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2015年11月15日日曜日

風刺画家 J・J・グランヴィル

今回は、以前紹介したラ・フォンテーヌ「寓話」の挿絵画家であるJ・J・グランヴィルの記事である。Wikipediaには、短い解説がある。それを引用しよう。  ラ・フォンテーヌ 寓話の挿絵

J・J・グランヴィル



J・J・グランヴィルJ.J. Grandville、1803年9月13日 - 1847年3月17日)

フランスの風刺画家である。本名は、Jean Ignace Isidore Gérard

フランスの南東、ナンシー生まれ。
筆名の「グランヴィル」は役者をやっていた祖父母の芸名から名づけた。絵についての教えは画家の父から学んだ。
21歳のときパリに行き「Les Tribulations de la petite proprieté」と題したリトグラフ集を出版。その後「Les Métamorphoses du jour」(1828-1829年)で名声を確立する。これは胴体が人間で首から上が動物で描かれている風刺画の作品集であった。
後年、体制に対する風刺画からより幻想的な作風に変化し、花を擬人化した作品集「花の幻想」(フルール・アニメ)、より幻想的な「別世界」などの作品集が残っている。


鹿島茂 がこの画家のファンで、本を書いている。 Amazon の紹介記事。



グランヴィル―19世紀フランス幻想版画 (鹿島茂コレクション) (大型本)
著者: 鹿島 茂

グランヴィルの全容を紹介する日本初の作品集!フランス十九世紀を代表する挿絵画家J.-J.グランヴィルの全容を紹介する日本初の作品集。
グランヴィル狂」を自認するフランス文学者・鹿島茂のコレクションを書き下ろし文章とともに紹介する第一弾。


というのが宣伝文句です。 グランヴィル―19世紀フランス幻想版画                                 


著作権に触れずに引用できる公開されている画像をあげる。








ユーモアがあって、楽しい挿絵ですね。

ところが、ハンサムでとても優しそうなグランヴィルは、貧困に苦しみ妻子を亡くし精神に支障をきたし、ついには精神病院で死んでしまったのである。

彼の略歴を書こう。 『カリカチュアの世紀林田遼右著 白水社刊  よりの孫引き


・ジャン=イニャス=イジドール・ジェラール(1803~1847年)は、1803年に生まれ、通称グランヴィルと呼ばれた。22才でパリに出て絵を描いた。後に彼は人物戯画で有名になった。

当時のパリでは、人相見が流行っており、彼の出版した版画『現代の変身譚』1828年刊は、人の顔を性格により動物に例え、動物の顔にしたものである。 19世紀のブルジュアなどをからかったものとされる。出版は1828年から1829年にかけてである。その中には、彩色石版画もある。

・本は売れ、有名になったが経済状態は、相変わらず貧しかった。その当時の契約により、原稿料が不当に安かったゆえである。

その後、故郷のナンシーに帰り、従姉妹のアンリエット・フィシェールと 結婚して三人の子供をもうける。彼は生活のため1830年から政治風刺で有名になった雑誌『カリカチュール』に風刺画を描き始める。

風刺画は、彼の本来描きたかった絵ではなかった。むしろ反権力志向の強い文学作品の挿絵や詩的な世界を描くことを望んでいた。そのため、注文でもあったがスウィフトの『ガリバー旅行記』、デフォーの『ロビンソン・クルーソーの冒険』、セルバンテスドン・キホーテ1847年)の挿絵などを描く。


彼の次なる作品『パリジェンヌ・ピトレスク』は、人を凹面鏡でディフォルメしたような奇怪な画集であった。この作品は不評であり大衆から冷笑された。そのため彼は人間嫌いになり外出もしなくなる。
         

 子供の一人が病死し、さらに追い打ちをかけるようにもう一人がパンをのどに詰まらせ死ぬ。 1842年、妻が死亡。

彼は孤独になり、精神の変調のためか、彼はまわりの風景の中に奇妙な形を見いだす。その着想を基にして、画集『もうひとつの世界』、『動く花々』(1846年)を出版する。 もうひとつの世界』ではシュールレアリズムの先駆となる挿絵を描き、詩の世界を見事に絵にしてみせた。

これらの幻想的画集は、自閉的な精神で描かれているとして、批評家と大衆に嘲りと冷笑を持って迎えられる。この事により、彼はさらに追いつめられていった。

子供や妻の死に加えて、世間的に自己を保つ術も無くし、彼の精神はついに壊れてしまう。1847年3月17日、ヴァンヴの精神病院で孤独のうちに死亡した。彼が自分で書いた墓名銘が残されている。


 ここにグランヴィル眠る。

 彼はすべての物に息吹を与え、神についで、すべての物を生かし、話させ、歩かせた。


ただ、自分だけは進む道を知らなかった。




最後のセリフには、共感を憶えますね。 画風はとてもユーモラスで、精神病院で亡くなる様には、とても思えません。人の心の闇は、外からはわからないものです。


それでは、彼の挿絵を見ていこう。まづは、彩色石版画から。あちこちから画像を収集したので、出典は記さない。問題はないと思えるが、もしあればご連絡ください。













これ以降は、単色の石版画。



















 

 







これでおしまい。

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