朝は、母親の家で食後の皿洗いを済ませ、家に戻ってからは昨日使った皿洗いと洗濯の干し物をし、先日借りてきたDVDを郵便返却し、10時には自宅をでて11時に垂水の息子の店につく。そこでまた皿洗いを3時半までする。ここでは、皿洗いといっても、お客の使った皿や丼、コップだけではない。大なべや電気釜、フライヤーといってカツを揚げる大きな油槽も洗うのである。立ち仕事の重労働である。体力の落ちたのを自覚している爺さんにとって、休み休みでやらないと辛いものがある。その上無給奉仕である。昼飯のパンを差し入れたのも、私の自己負担である。
それでやっとこさ終わったと思って、JR六甲駅に帰るわけだが、コープで母親に頼まれていたスティックパンを購入しついでにお弁当も購入。私の夕食と母親の翌日の昼飯である。買い物を済ませて、バスで自宅に帰り、品物を母親に送り届け、家でシャワーを浴びてから洗濯物の取り入れ。それから、ソファーで一休みの読書。6時ごろだったが、ウトウトとしたのでベットに横になると熟睡してしまった。目がさめると8時半。今日は、何もしていないではないか!
とりあえず孤食のグルメを始める。買ってきた夕食弁当を食べる。ちょっと奮発して、銀たらの和食弁当1000円である。それと、缶ビール。なかなか美味しかったですね。
(これは、実物ではない。実物は、写真を撮ることなく速攻で食べきりました。)
3日前に、赤鳥のガラ100円を買ってきて、鳥スープを作った。骨には身も沢山ついているので、毟って酒の当てにできるのである。そんな作業は好きで、全て食べちゃいました。スープは、お汁とか、冷凍食品の味付けにも使った。その時に使った寸胴鍋やほかの大鍋が洗ったままだったので、取り入れをする。
それで気が付いたら9時。このブログを書いている現時点である。なんという一日であろうか。
弁当を食べながら読んでいたのは、
池波正太郎著 おもしろくて ありがたい PHP文庫
でした。いつもの100円本です。
池波正太郎のエッセイ「日曜日の万年筆」から。
いかに充実した一日を送ろうとも、その時間の速さには、
あらためて瞠目(どうもく)せざるをえない。
疲れきっているときは、すぐに眠ってしまうけれども、
たいていは、自分の人生に残された、わずかな歳月のことが脳裏に浮かんできて、
(人間の一生なんて、はかないものだな・・・・・・)
と、平凡なことを飽くことなく想う。
と、このような心境になったのである。老人には、あっという間に時間が経ってしまうのだ。
明日は祝日で、午前中客が多いかもしれないということで、明日もまた皿洗いに駆り出だされるのであった。
こんなつまらん記事を書くのに、1時間もかかってしまった。明日こそは、お勉強をせねば・・・。
これで今回はおしまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