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2018年4月24日火曜日

ナポリ旅行記 XLII ナポリ歴史地区 (1)

前回の記事ではヌーボ城と記したが Wikipediaではヌオヴォ城と記されているので、今回からはこちらの名称を使う。

まづWikipediaからこのヌオヴォ城を含む世界遺産であるナポリ歴史地区の解説を引用する。


ナポリ歴史地区

ナポリ歴史地区
(イタリア)


ヌオヴォ城
英名 Historic Centre of Naples
仏名 Centre historique de Naples
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (4)
登録年 1995年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法・表示


ナポリ歴史地区(ナポリれきしちく)

イタリアのナポリのユネスコ、世界遺産の登録物件名。

歴史:

ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼる。当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリス(Neapolis)と呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと考えられている。紀元前4世紀頃に古代ローマの支配下に入る。62年と79年に地震が起こり、深刻なダメージをナポリにあたえたが、復興をとげた。

11世紀にノルマン人のオートヴィル家が侵入してナポリを支配し、その後ホーエンシュタウフェン家の支配に入った。13世紀に入ってアンジュー家がこの地でナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎える。16世紀前半にアンジュー家が衰えると、ナポリはスペインの支配下に入った。

18世紀以降はブルボン家による支配を受けたが、1860年にイタリア王国へ併合され、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退した。


以上の歴史的なナポリの変遷があって1995年にユネスコ・世界遺産として登録された。

主な建築物:

これから訪問する予定の遺跡群を記しておく。既にドゥオモ(大聖堂)は拝観済みであるが、サン・マルティーノ修道院やサンタ・キアラ修道院は時間の関係で見て廻ることができなかった。次回のナポリ旅行で報告したいと書きたいところだが財政的に無理ですね。

王宮

スペイン統治時代
の17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築された。以後、ブルボン家を始めとするナポリ王の宮殿(Palazzo Reale)として使用された。



卵城

卵城(it:Castel dell'Ovo)は、サンタルチア港の小島に突出して作られた要塞である。もともとはローマ帝国のルクルスが建築した豪華な別荘であった。


北側から見た卵城 

11世紀にノルマン人のオートヴィル家がナポリを支配すると、要塞として機能を拡大する。ノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが城の名前の由来と言われている。アンジュー家統治時代には税を納めるための倉庫に使われた。


ヌオヴォ城

ヌオヴォ城(Castel Nuovo)は「新しい(Nuovo)城」を意味し、卵城と区別するために命名された。別名アンジュー砦とも呼ばれる。

13世紀にアンジュー家出身のナポリ王カルロ1世が、フランスのアンジェ城をモデルに建築したといわれている。アンジュー家支配末期に度重なる戦闘の舞台となり、大きく破損するが、15世紀から18世紀にかけて改築されて、現在に残る。正面に3つの円筒形の塔を持ち、2つの塔の間に凱旋門が建っている。



サンテルモ城

サンテルモ城
(Castel Sant'Elmo)はナポリの町を見下ろすヴォメロの丘の上に建つ。アンジュー家により1275年頃、初期の城郭が建築され、その後、アンジュー家により拡張された。16世紀には、スペイン人がナポリを支配するところになり、星型の近代城郭へと改修された。



それではヌオヴォ城の見学を始めよう。城内の見学順序だかこのスマートツアーの掲示板にあるコースにそって見て廻ることにする。




ヌオヴォ城に関するもう少し詳しい記事が世界遺産オンラインガイドにあったのでそこから更に引用する。

フランス・アンジュ ー家のナポリ王カルロ1世の命でナポリ王宮の北東に建てられたのがヌオーヴォ城です。ナポリにはデッロー ヴォ城(卵城)やカプアーノ城がありましたが、 デッローヴォ城はナポリ湾内に位置し、敵の侵入に 、カプアーノ城は港から遠すぎたため、中間地点に新たな城が必要とされたのでした。

カルロ1世の孫ロベルト王時代、城にはボッカチオなど文学者や芸術家が多く訪れ、栄華を極めたものの、その痕跡はほとんどの残っていません。次の支配者スペインのアラゴン家が改修したからです。

アンジュー家とアラゴン家は南イタリアの覇権を争う宿敵同士でした。両家の争いに終止符が打たれたのは、 1442年、アラゴン家アルフォンソ5 世によるナポリ攻略でした。

ナポリ王アルフォンソ1世となった彼は、ナポリ到着後ただちにヌオーヴォ城の全面改築を行いました。防御用の円塔5基を備えた堅牢な城は、16世紀初頭までナポリの重要な防衛拠点となったのでした。


城の地下にあるカタコンベ?  骸骨が何体もある。昔戦いで死亡した兵士の亡骸をここに埋葬したのだろうか。(注:後で調べ直してわかったが、これはポンペイ遺跡で出土したものをこの城に移設したもの。)


お城の地下構造が透明アクリル板を通して見られるようになっている。現代的ですね。


お城通路に展示されていた作品 現代彫刻で何故こんなのがある? と思いましたがこの城は市立美術館でもあるのでおかしくはないと後で思い至りました。

何せ私の好きなタイプの彫像なのですかさず写しました。



城構内  


2階階段への入り口 屋根にデカい青銅製の兜が置かれている。巨人族の兵士用である(笑)。



2階からはベヴェレロ港の様子やベスビオ火山を望むことができる。


ナポリ湾が港の前方に広がっている。

2階部分からは市立美術館になっていて壁面にはこのように金塗りの宗教画がびっしりと飾られている。このホールは武器庫であったそうです。


写実的な彫像  何かに耐えながらも(世の荒波にか?)前に進もうとする男性像


トロイの戦いなどが描かれたブロンズ製の扉



扉が破られる様をリアルに表現している。でなく本当に壊されたのが残っている貴重な遺物です。


展示作品を見ていこう。資料がないので作品の正しい説明はできない。コメントは適当に感じたままを書くことにする。イーカゲンで申し訳ない。

ヌゥオヴォ城を砦として戦闘の準備に備える兵士たちを描く絵画。



聖母マリアと幼子イエス


聖母マリア

こんな風に広い部屋ごとのスペースに絵画や彫像が展示されている。


部屋ごとに展示品の種類を変えているようです。

法王を描く絵画


お定まりの聖母マリア像

次はガラスケースに入った人物の彫像である。

婦人像 やさしさと強い意志を感じさせる表情です。勿論誰だかわかりません。王妃なのかな?


