とにかく記事を始めよう。新開地のバス停から市バスを乗り継いで、今回詳細は省くが板宿に着いた。
板宿本道通商店街
商店街を抜けると、すぐ横に妙法寺川が流れている。
この橋を渡り山側に向かう。八幡神社までは民家の密集するくねくねした道を通っていく。
矢印のついた標識が電信柱に貼られているので、道に迷うことはない。
道標があり、これから 八幡神社 稲荷神社道 とある。 ここからが参道になる。
このような整備されたコンクリの坂道(参道)が神社までつづく。 参道奥に2本立の渡し鳥居がある。ここからは結界に守られている。
割合急な坂である。 爺さんには一気に登るのはきついので、休み休み登っていく。
参道から5分足らずで、境内入り口の朱鳥居に到着。
真新しいしめ縄が架けられている。扁額には 板宿八幡神社 とある。
由緒舎 稲荷社もあるので朱塗りが多いですね。
ここでWikipediaからこの神社の基礎情報をゲットする。
板宿八幡神社
板宿八幡神社 | |
---|---|
所在地 | 兵庫県神戸市須磨区板宿町3-15-26 北緯34度39分46秒 東経135度7分39秒 |
主祭神 | 誉田別尊・菅原道真・大日孁貴命 |
例祭 | 5月3日(春祭)・9月15日(秋祭) |
板宿八幡神社(いたやどやはたじんじゃ、いたやどはちまんじんじゃ)
兵庫県神戸市須磨区板宿町にある神社である。
ご祭神:
誉田別尊(ほむたわけのみこと) 八幡大神として祀られている。全国の八幡神社の祀り神です。
八幡大神とは、応神天皇のことです。今回の画像はこれ。
木造誉田別尊坐像
- 菅原道真
天神様として祀られている。学問の神様ですね。 以前も服部天神宮で触れたように思うが、Wikiを用いて再説明を行う。 服部天神
平安時代の貴族であり、学者、漢詩人、政治家などの側面を持つ人物として知られている。
生前の官位は従二位・右大臣であり、没後、太政大臣の位が追贈された。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治(かんぴょうのち)を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで出世したが、時の左大臣、藤原時平の讒訴(ざんそ)によって、冤罪で大宰府に左遷され、帰京することもなく現地で没する。
死後、京の都では天変地異が多発したことから、朝廷に祟りを成したとされ、道真の怨霊を鎮めるべく「天満天神」として神格化され、以後、信仰の対象となった。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治(かんぴょうのち)を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで出世したが、時の左大臣、藤原時平の讒訴(ざんそ)によって、冤罪で大宰府に左遷され、帰京することもなく現地で没する。
死後、京の都では天変地異が多発したことから、朝廷に祟りを成したとされ、道真の怨霊を鎮めるべく「天満天神」として神格化され、以後、信仰の対象となった。
大日孁貴命(おおひるめのむち)
合祀された池の宮神社の祀り神である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の異称です。これも何度か書いたように思うが、すっかり忘れてました。
超有名神なので、彼女の画像を選ぶのに苦労はいらない。と言いながら、下の画像は以前にも選んだような気がする。でも無視しよう。健忘症もここに極まれりといった処です。
天の岩戸のシーン
境内社
合祀された池の宮神社の祀り神である。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の異称です。これも何度か書いたように思うが、すっかり忘れてました。
超有名神なので、彼女の画像を選ぶのに苦労はいらない。と言いながら、下の画像は以前にも選んだような気がする。でも無視しよう。健忘症もここに極まれりといった処です。
天の岩戸のシーン
境内社
板宿の地名は、平安時代まで遡る。
左大臣藤原時平により大宰府に流された菅原道真が九州に向かう途中のことである。
ある夜、現在の板宿に立ち寄られた際、村の人たちにより簡単な宿を板で作って、道真をもてなしたことにに由来するとされている。
また道真が大宰府で亡くなった後京都から松が道真を慕って飛んできたなどの伝説も残されている。
飛松と呼ばれ、この松の巨木は大正年間(1912年-1926年)に落雷が原因で枯死したが、その切株は菅神の飛松として境内の飛松社に奉斎されている。
