大きな石の明神鳥居が道路を跨ぐようにして立っている。額束には 呉服神社 と金文字で書かれた神額が掛っている。ごふくでなくくれはと読む。
この道路がかっては参道であった。
明治時代に現在の阪急電鉄によって周辺地域が開発され、鳥居から神社までの参道は、阪急宝塚線の高架沿い、住宅街を通る道となる。
社碑
その横に由緒舎があり、呉服神社の縁起が 記されている。
大門 お隣は幼稚園で民家に囲まれた神社である。また神社を取り囲む土塀がある。玄関口はまるでお寺さんのようである。神額には左書きで 服呉 と記されている。
掲示板
西国七福神の恵美寿大神を祀っている。神戸七福神と同じようなのがある。神戸のほうはコンプリートしたが、こちらまではとても手が回らない。
本居宣長の有名な和歌が掲示されている。
敷島の 大和心を 人問わば
朝日に匂う 山桜花
「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」
いつものようにWikipediaから神社の基礎情報を取得する。
呉服神社
呉服神社 | |
---|---|
所在地 | 大阪府池田市室町7-4 |
位置 | 北緯34度49分22.5秒 東経135度25分19.5秒 |
主祭神 | 呉服大明神、仁徳天皇 |
創建 | 仁徳天皇77年 |
札所等 | 西国七福神 |
例祭 | 1月9日、1月10日、1月11日 |
呉服神社(くれはじんじゃ)
大阪府池田市室町にある神社である。 呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる。織姫・呉服媛(くれはとりのひめ)と、仁徳天皇を祀っている。
歴史・概要:
- 応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された猪名津彦命が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛が祀られている。
- 猪名の港、現在の猪名川に架かる呉服橋と絹延橋の中間地点・唐船ケ渕に機殿(はたどの)を建て、呉服媛を迎えた。
- 仁徳天皇76年に呉服媛が死去し、その翌年に仁徳天皇がこの地に建てたとされる。
- 織田信長により焼失、豊臣秀頼によって再建、現在の拝殿は昭和44年(1969年)に建てられた物。
それでは境内の参拝を始める。
手水舎 いささか塗装が剥げてきている。確認していないが現在は塗り直されていると思われる。
ご神木の楠
境内社の恵美寿神社
十日恵比寿(池田えびす)が当神社で開催されるので、境内社だが本社並みの扱いである。
拝殿
拝殿内部 祭壇に恵美寿大神を祀っているが、ご神鏡が置かれている。
拝殿前狛犬二基
呉服神社拝殿前の狛犬よりわずかに小さい。同じ境内でも社格を示しているのかもしれぬ。
呉服神社拝殿 ピンボケ気味ですまぬ。写していて気が付かなかった。
左側面はクリアに写っています。
拝殿前狛犬二基
拝殿中の祭壇 こちらもご神鏡が祀られている。
拝殿の右側面
本殿
狛狐二基
稲荷社社殿
境内社なのだが名称は不明。
境内社の天満宮 社殿前には石の明神鳥居が立っている。
天満宮の扁額
社殿の中にもやはりご神鏡が祀られている。
社殿前の狛犬二基 さらにスモールサイズである。
天満宮の守り神である神牛
0 件のコメント:
コメントを投稿