昨日3時間ほどだか自由になる時間ができたので取材に行ってまいりました。ようやく念願を果たした事になる。
摩耶駅は3月26日に開業した神戸では最も新しい駅です。もともとは貨物駅で、そのころ沢山の貨物列車が並んでいたのを記憶している。東灘駅と言っていたように思う。地元民としては摩耶山は遠いし、なんかミスキャストの名称のように思っていたが、近隣の施設に摩耶が広く使用されているのが理由だそうです。
JR六甲道で普通列車に乗り込んで三ノ宮方面へ1駅で着く。駅舎は改装のなったお隣の灘駅と非常によく似ている。違いは駅周辺には何にもないことで、灘駅のようにミュージアムロードに繋がっている訳ではない。
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これが駅南口の乗り場写真。右手の四角い建物がエレーベータ部分になっている。
入り口から駅2階部分につづく長いエスカレーター。かなりの高さである。
2階の駅改札
駅2階の窓から摩耶山を望む。
ここでWikipediaによる基本データの確認。
摩耶駅(まやえき)
神戸市灘区灘南通五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。
私が知りたかったのは、新駅にいたる経緯なのだがWikiにもちゃんと説明されていた。
歴史
・1972年まで東灘駅という貨物駅で、神戸港駅へ向かう支線(通称:神戸臨港線)が分岐していた。当駅と神戸港駅の間から神戸製鋼所神戸製鉄所岩屋地区(現在は閉鎖)への専用線が分岐していた。
・1972年10月に貨物取扱が廃止され、操車場に格下げされ東灘操車場となった。
・1981年には貨物輸送の削減と方針転換で役目を終え東灘信号場となった。
かってはこのような路線図であった。
・2003年12月1日の神戸貨物ターミナル駅開業により神戸臨港線が廃止されると、貨物列車や回送列車の待避(営業旅客列車を先に通すため)、異常時の列車留置に使われるようになった。
信号場は灘駅の東にあるということから「東灘」と命名されたが、所在地は東灘区ではなく灘区である。
駅の名称については、つぎのような経緯があったようだ。
・2010年12月14日にJR西日本から六甲道 - 灘駅間に旅客駅を開業させることが発表され、ひらがな表記のまや駅という仮称で表記されていたが、2015年10月2日に駅名は漢字表記の「摩耶」駅とすることが発表された。
・駅名の由来は、「摩耶山」「摩耶埠頭」「摩耶出入口」「フェニックスプラザ摩耶」など近隣施設に広く使用されており、なじみやすい名称であるためとしている。
フェニックスプラザ 摩耶
なるほどね、ということです。
・いわゆる請願駅ではなく、JR西日本が約40億円と見積もられる建設費を全額負担して建設された。
ホームは島式1面2線(内側線のみ)で、駅舎は橋上駅舎として建設された。
建設に40億もかかっているとは驚きです。さすれば灘駅も改修にそのくらいかかったんだろうね。やはりJRは資力がある。
それでは駅のプラットを見ていこう。
東側 停車しているのは、普通列車の車輛。当たり前ですな。この駅は普通列車しか停車しない。
西側
このように見晴らしが良いので、カメラで通過列車を撮っているテッちゃんもちらほらいました。
北側の駅入り口
駅前ロータリー 見事な位何もない。 あるのは駐輪場だけ。
駅北側入り口のエスカレーター
こちらは南側エスカレータより短くなっている。
駅北側からの遠景
期待したほど特徴のある駅ではなかったなあ~、で今回はこれでおしまい。
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