これらの伝説は後世の創作と考えられる。
本来は、板井戸村がなまって板宿になったと考えられている。これらの伝説が生まれたのは道真の息子も播磨国に流されているのでこうした背景がもとになっているものと思われる。
歴史:
- 永延元年(987年)1月、菅原道真と八幡大神を鎮守神として創紀。
- 明治40年(1907年)1月26日、明神町の無格社池ノ宮神社(大日孁女)を合祀。
- 合祀された池ノ宮神社は神功皇后征韓の時、この神の誨により敏馬山の木を伐って船を造り、凱旋の時にご神体を納めたという古社。
それでは境内の参拝である。
真新しい常夜燈
拝殿 屋根は青銅葺きで立派な拝殿である。
通常は拝殿前に狛犬などが鎮座しているのだが見当たらない。お賽銭箱も見当たらない。それで今回は(いつもわずか10円だが)お賽銭をあげることが出来なかった。
木製の社額 金色で鮮やかに 板宿八幡神社 とある。
手水舎
いつもは上の一枚で手水舎はおわりだが、今回はこの龍頭(蛇口)の画像も加える。
なぜかというと、龍の口からすすぎの水がでるのだが、常にあるように流しっぱなしではないのだ。
手前のボタンを押すと龍の口から一定時間だけ水が出るようになっている。経費削減のためでしょうね。水の無駄使いはやめましょう。そこで実際にやってみました。公衆トイレの手洗いと同じ原理でした。どちらも手を清めることには変わりありません。
拝殿屋根 吊り灯籠が掛かっている。
拝殿中
拝殿の裏手に石の階段が付けられている。その両脇には、飛松天神社、池之宮大明神、八幡神社 の三社の幟が掛けられている。
奥に見えるのが本殿である。 こちらは小さいが歴史を感じさせる造りである。
常夜燈
本殿
本殿前の狛犬二基
本殿には狛犬がいました。やっぱり神社には狛犬がいないと淋しいですね。
本殿の境内にある石灯籠
祇園大神や稲荷大神などを祀る石の社 本殿の左右に祀られている。
本殿側面 後方は崖になっている。
拝殿前にある境内社の飛松天神社。
朱鳥居 鳥居のサイズにしては大きすぎる扁額が架かっている。
金塗りの地に赤字で 飛松天神社 とある。
学問の神 菅原道真を祀る社なので、合格祈願の絵馬が沢山掛けられている。
飛松天神社の由緒舎 飛松の言い伝えが記されているが、墨が薄れていて充分には読めません。
拝殿かつ本殿 垂れ幕には梅のトレードマークが描かれている。
拝殿中には大正期に枯死した「飛松」の切り株を奉斎している。
- 『摂津名所図会』に
- 「菅神飛松 板宿村の山頭にあり。
- 菅公筑紫へ趣きたまふ時、都よりここまで飛来しけるとぞ」
- とある。
拝殿左横にある稲荷社
社額は鳥居の額束には掛かっていなくて、その後方の拝殿の覆い屋にある。
富成稲荷大神、元延稲荷大神、船津加稲荷大神 の三柱を祀っている。
覆い屋の天井に吊るされた稲荷提灯の数々
社務所は宮司さんの住居になっている。そのせいもあり、神社の手入れは行き届いています。
境内からの板宿の眺め
5月3日に春季例大祭があり、その写真展が商店街奥にあるビバタウン1階であった。そこで、沢山のお祭りの写真を見せてもらいました。
その画像を探そうと検索してみると神社のホームページがあった。 板宿八幡神社
求める画像がありました。ぺージには例大祭のスケジュールが書かれていたので引用する。
8:00 発輿祭 8:30 神社出発
9:10 禅昌寺下着
10:00 和光園着
11:20 御旅所着(板宿小学校校庭)
11:30 御旅所例祭
12:45 御旅所出発
13:00 本通商店街南入口着・滝川太鼓奉納
13:15 各市場商店街
14:10 平田橋西側付近着
14:30 大手幼稚園着
15:30 育英幼稚園着
16:30 神社着 還輿祭
9:10 禅昌寺下着
10:00 和光園着
11:20 御旅所着(板宿小学校校庭)
11:30 御旅所例祭
12:45 御旅所出発
13:00 本通商店街南入口着・滝川太鼓奉納
13:15 各市場商店街
14:10 平田橋西側付近着
14:30 大手幼稚園着
15:30 育英幼稚園着
16:30 神社着 還輿祭
出発前の猿田彦による祓い
三基の神輿
滝川太鼓の奉納演奏。 傍に控えているのが猿田彦。
2014年の例大祭の動画 神輿と猿田彦の舞い、宮司のお祓いなどが写っています。
板宿八幡神社春祭り on 2014-5-3 その7
面白そうですね。来年は行ってみようと思ったのでした。 これでおしまい。
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