日水曜日

神戸東灘区 JR住吉駅周辺 I

神社シリーズがつづいたので一休みして、今回は同じ神戸紹介シリーズだがJR住吉駅周辺の紹介の1回目である。 JR住吉駅から六甲ライナー下を線路沿いに歩くとすぐ はにわの広場にでる。

広場の中央にある馬形埴輪像



家形埴輪像

この広場には、線路側の壁面に住吉宮町遺跡住吉東古墳の説明板がある。


Wikipediaによると次のように説明されている。(住吉宮町遺跡 より抜粋)

住吉宮町遺跡

JR住吉駅周辺、兵庫県神戸市東灘区住吉宮町3・4・5・6・7丁目、住吉本町1・2丁目、住吉東町4・5丁目にわたって所在する東西750メートル、南北650メートルの弥生時代近世複合遺跡である。
包蔵地面積22万m²。住吉川右岸の完新世に形成された標高20メートル前後の扇状地に立地する。

弥生時代中期・末期竪穴住居前方後円墳坊ヶ塚古墳と帆立貝型式前方後円墳
住吉東古墳を頂点とした古墳時代後期の古墳群や奈良時代・平安時代・中世の集落
などが発見されている。
また、幾重もの洪水砂層や洪水時の流路・土石流など洪水の形跡が確認されている。


歴史的に見ても何度も洪水に見舞われている。地形上致し方ないのでしょうね。

周辺の遺跡地図



遺跡の調査場所  1988年の第1次から1998年の34次まで調査が行われた。




住吉東古墳

弥生時代中期・末期
の竪穴住居や前方後円墳坊ヶ塚古墳と帆立貝型式前方後円墳
住吉東古墳を頂点とした古墳時代後期古墳群や奈良時代・平安時代・中世の集落
などが発見されている。
また、幾重もの洪水砂層や洪水時の流路・土石流など洪水の形跡が確認されている。



復元した古墳と出土品のパネル写真


はには広場の南側のシーア駐車場では帆立貝のような形をした古墳が発見され、住吉東古墳と命名されました。
昭和63年度の発掘調査の結果、全長約24mの帆立貝式古墳であることがわかりました。
墳丘の周囲に円筒埴輪が多数出土しました。立て並べられていたと考えられます。
出土品は馬形埴輪1点、家形埴輪1点・人物埴輪3点・円筒埴輪約160点・朝顔形埴輪約10点です。馬形埴輪は、鞍や馬具の表現から乗馬用の馬を表していると考えられます。


はにわの広場には花壇があり、ムクゲの花が咲き誇っていました。

黄色い花のムクゲ



ピンクの花のムクゲ

はにわ広場から眺めた六甲ライナーの橋桁


線路沿いの花壇 

街角を花で飾り、神戸の街全体を豊かに彩る」をモットーとする、みどりの市民活動の一環で、管理は緑化コミュ二ティ四季が行っている。

この花壇をぬけると、水車広場にでる。

線路際に板塀がつづきその中央に水車の模型がある。住吉川水系には、大正初期の最盛期には、約80箇所水車場に約1万個の石臼が据えられていたと言われる。




水車を描く浮世絵のパネル  天保 7年(1836)に描かれた水車による精油所とのこと。



水車は勿論精米にも使われた。

引き石臼(ひきいしうす)



胴搗き臼(どうつきうす)
線香の原料を粗く砕くのに使用された。


米搗き臼(こめつきうす) 
酒米を精白するのに使用された。

水車広場を進むと六甲ライナーの橋桁が頭上にくる。


この先は住吉川である。


JR住吉駅周辺 I はこれでおしまい。 次回の II は、石の彫刻編である。

2017年7月21日金曜日

神戸長田区 平忠度の胴塚と腕塚

長田区駒ヶ林探訪の最終回である。今回は平忠度胴塚腕塚の紹介である。駒ヶ林の周辺マップに記載されているが、胴塚はまだしも腕塚は実に分り難いところにある。

胴塚は、神戸市長田区野田町8丁目にある。説明しにくいが、幸殿社から南東に歩みを進めてすぐのところ、民家が立ち並ぶ一角にある。伍魚福(ごぎょふく)の隣である。

平忠度胴塚 と記された立札


ここでその由来を説明する。

平忠度は、天養元年(1144年)伊勢平氏の棟梁である平忠盛の六男として生まれる。平清盛の末弟にあたる。歌人としても優れており藤原俊成に師事した。 (by Wikipedia)

一の谷合戦において、平清盛末弟・忠度は西の城戸口・一の谷大将軍であった。
敗れて駒ヶ林めざして落ち行く途中、源氏方岡部六弥太忠澄と戦い、忠澄の首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に右腕を切り落とされた
忠度はついに静かに念仏して討たれた。箙(えびら:矢を入れる武具)には、

