わらべ歌のコーナー 満開の桜の下で読書をつづける二宮金次郎。
わらべ歌の舞台にふさわしい民家。
日本のわらべうたには、遊びの歌と子守歌があり、それらは子どもの暮らしのなかで、古くから歌い継がれてきました。
唱歌のコーナーでは、昔の小学校が再現されている。
小学校の玄関
小学校の廊下。走ってはいけません。
唱歌の歩み 作詞家や作曲家たちのプロフィール。
2階への階段 手すりが懐かしい。上り口にアーチ型の敷居がある。素敵な設計です。
教室。かっての小学生が唱歌 夏は来ぬ を歌っておりました。
そのかっての小学生が好きな、宗次郎によるオカリナ演奏。おまけ付で、他の唱歌もあります。
それでは、引き続きわらべ歌や小学唱歌で、どのような歌が歌い継がれてきたかを、聞いてみよう。
まづは、大こくさま。鳥取駅前にも銅像がありましたね。鳥取、倉吉、由良旅行 III
その解説。
見にくいと思われるので、Wikipedia等を参考にして要約する。
童謡『大黒様』(だいこくさま)は、1905年(明治38年)「尋常小学唱歌 第二学年」上に掲載された文部省唱歌。
歌詞では、大黒様(大黒天)として信仰されている大国主命(オオクニヌシノミコト)が登場する日本神話「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」のストーリーが描かれている。
作詞者の石原和三郎と作曲者の田村虎蔵は、他にも『金太郎』、『花咲爺(はなさかじいさん)』などの日本の昔ばなしの歌を、この童謡『大黒様』と同じく両名のコンビで作曲している。
ついで きんたろう。
その解説。
要約
『金太郎』は、作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵による日本の唱歌。
明治33年(1900年)『幼年唱歌』に掲載された。
金太郎にまつわる伝説はいくつか存在するが、金太郎が祭られている静岡県駿東郡小山町の金時神社に伝わる物語を紹介する。
時は天暦10年(956年)5月、宮中に仕えていた坂田蔵人(くらんど)は、彫物師十兵衛の娘、八重桐(やえぎり)と結ばれ、金太郎が生まれた。
まもなく坂田蔵人は亡くなってしまうが、金太郎はすくすくと成長。足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育った。
茶摘
その解説。
要約
『茶摘(ちゃつみ)』は、1912年(明治45年)に発表された日本の童謡・唱歌。
作詞作曲者ともに不詳。
京都の宇治田原村の茶摘歌を元に作られたとされ、歌詞の二番にある「日本」は元々は「田原」だったという。
故郷
鳥取城のお壕の通路入り口に石碑がありましたね。岡野貞一の作曲である。
その解説。
要約
1914年(大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用で発表された。
長らく作詞作曲者不明だったが、昭和40年代に高野辰之、岡野貞一と同定され、平成4年からは音楽の教科書に両者の名前が明記されている。
歌は高野辰之が、故郷の情景を思い描きながら作ったといわれている。一番はこきょうにしぜんを、2番は故郷の人々を、三番は自分と故郷とのかかわりを読むという構成になっている。
童謡 - ふるさと については、鳥取、倉吉、由良旅行 I の動画を見てください。
鳥取の音楽家たちのコーナー
解説では、
ここでは、代表的な三人の音楽家、田村虎蔵、永井幸次、岡野貞一の輝かしい業績をたたえます。
とあるが、写真では田村虎蔵、岡野貞一の2名しか写っていない。 大失敗である。それで、パンフの写真でその失敗をカバーする。
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年2月16日 - 1941年12月29日)
Wikipedia による彼の生涯。
・1878年、鳥取県邑美郡古市村(現在の鳥取市)に士族岡野平也の子として生まれ、実父を幼少期になくし貧困の中で育つ。
・1892年、キリスト教徒として鳥取教会(現在:日本基督教団)で洗礼を受け、翌年、岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習った。
・1895年、岡山の薇陽学院を中退し、上京して同校に入学、1900年に卒業。
・1906年、東京音楽学校助教授、1923年に教授(声楽)となり、1932年に退官するまで音楽教育の指導者の育成に尽力した。
・1918年より文部省編纂の尋常小学唱歌の作曲委員であった。
約40年にわたり東京の本郷中央教会(明治・大正期には本郷中央会堂と呼ばれた、カナダメソジスト系の教会)の教会オルガニスト(聖歌隊も指導)であった。
・1941年、日本大学附属病院で死去。63歳没。
実際は、岡野・高野というコンビが一連の小学唱歌を実際に作ったかどうかの根拠や実証は不十分らしい。間違いはないだろうが、自筆原稿の発見による作者確定などの学問的な作業は今だなされていないようである。 Wiki 岡野 貞一 参照。
全国各地に、ふるさと の歌碑がある。
その主な作品
高野辰之の詞によるものは(*)印
- 故郷(*)
- 春が来た(*)
- 春の小川(*)
- 朧月夜(*)
- 紅葉(もみじ)(*)
- 日の丸の旗(*)
- 桃太郎
- 夕やけ
- 児島高徳
- 三才女
うたの広場コーナーでは、子どものうたに関わった郷土の音楽家を顕彰している。
この時は、生誕百年 保田 正展をやっていました。
保田 正
大正4年、東伯郡関金町(現倉吉市関金町)安歩に生まれる。稲葉小学校、角盤高等小学校、鳥取県師範学校(現鳥取大学)を経て、12年に武蔵野音楽学校(現武蔵野音楽大学)を卒業する。
昭和21年から、子供オペレッタ、放送劇等の作曲を続ける一方で、25年から46年にかけて「さくら子供会」を主宰し、NHK、民放、レコード等で活躍する。
昭和26年に日本ビクターの専属作曲家となり、多くの童謡レコードを制作する一方、木村信之氏、足羽章氏とともに「七夕会」を結成し、東京で活躍する鳥取出身の音楽家・音楽教育関係者が親睦を深めた。
昭和22年から63年まで、武蔵野音楽大学講師(作曲理論)として教壇に立つ。
「日本童謡の会」副会長として、童謡の普及と指導にあたる。
平成17年に89歳で没する。
童謡のコーナー
大正時代のグランドピアノ
ドレミ♪ランドのコーナ
音であふれる「ドレミ♪ランド」。歌をうたったり、楽器で遊んだり・・・ みんなの心が思いきり解放されるワンダーランドです。
誰も遊んでいませんでした。
館内の説明は、これでおしまい。
館の外にでると、外壁にからくり時計がある。時計の中心部は、太陽と子どもを描いたレリーフとなっている。イタリアのサンタマリア・ノベッラ教会の壁画を基に、子どもの想像力を象徴して描かれたものだとされる。
これがその拡大画像。
時間になり、動きだした。
円盤が回転して、大こく様や金太郎などが登場する。
その動画
わらべ館 からくり時計 10時
館外の様子。
突如煙を吹きだす赤色たまご。
広場の階段
花が見当たらないということで、プランタンのパンジー。
モビールですね。
これで、わらべ館の見学記はおしまい。たっぷり、童謡を聞いたので良しとしよう。
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