ということで、殆ど自分のために書いているのだが、せっかくブログ書きを再開したのだけど手抜きをさせて頂きました。
北円堂 こちらも八角堂だが南円堂に比べると地味ですね。
この北円堂は、鎌倉時代前期・承元4年(1210年)に再建されたもの。屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂である。1897年(明治30年)12月28日、当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定。
この北円堂は、鎌倉時代前期・承元4年(1210年)に再建されたもの。屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂である。1897年(明治30年)12月28日、当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定。
柵がされてあるように現在は入堂禁止になっている。堂内には国宝の木造無著菩薩・世親菩薩立像が安置されている。
邪魔な柵を取っ払う(柵の間から撮影しただけ)と北円堂の美しいお姿が現れる。南円塔に比べると質素な佇まいである。
西金堂跡から眺めた南円堂
見学したかった 国宝 三重塔 である。
由緒版 細い文字は消えかかっていて読めなくなっている。
国宝 三重塔
この三重塔は、鎌倉時代前期の再建(正確な建立年次は不明)とされる。本瓦葺の三間三重塔婆である。
優美なお姿ですね。近づいて屋根の構造を見る。飾りは少なく比較的シンプルである。
初層屋根部分の拡大
別角度から眺めた三重塔
素人ながら国宝の名に値する優美な建築物だと思います。
三重塔の向かいに置かれている
摩利支天石
由緒は次のようである。
「隠れ身」の術に関わる神 摩利支天 をお祀りする巨石である。
巨石は元々はこの場所ではなく、興福寺の子院であった宝蔵院にあり、そこで丁寧に祀られていたものである。現在の位置で言うと奈良国立博物館周辺に置かれていた。その後明治に入り興福寺が一気に荒廃を深める中で宝蔵院も無くなることになり、その廃寺となった敷地に巨石だけが放置されていた所を篤志家により引き取られ、その後長い期間を経て平成11年になって現在の興福寺の敷地内へと移転された。
引き取った篤志家は漢方医で医業の守り神として保管していたそうです。
再度南円堂のお姿を木々の隙間から拝んで
興福寺に別れを告げた。興福寺編はこれでおしまい。
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