国生み神話では おのころ島=淡路島 とされているので、淡路島には 伊弉諾尊、伊弉冉尊が御祭神の神社が多くみられる。そのなかで最も著名なのが、この伊弉諾神宮とおのころ神社であろう。おのころ神社については、以前このような記事を書いた。 淡路 おのころ島神社
この伊弉諾神宮は、淡路花遍路 第五十三番 花の札所 である。
大鳥居 立て看には、 祝 日本遺産認定 国生みの島 淡路 とある。
世界遺産ならぬ日本遺産とは、なんじゃいな? と思って調べてみると、Wikiではこのように説明されている。
日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)
日本国政府が提唱した文化財を群体(点から面への展開)として捉え、従来の保護一辺倒から積極的に活用することに目的を転換した新しい施策。
この制度が作られる経緯はこのようになっている。
経緯
当初、日本遺産は世界遺産を目指す地域や文化財を対象に、世界遺産に対応するための新制度とすると発表された。これは「武家の古都・鎌倉」が世界遺産への不登録勧告を受けて推薦を取り下げたことによるもので、支援事業的な側面があった。
その後、「クールジャパン推進のためのアクションプラン」で「文化財の保存・整備や活用・発信」、「観光立国実現に向けたアクション・プログラム」で「地域の文化財等の保存・整備を図るとともに、観光資源として積極的に国内外へ発信する」、「日本再興戦略」で「地域の文化財について、保存・整備を図るとともに、観光資源として積極的に国内外へ発信し、活用する」とその方向性が示され、観光誘致や地域おこしへと重点が移行した。
まあ、町おこしの方便ですね。この神社は地理的には不便なところにあり、車でないと気軽には行けません。車の運転のできぬ私にとっては、もっと公共の交通機関を充実してほしいと思うばかりである。
Wikipedia による基本となる神社情報はこれである。
弉諾神宮 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 兵庫県淡路市多賀740 |
位置 | 北緯34度27分36秒 東経134度51分08秒座標: 北緯34度27分36秒 東経134度51分08秒 |
主祭神 | 伊弉諾尊 伊弉冉尊 |
社格等 | 式内社(名神大) 淡路国一宮 旧官幣大社 別表神社 |
創建 | 神代(日本書紀・古事記による) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
別名 | 一宮(いっく)さん・伊弉諾さん |
例祭 | 4月22日 |
主な神事 | 御粥占祭(1月15日(小正月)) 除虫祭(7月半夏生日) |
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
兵庫県淡路市多賀にある神社。式内社(名神大社)、淡路国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
所在地である旧一宮町(現 淡路市)の地名は、当社に由来する。通称「一宮(いっく)さん」「伊弉諾さん」。1月15日(小正月)には、御粥占祭のほか、淡路農林水産祭が行われる。
祭神
祭神は次の2柱である。
- 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
- 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
本来は、伊弉諾尊1柱とされたが、それでは国生みができんだろうという事で、昭和になってから
伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神を祀ることができるようになった。
Wikiの記述ではこう書かれている。
『幽宮御記』によると、祭神は「伊弉諾尊一柱也」とあるため、本来は伊弉諾尊のみを祀ったと考えられる。1931年(昭和6年)の「神社古文書写」に祭神に関する願上書があり、「当社は幽宮伝承(後述を参照)の神社で神位も一品の極位で、社格も官幣大社である。
伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神が国産み・神産みを行ったのであり、2神が祭祀されるべきであるが、明治3年(1870年)に名東県より伊弉諾尊1柱とされた。これは摂社末社が公認されるのに不当である。1930年(昭和5年)本殿を開くと伊弉冉尊も伝来のまま祭祀されていたので、資料を添えて願い奉るとの内容で伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神を祀る許可を求めたところ、1932年(昭和7年)内務大臣より「請祭神を配祀として増加の件聴届く」と許可があり、正式に2神を祀る形になった。
由緒起源
この神社は、古事記・日本書紀にも登場する最古の神社とされる。伊弉諾尊(イザナギノミコト)が国家統治の大業を子の天照大神(アマテラスオオミカミ)に譲った後、生誕地である淡路島に戻り幽宮を構えて余生を過した住居の跡に神陵を築いたことが創祀の起源とされている。
老後の隠居宅が転じて神社になった訳である。
伊弉諾大神(イザナギノミコト)と伊弉冊大神(イザナミノミコト)の2神が祀られており、さらに境内にはイザナギノミコト・イザナミノミコトの二神が宿ると言われる樹齢約900年の夫婦大楠のご神木があり、縁結びや夫婦円満等のご利益があるとされている。
境内図大鳥居横の狛犬二基
表参道 真新しい石灯篭が等間隔に並んでいる。
敬神生活の綱領 その石碑前には国歌を刻み込んだ黒御影石の石碑がある。
国歌 君が代
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
リオ五輪で何度か聞かせてもらったが、厳かで良い曲です。でもこれは皇室がいつまでもつづくようにという、余り現在の日本国民とは関係ない歌ですね。
天皇陛下御即位二十年記念の石碑
熊本県産のさざれ石
中ノ鳥居
境内には、こんな日時計がある。 陽の道しるべ と呼ばれている。
御 由 緒
古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごされたと記される。その御住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起源である。地元では「いっくさん」と別称され日之少宮・淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められている。
本殿の位置は、明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。御陵を中心として神域の周囲に濛が巡らされたと伝え、正面の神池や背後の湿地はこの周濛の遺構という。 建物や工作物は、明治九年から同二十一年に官費で造営されたものが殆どだが、神輿庫及び東西の御門は、旧幕時代の阿波藩主の寄進による。 境内地は、約一万五千坪。沖積地にあって天然記念物の大楠など照葉樹林に覆はれ、四季を彩る草木が繁茂する日本最古のお社である。江戸時代の地誌によれば、二丁四方の社地を領したとあり、広大な神域であった。
この境内では、ポケモンGO はしてはならぬと書いてあります。息子もやっておりますが・・・。
由緒舎
放生の神池
手水舎
正門
拝殿
伊弉諾神宮の額
拝殿前の狛犬二基
祓殿 まさしくお祓いをする場所です。
本殿
本殿奥
摂社、末社が六社祀られている。
の五社である。御祭神は、立て看板に記載されているので省略する。
根神社と竈神社
お酒の神様だね。拝んでおかねばならぬ。
鹿島神社と住吉神社
左右神社
岩楠神社
庵
神馬像
頭髪感謝の石碑 つるっぱげの石碑であった。未来の私の頭である。
夫婦大楠前にある鳥居
夫婦大楠 連理の翼ならぬ連理の楠です。夫婦円満に霊験あらたかです。
根元で2股に別れている。
淡路祖霊社の石碑
淡路祖霊社
その横には鎮魂碑がある。
遺品館
東鳥居
神池の中央にある延喜宮
神池の亀とカエル
社務所
西門に鎮座する狛犬二基
西門
手水鉢
国生みを詳しく図示するとこうなる。
ということで、かなり面倒なんですよね。
最後に趣味の黄昏写真。
これでおしまい。
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