駒林神社の取材に行って、市営地下鉄駒ヶ林駅西出口の壁面に周辺マップで見つけた。探し出して行った訳ではない。この稲荷神社は、駅出口すぐの駒林神社へ向かう道すがらにある。
民家の立ち並ぶ一角に、小さいが青銅屋根葺きの社殿が建っている。
Wikipediaにはこの神社の記載がないので、兵庫県神社庁から基礎情報をゲットする。
駒竹稲荷神社
長田区駒ヶ林町にある商売繁盛・五穀豊穣を祈る神社である。
ご祭神: 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
稲の神様ですね。以前もこの画像を使ったような気がする。
しばしばお世話になっているサイト、神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ にこの神社の紹介があったのでその解説をそのまま引用する。
由緒:
駒竹稲荷神社のはっきりとした創建時期は不明ですが、19世紀初頭の文化・文政時代の創建といわれています。
五穀豊穣・食べ物を司る神である倉稲魂大神を祀る駒竹稲荷神社は、ここでは商売繁盛の御利益をもたらす神様として崇敬を集めているようです。御祭神の倉稲魂大神は、高取山から勧請されたと伝えられています。
高取山に鎮座する高取神社の御祭神の一柱である豊受大神は高取稲荷大神ともいわれていますので、おそらくはこのお稲荷さまを勧請したのではないかと思われます。その名残りで、半世紀ほど前までは毎年冬の時期には氏子たちが列をなし、太鼓などの鳴り物を鳴らしながら高取山の本宮まで参拝する「野施行(のせぎょう)」と呼ばれる行事が行われていたそうです。
高取神社の記事はこれです。
神戸長田区 高取神社 I 神戸長田区 高取神社 II
野施行は、冬のあいだ獲物が減って飢えに苦しんでいるであろう狐や狸たちに食べ物を施す事が功徳となり、廻り回って御利益があるという考えから行われていました。こういった風習も、駒竹稲荷神社が神戸市の都市計画事業の影響で、1964(昭和39)年10月に創建当初の鎮座地だった駒ヶ林町1丁目3の地から北に位置する現在地へと移転された後には野施行は失われてしまいました。
時代とともに風習、行事、伝統はなくなっていく。都市開発の影響は大きい。
稲荷鳥居 稲荷神社らしい朱塗りの玉垣もある。参道前に奉納と刻された石柱(鳥居)が立っている。参道は行き止まりになっていて、その奥には納屋があるのみ。
社殿(拝殿)は鳥居横にある。駒竹稲荷と記された社額がかかっている。
境内には新旧2組のお狐様がいる。
拝殿外にいるお狐様二体 新参者である。
拝殿の左右にいる屋根付きの祠にいる古参のお狐様二体。 元からあった狛狐らしく、こちらは昔ながらの迫力のあるお姿である。 砂岩で出来ているらしく、雨に打たれると劣化するのかもしれない。
拝殿天井に吊るされている稲荷提灯 正一位 駒竹稲荷大明神 とある。
拝殿のなかにもお狐様がおられる。
石灯籠
ひっそりとお百度石も立っていました。
つぎは、長田漁港の向かい側にある駒ヶ林蛭子神社である。私はこの神社の存在すら知らなかったが、駒ヶ林の周辺マップで見つけたのでした。兵庫区の柳原蛭子神社の系列かなと思った。規模では、こちらの蛭子神社はかなり小さい。 神戸兵庫区 蛭子神社
社碑
渡し鳥居
木立ちの影になってしまったが、そのすぐ奥に朱塗りの真新しい大鳥居がある。
額束には蛭子神社とある。阪神・淡路大震災で被災したが、この大鳥居は、1996年4月に再建されたそうだ。
拝殿 内は集会所にも使っている様子。
この神社もWikipediaの記載がないので、兵庫県神社庁から基礎情報を取得する。
ご祭神:
蛭子命(えびすのみこと)
大己貴命(おおなむじのみこと)
毎度お世話になっている大黒様です。
八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)
大黒さまである大国主命(オオクニヌシノミコト)の子です。
由緒: 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ より直接引用。
いつ頃駒ヶ林蛭子神社が創建されたかは定かではありませんが、1690(元禄3)年の記録には「恵比須社」という記事があることから、江戸時代の始めごろには鎮座していたことがわかります。1752(宝暦2)年の「駒ヶ林村村法式」には毎年1月25日と2月2日に行われていた祭礼を、正式に毎年恒例の行事とするよう定められたことが記載されています。
今でこそ兵庫にある柳原蛭子神社の「十日戎」が有名となっていますが、その昔はここ駒ヶ林蛭子神社で行われていた「十日戎」のほうが賑わいを見せていたそうです。
境内の案内を始める。
大鳥居から拝殿までの参道
手水舎
こちらの獅子の足元には香炉がある。
石灯籠と玉垣 玉垣は拝殿の周囲を巡らせている。
魚供養碑
海亀を供養する石碑
境内社の末広稲荷社
拝殿 お神酒が供えられていました。お狐様がこっそり飲むのかもしれぬ。
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