「行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひの主ならまし」

という歌が書かれた紙片が結ばれていたことで、平忠度であることがわかったという。


平忠度(小林清親画)


胴塚忠度の胴を埋めた所と伝えられている。

平忠度胴塚を祀る家屋  休憩所みたいで有難味に欠ける。




胴塚の説明板



由来 

薩摩守平忠度(1144年~1184年)は平清盛の末の弟で、文武に秀でいでた将に平家「一門の花」と云はれていた。
源平一ノ谷の合戦に於て源氏の武将岡部六弥太忠澄に討たれ惜しくもこの地で戦死したが最後は駒ヶ林の辺だと伝えられている。
歌道は藤原俊成に師事し「千載集」にも詠人知らずとして採られているほど武芸にも歌道にも優れた良い武将であった。人は皆、敵も味方もこの武将の死を惜しんだ。

行きくれて木下かげを宿とせば 花やこよいのあるじならまし(旅宿花)
さヾなみや志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな(千載集)



胴塚の石碑

石碑は、1917(大正6)年に地元の自治会が中心となって建立したものです。阪神・淡路大震災では倒壊し、2メートルほどの高さの碑は割れてしまったままでしたが、神戸市教育委員会が地域史跡に認定したことで再建の機運が高まり、地元の方々や企業の協力によって修復が進められ、2003(平成15)年7月8日に除幕式が行われました。
(神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ より引用)

正四位下薩摩守平朝臣忠度墳 と刻んである。


家屋の奥には、源平合戦で戦死した名もない兵士の塚や、お地蔵様お玉大明神の石碑などが安置されている。


石灯籠も置かれているが、見るべきはこれだけです。

ここから東に約300m離れた駒ケ林4丁目には、平忠度腕塚堂がある。この腕塚堂は実にわかりにくい場所にある。近所のおばさんに教えて貰ってようやく行きつくことができた。

腕塚堂の案内板  これを見て道を探したのだが分かりにくい。南に60m下ると書いてあるが、道が入り組んでいて迷ってしまったのだ。


途中にあった地蔵堂

分かり難いはずで、民家が立ち並ぶその中にあった。しかし気が付いてみれば、蛭子神社の向かい側にあったのだ。

腕塚堂の説明板



平忠度の切り落とされた右腕を埋めた場所が、この腕塚と伝えられている。それから転じて、お祈りをすると腕、腰、足の痛みがなおると信仰されている。



供養塔  通行の邪魔になりそうな供養塔です。

腕塚堂


堂の内部


平忠度卿御廟所の石碑


堂の壁内に祀られている沢山の地蔵尊


手水鉢


石灯籠  忠度塚と刻されている。



これでおしまい。

2017年1月8日日曜日

エジプトの遺跡

エジプトは5000年の歴史を持つ古い国家である。特に古代エジプトクレオパトラの名前を出すまでもなくローマ帝国と肩を並べる大国であった。

今回は古代エジプトの遺跡を紹介しよう。有名どころの遺跡を写真で見て行こうという訳だ。勿論実物は見ていないが、近い将来見れたらいいなという事である。(後注:12月30日時点での記述)

それでは始める。

ナイル西岸

王家の谷


ツタンカーメン王の墓


ハトシェプスト女王葬祭殿


メムノンの巨像


ネフェルタリ王妃の墓  その壁画



ナイル東岸

カルナック神殿

ルクソール神殿




エドフホルス神殿


コムオンボ神殿


アブシンベル大神殿


アブシンベル小神殿


ギザの三大ピラミッド


クフ王のピラミッド




クフ王のピラミッド内部


カフラー王のピラミッド


メンカウラ―王のピラミッド


スフィンクス


メンフィスラムセス2世の巨像


アラバスター石製スフィンクス


ジョセル王の階段ピラミッド


マスタバ墳


スネフル王赤のピラミッド


スネフル王屈折ピラミッド



ウナス王のピラミッド 



ここまで来ると遺跡の並べ方が恣意的だとお思いでしょうね。その通りで某旅行社のエジプトツアーの観光順に並べました。これらを実際に見てきます。(注:2016年12月31日の記述)

実はお正月にワイフと息子2人でエジプト観光に行って来ました。以上全ての遺跡群を実際この目で見てきました。ワイフにはお医者さんからの許可も出て、1年ぶりの楽しい海外家族旅行でした。月並みな事しか書けませんが、凄かったです。感動的でした。
そのリアル観光記は準備が整い次第始めます。(注:2017年1月8日の記述) これでおしまい。