本来は、神戸市営地下鉄海岸線全線の駅構内を紹介するための取材だったが、途中和田山駅
で降りて真光寺を再び見学したのである。以前兵庫の神社仏閣巡りをしたとき、時間不足で取材できなかった。 やっとこれで約1月半かけて、兵庫の主だった神社仏閣は記事にしたことになる。
兵庫住吉神社、御崎厄除八幡宮、三石神社
兵庫新川運河と清盛塚
和田神社
兵庫 薬仙寺
柳原天神社と満福寺
兵庫大仏
兵庫柳原 福海寺
柳原恵比寿神社
写真だけは、みっちり写してきたので真光寺の写真紹介を始めたい。
真光寺は、清盛塚の西隣りにある。地下鉄和田岬駅からは、兵庫運河にかかる
清盛橋を渡り10分足らずの距離である。
清盛橋には、このような源平合戦や平家物語などのレリーフ彫刻が飾られている。これは平敦盛と思える。
レリーフの全部は写してなかったので、念のため調べてみた。都合3種類ありました。
源平合戦
その途中にある時宗の普照院。
近代的な新しい建物です。
お寺の上り口にあるお地蔵さま。
時宗 真光寺(しんこうじ) 見どころの沢山あるお寺です。
パンフ
入り口には、一遍上人終焉の地の石碑がある。
真光寺は時宗の仏教寺院であり、時宗は13世紀に一遍上人の開宗した浄土宗の一派である。
伊予守河野家の出身とされており、鎌倉時代に踊りながら念仏を唱える『踊り念仏』で
各地を遊行した仏者として有名。
Wikipediaによると、いささか不十分だが、このように書かれている。
真光寺 | |
---|---|
所在地 | 兵庫県神戸市兵庫区松原通1丁目1-62 |
位置 | 北緯34度39分51.5秒 東経135度10分12.4秒 |
山号 | 西月山 |
宗派 | 時宗 |
本尊 | 阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩 |
創建年 | 仁明天皇(833年~850年) |
開基 | 恵萼 |
中興年 | 建治2年(1276年) |
中興 | 一遍上人 |
札所等 | 福原西国三十三箇所 第33番札所 清盛七弁天 真野弁天 |
文化財 | 「紙本著色遊行縁起」(重文) |
真光寺(しんこうじ)
神戸市兵庫区にある時宗の仏教寺院。
仁明天皇(833年~850年)のころ、恵萼が唐より観世音を持ち帰り、和田岬で船が動かなくなったので、堂を建てて祀ったのが始まりという。
歴史:
- 建治2年(1276年)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。
- 正応2年(1289年)8月23日、一遍上人51歳で遷化。
- 遊行2世他阿上人が寺を建て、伏見天皇から真光寺の名を賜り、時宗の寺となる。
- 慶長年間(1596年~1614年)除地の黒印を得、「大道場屋敷分事」として仏堂・僧堂など34とある。
- 元禄5年(1692年)の届書には大徳院・法林院・慶重院・善長庵・乾寮・竜蔵庵・陽徳院・常徳院・養生庵などの塔頭を記録している。
- 天明8年(1788年)の記録によれば、塔頭には陽徳院・宝積院・修善院・西北院・聖徳院があった。
- 昭和20年(1945年)の神戸大空襲で全伽藍を焼失。清盛七弁天の真野弁天は大日堂にあったという。
入り口にある大檀林の石碑
真光寺の境内案内図。
この案内図に従って見学をする。
鐘楼
境内
観音堂
かつてこの寺には、平清盛が厳島神社(廿日市市)から勧請した七つの弁財天のうちの一つが祀られていた。
「真野弁財天」という名で親しまれ、多くの人びとの信仰を集めていたのだが、昭和20年(1945)の神戸大空襲で諸堂とともに灰燼に帰した。
現在は新たにインドから弁財天が勧請されて祀られている。
本尊は阿弥陀如来。山号は「西月山」。
本堂には、一遍上人も祀られている。
真光寺御詠歌の石碑
本堂裏にある石灯籠と石塔
望月崋山の句碑
菊剪って われ一介の 祖廟守
大地蔵さまと六地蔵
積み上げられているお墓。阪神淡路大震災の時、崩れたものを集めたものと思われる。
その一角にあったお地蔵さま。玉泉童女とある。天保十四年卯月。
一遍上人御廟の入り口山門
廟の説明板
廟に祀られている仏陀の像。石柱には一遍上人荼毘所とある。
五輪塔の高さは195cmあり、南北朝時代のものと推定されている。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災の際に、この塔は倒壊した。ところがその際、水輪の中央部に上から彫りこんだ孔が見つかり、中から備前焼の小壺に納められた骨灰が発見された。そのため一遍の墓であることはほぼ間違いないとされている。
境内にあるお墓
河野静雲の句碑
白露や 永久(とわ)に 聖の御跡ど
遊行柳
その説明パネルには、このように書かれている。
遊行十九代尊皓(そんこう)上人は諸国遊行の途中、文明3年(1471)に下野(しもつけ)国(栃木県)那須野芦野の里で、朽木の柳に結縁(けちえん)し、南無阿弥陀仏の名号をもって柳の精霊を済度されたことは、謡曲「遊行柳」によって知られていますが、安永3年(1744)10月、浪華の俳人佐々木泉明がその因縁をたどり、その柳の一枝を一遍上人示寂の地真光寺に移し植えたもの(今は枯れてしまってありません)で、この句碑を建てています。
植えて又杖ついてみる柳かな
境内の石塔。
御膳水の井戸
寺内社である熊野権現社
真光寺は兵庫七福神のひとつである福禄寿を代表している。
また、真光寺は清盛七弁天・音楽弁天としても知られている。
これで真光寺はおしまいだが、少しだけ案内をつづける。
真光寺のお隣が須佐野公園になっていて、その中に
和田の笠松がある。
また、道行く人たちの目印とされるほどに聳え立っていたと言われ、石碑が立つこの場所より南にあるJR和田岬駅のほど近くに「笠松」という地名がつけられている。
公園の風景
これでおしまい。
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