福岡伸一の書いた 世界は分けてもわからない 講談社現代新書
青山学院大学教授、分子生物学者
を読み直していて、扉ページにある ヴィトーレ・カルパッチョ作のコルティジャーネ を巡る話を思い出したので、今回はこれを紹介したい。 Wikipedia によると、
ヴィットーレ・カルパッチョ(Vittore Carpaccio, 1455年頃 - 1525年頃)
イタリア、ヴェネツィア派の画家で、同じくヴェネツィア派のジェンティーレ・ベッリーニに師事した。風景描写に優れる。カルパッチョはとりわけ、「聖ウルスラ物語」として知られる、9枚の絵画よりなる連作で著名である。
コルティジャーネは、ルネサンス期のヴェネツィアを謳歌した高級娼婦です。
日本の花魁のような感じで、サロンで貴族を相手にして高級な会話を楽しむ娼婦ですね。
ミクロな部分だけでは、全体像を知ることは難しいということを説明するため、彼はこの絵画を例として与え、文学的に解説している。
須賀敦子の書いたエッセィが導入になる。 彼女は、ヴェネツィアのコッレール美術館の赴く。 有名なヴェネツィアの娼婦を描いたコルティジャーナを見るためである。
彼女の歩いてきた道筋をたどり、著者もまたこの美術館を訪れ、つぎのように書く。
二人の女。高級娼婦たち。・・・・ この絵全体を支配する言いようのない虚無感だ。女たちは何かを見ているようでその実、なにも見ていない。・・・・ ヴェネツィアで贅沢を極めた生活を送っていた女たちが見つめる空疎さ。
ところで、須賀敦子は美術館のカタログを読み意外な事実を知る。大理石の欄干に置かれた花瓶の家紋の分析により、ここはトレッラ家という由緒ある家系の館らしい。とすると、この絵の二人は、旧家の普通の婦人かもしれない。でも絵を鑑賞する限り、そうは思えない。そして彼女は、トレッラ家の男が、彼女たちを館の1つに住まわせていたに違いないと思い至るのである。
この判断は正しいかどうか不明である。 美術評論家は、旧家の婦人としてタイトルを 『二人の貴婦人』に変更している。
著者の考えは須賀敦子に賛同するのだが、もう一つの隠された秘密について話を進める。
この絵の上部の花瓶には花が活けられているが、その花(ユリ)は描かれていない。
結論からいうと、同じ画家による、米国ロサンゼルス郊外のポール・ゲッティ美術館所蔵の絵『ラグーンのハンティング』 とこの絵はもともと一枚の絵だったのだ。
左隅にユリの花が不自然に描かれている。 画商によって真ん中から上下に切断され2枚の絵として売りさばかれ、一枚はヴェネチアに、そしてもう一枚はロサンジェルスに在ったのだ。
2枚の絵がもともの1枚の絵であると分かったのは 『ラグーンのハンティング』が描かれた木製パネルの底辺にのこぎりの刃が往復した跡が残っていたからで 断面が『コルティジャーネ』と一致し 二つの絵は 写真上の如く 一つに繋がりました。
話はまだつづく。 2枚貼り合わせてもまだ不自然である。
更に検証した結果 各々の絵には蝶番の跡もあり この縦長の絵は屏風のように蝶番でつながれた左半分が存在したことも判明しましたが 左半分の絵は所在が分からぬままとなっています。
左半分には、パトロンのトレッラ家の男性が描かれていたのかもしれぬ。
ひょっとしたら、左半分だけでなく、何枚もの組の板絵の一部かもしれない。「聖ウルスラ物語」のようにね。
部分だけでは、全体を捉えきれないという話でした。 趣味の論文書きを再開したが、内容がまとまらない。部分的にはうまく計算できるが、これという結果に到達しない。全体が見えてないからだろう。似た状況ですな。 今回はこれでおしまい。ごきげんよう。
須賀敦子の旅路・大竹昭子著/文春文庫を読み終えて、巻末の福岡伸一氏の解説を読む中で、くだんのヴィットーレ・カルパッチョ作の「コルティジャーネ」が気になりました。私も一度訪れたことのあるLAのゲッティ美術館にある「ラグーンのハンティング」の下の部分であることが。
返信削除そして福岡伸一氏の著書から中桐様のこの日記を見つけることができて、うれしいです。この婚礼家具の扉の絵の左半分は果たしてどこにあるのか、出てきてほしいです。そうすれば割り符完成=解ですね。