ヌオヴォ城を建設したナポリ王カルロ一世かもしれない。


法王像の様だがどなたか存じあげない。


再び宗教画  ストーリーに沿って何枚か連続的に描かれているようです。2枚のみで以下略。



天使像  凛々しい青年天使ですが背中のどこから羽が生えているんだろうね。右方の羽は羽ばたいているみたいだし・・・。




石像の部屋



ヘラクレスを描くレリーフ


この部屋で印象的であった石像を写真に収めた。

ナポリの有力者っぽいですね。


頭胸像の群  


貴婦人像

今回はこれでおしまい。

2018年4月23日月曜日

ナポリ旅行記 XLI 

ナポリ旅行記のつづきです。日にちが開くとどこまで進めていたか忘れてしまいますね。相変わらずの健忘症です。

ナポリ大聖堂(ドゥオモ)の見学をおわってからの話でした。聖堂の内部の絵画や彫刻をたっぷり鑑賞してからメトロでホテルに戻ることにした。

夕方 通りのイルミネーションが灯り始める。この通りは天使とオアシスの電飾である。


メトロのSt.Carlo 駅で乗車してToledo駅で下車。

メトロ駅構内 

ナポリ旅行記 XXXIII で紹介しましたが地下に向かうエスカレーターの画像です。



トレド通りのケバブの店でケバブ、チキンサモサ、ドリンクなどを購入してホテルの部屋で夕食をとった。日誌にはそう書いてあるがそのケバブ写真は存在しない。疲れていたので食後すぐに寝るとも記されているので、長い1日だったのでへたばったんでしょうね。


そして翌1月8日。ナポリ観光の最終日である。

ホテルのエレベーターの側面に取り付けられているディスプレイ。ホテルの部屋やフロント、レストランの画像が動画のように次々と現れる。面白かったので写してみた。




ホテルでの朝食  

私の食した料理プレート

ハム、サラミ、チーズ各種、ピーマン、パプリカ、ナスの焼き野菜、ミニトマト




そういえばデザートには洋梨がありました。これにコーヒーである。たっぷり腹ごしらえしました。


この日は終日フリーでナポリ市内の主要観光地を見尽くす計画である。

ホテルの部屋からの眺め


8時30分にホテルを出発。王宮の方角に歩いて行く。最初の見学場所はヌーボ城である。
盗難の被害に遭わないように気をつけて4人集団となって歩く。

街の風景写真

大きな砦のようなビル 
 

主要道路の1つであるトレド通り


街路樹 写真をとるのに熱心で3人のグループから遅れがちの私。


通りの交差する場所にある小広場 騎士像のモニュメントが立っている。


ヌーボ城が通りの奥に見えてきた。


山側の通り こちらは随分とすっきりしている。


新しい住宅地なのでしょうか。


ヌーボ城の周辺は修復工事中のようでした。

ナポリも地下を掘ればどこからでも遺跡が出てくるという土地柄のようです。


ようやくヌーボ城に到着。

ヌーボ城の横が王宮になる。 ここはナポリ市内観光の拠点の一つで2階建ての観光バスが何台も駐車している。 


王宮  道路際で婦人警官が挙動不審人物を尋問していました。

ヌーボ城 アルフォンソの凱旋門



アントニオ リガブエ の展覧会が城内で行われていたようです。


この画家は知らなかったのですが、サン・ピエトロ美術館のホームページでは次のように紹介されている。アントニオ・リガブエ展~Antonio Ligabue Antologica~

アントニオ・リガブエ(1899~1965)



ナイーフ派の画家、悲劇の印象派画家とも呼ばれています。
1899年、チューリッヒで父のいない子供として生まれ、ドイツ系スイス人のもとで育てられます。1913年には母と異母兄弟3人を亡くし、障害児施設へ。そこも2年で追い出され、農家で働きながら流浪生活をはじめます。18歳の時に継母との口論の末、精神科病院に入れられ、1919年にはスイスを追放されます。母の結婚相手の故郷グアルティエリに渡り、その頃絵を始めました。1928年には画家マッザクラーティと知り合い、絵に専念するようになります。1937年に自虐行為により精神病院に送られますが、1941年彫刻家マッツォーリがレッジョ・エミリア近郊の彼の家に引き取ります。戦争中はドイツ軍の通訳として働くものの、兵士を殴ったとして再び精神病院で3年間を過ごします。彼の評価が高まるのはその後。賞を獲り、絵が売れるようになり、彼の人生が映画化されるなど人生は好転していきます。1962年には軽度麻痺に襲われますが、絵は描きつづけ、1965年にその波乱の人生を閉じました。

彼の作品の一部






ゴッホのような芸術家気質の持ち主ですね。作風はアンリ・ルソーにどことなく似ている。



アルフォンソの凱旋門   塔の間にある白門は列柱と見事なレリーフで装飾されている。


凱旋門天井部のレリーフ  花紋と人頭が八角形と四角形の組み合わせたフレーム枠内に彫刻されている。


城内入場口

城構内

城の内部は礼拝堂と市立美術館になっている。内部見学は次回から始めよう。今回はこれでおしまい。