寺碑 泉生山 酒見寺とある
桜門 立派な門構えである。江戸時代文政8年(1825年)に再建された。200年近い歴史を持つ。
ここでWikipedia様にお寺の基礎情報を教えて頂く。
酒見寺 | |
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楼門から金堂を望む | |
所在地 | 兵庫県加西市北条町北条1319 |
位置 | 北緯34度56分8.5秒 東経134度49分46.5秒座標: 北緯34度56分8.5秒 東経134度49分46.5秒 |
山号 | 泉生山(せんしょうざん) |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 十一面観音 |
創建年 | (伝)天平17年(745年) |
開基 | (伝)行基、聖武天皇(勅願) |
札所等 | 新西国三十三箇所29番 播磨西国三十三箇所16番 |
文化財 | 多宝塔(重要文化財) 鐘楼・梵鐘(兵庫県文化財) |
酒見寺(さがみじ、さがみでら)
兵庫県加西市にある高野山真言宗の仏教寺院。聖武天皇の勅願寺。山号は泉生山(せんしょうざん)、本尊は十一面観世音菩薩、開基は行基とされる。
歴史:
天平17年(745年)、酒見明神(住吉神社)の神託を受けた行基が聖武天皇に奏上し、寺号を酒見寺として開創したと伝わる。
行基と聖武天皇
平安時代から毎年勅使の参詣が行われていた名刹は、2度全山を焼失している。
平治の乱での全山焼失(1159年)の際は二條院の勅により再建、天正年間(1573~92年)にも兵火で全山が焼失した。
平治の乱
その後、江戸時代に入り、姫路城主となった池田輝政が姫路城の守護寺に定めて援助を行う。
池田家の転封後は本多忠政の援助を受け、寛永年間(1624~43年)に幕府の命を受けた実相院降恵が再興した。
池田輝政
本多忠政
さらに江戸幕府3代将軍徳川家光が朱印寺と定め、代々将軍から朱印状を下附されて隆盛するなど、これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた。
徳川家光
数々の殿様により手厚く保護されてきた由緒ある寺院なのです。
ご本尊は十一面観世音菩薩であるが、お寺の秘仏なので拝顔できない。このようなお姿のようです。
さて境内を見ていこう。
住吉神社との間には小さな池があり、石橋でつながっている。
桜門に掛けられている額 新西国第二十九番霊場とある。
その奥には大草履が掛けられている。
正面が金堂で、参道の両側には常夜灯が立ち並んでいる。
手水舎
地蔵堂
国指定重要文化財の多宝塔
江戸時代 寛文二年(1662年)に建立。上重が桧皮葺、下重が本瓦葺であり、高さは15.4m。
屋根部分 見事な寄木の組み合わせですね。
慈母観音像
新観音堂と思えるがはっきりしない。
本堂
本堂前の金灯籠と燭台
鐘楼 県指定の文化財である。 艶やかな屋根の造りですね。
本坊の山門
本坊の入り口 住職さんの住居も兼ねているんだろうね。
庭内は手入れは行き届いていて綺麗に整えられている。
護摩堂
供養塚のお地蔵様
境内には従軍記念碑もありました。
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