皆小さな神社ばかりなので、すぐに見てまわることができる。Wikipediaによる記載は見られない。
城下町散策MAP
王地山稲荷大明神
縁起:
亀山藩主の松平信岑が、寛延元年(1748年)に丹波篠山から亀山藩へ転封された時、この稲荷大明神も亀山城内に勧請されました。 五穀豊穣、商売繁盛、勝負に勝つなどのご利益があると広く信仰されています。
亀岡高校のグランド横にある小さな神社である。朱鳥居が横手に2基と社前に1基建てられている。この神社は、「まけきらい稲荷」とも呼ばれている。昔、相撲大会で亀山藩の王子山と名乗る力士が連戦連勝で勝ち進んでいた。その力士の正体は、実は王地山稲荷の化身であったという伝説がある。
常夜灯
社 左にまけきらい稲荷の絵額が掛かっている。
奉納されているお相撲さんの絵額。 ピントが網に合ってしまった。撮影失敗だが仕方がない。
お狐様 玉を口に咥えている。
古世地蔵堂
この堂には矢の根地蔵(やのねじぞう)と呼ばれるお地蔵様が祀られている。この地蔵は、通常のお地蔵様と違って手には錫杖の代わりに弓矢をもっている。平家物語に記載されている、源頼政の鵺退治に因み、彼の守り本尊たる地蔵が手に弓矢をもつとされる。
地蔵堂 閉鎖されており、矢の根地蔵は拝観できなかった。
京町天満宮
本殿には、菅原道真の像が納められている。
この像は、道真本人も手を加えたと言い伝えられている。
手水舎
常夜灯と末社の祠
同じく末社の祠 共に名称は不明。
小鳥居と拝殿
かなり古い時代のものと思われる石灯籠。
社務所兼住宅かな?
何故か鉄柵で囲われている常夜灯。 誰かが倒してしまうので、その防御のため? そんなに古いものとは思えない。
亀岡祭(10月24,25日)では、山鉾が行脚するようである。
丹波亀山藩の初代藩主である松平信岑(まつだいらのぶみね)を主祭神として創建された神社である。
鳥居
ここはかつて亀岡城の大手門があった場所でもある。
亀山城下の内外は 内堀外堀惣堀の御堀と御土居で仕切られ城内から各方向に五つの城門が配置されていた。 この付近には南方向で正面大手への出入り口としての城門「大手門」があった。
狛犬二基 凛々しい狛犬である。
手水舎
神楽殿
脇社と思えるが、名称不明。 その鳥居と社。
拝殿
その正面
本殿の屋根。 本殿へ立ち入る事はできない。
この拝殿の隣に、こんなのがあった。何だろうね。中央にいるのは、土蜘蛛妖怪のつっちーみたいだね。
同じく境内に安置されていたお地蔵様数体。みすぼらしい祠でした。もう少しましなのを、作ってやれなかったものですかね。
秋葉神社
御祭神は火産霊神。
日本武尊と火産霊神を描いた絵馬
浜松藩から移封された亀山藩主青山下野守忠重公が元禄年間に浜松より秋葉三尺坊大権現を勧請した。その後、享保十七年(一七三二)に郷長杉原守建が青山忠朝公に願ひ出て下矢田村小坊主ヶ岳山上に遷移したが、旧地にも社殿は残され、今も地元の崇敬を受けている。
小さな神社です。一部改修中でした。
鳥居と社
常夜灯
この大木である。
イスノキについての薀蓄:
葉の表面が丸くふくれた樹を見たら、それはまずイスノキである。
イスノキは葉や枝に虫えい(虫こぶ)がつきやすい樹で、虫によって虫えいの形がいろいろである。大きくふくらんだ虫えい(虫こぶ)が木質化したものを笛のように吹くと音が出るのでヒョンノキという。
見覚えがありますね。
この近くに丹波亀山城外堀跡(穴太口付近)がある。
大圓寺のある場所だが、このお寺は閉鎖されていた。防犯のためだろうが、参拝できず残念。
その向かいになる、名称不明の社と常夜灯。 愛宕山常夜灯とある。
社には、やはりお地蔵様が祀られていた。
これまた名称不明だが、民家の庭らしき場所に社の鳥居の連なりがあった。
これで亀岡 神社編はおしまい。 また、念願の出雲大神宮にお詣りできたので、その記事はページをあらためて紹介したい。
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