偏微分方程式講義の6回目の原稿である。今回は弦の振動方程式を取り扱う。ほぼ教科書通りに原稿作成したので比較的に楽な作業でした。この一週間引きこもり状態で原稿作りに励んでいたので、予定通り講義開始前までに4章をおわらせそうである。まづはメデタシ、メデタシ。
それでは6回目の原稿をアップする。
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2017年9月30日土曜日
あわしまマリンパーク II
今回はあわしまマリンパークの2回目で、淡島水族館の紹介である。
まづはプールで水泳をしているペンギンがお出迎えしてくれる。フンボルトペンギンである。どこの水族館にもいるお馴染みのやつです。繁殖力が強いのかと思いきや、実は絶滅危惧種なのである。
日本の水族館でよく見られるのには理由がある。Wikipedia より引用すると:
フンボルトペンギンは、南アメリカ沿岸地域の温帯に生息しており、日本の気候で飼育しやすいため、水族館や動物園で見かけることが多い。日本でもっとも飼育頭数の多いペンギンであり、飼育頭数は70以上の施設で1600羽を超えているといわれ、日本でのペンギンの飼育頭数の約1割を占める。この数は世界的にみても大きな数である。飼育しやすい日本の気候に加え、孵卵器で雛を孵す技術や病気の治療法を確立させ、順調に繁殖させてきた背景がある。
という事で、飼育員さんの努力の賜物で日本の水族館で元気に泳いでいるのだ。
売店前にはカエルのヌイグルミをだっこする「ラブライブサンシャイン!」のキャラがいる。足元にはそのカエルの山。このマリンパークにはカエル館がある。
淡島水族館 北入口(実は出口) テント屋根なのだが皇帝ペンギン君が出迎えてくれる。
キャッチコピー
淡島水族館は、「淡島の海」をテーマにした水族館で、淡島の周りの海で生活している生き物たちを展示飼育しています。
淡島の海をそのまま切り取ったような展示水槽(生態展示)に力を入れているので、水槽の中では飼育生物たちが求愛をしたり産卵したりと、海の中でしか見られないような自然の営みを見せてくれます。
また、水族館の2階には、ウニやヒトデなどに触れる「ふれあい水槽」や大きなタカアシガニが出迎えてくれます。
入ってすぐに目についたのが島太郎のくるくるコインゲームである。トイレではない。
「お金を入れてみてね、くるくる回って面白いよ!」
と書いてある。息子が10円を取り出して早速やってみる。10円がくるくる回りながら真ん中の穴に落ちていこうとする瞬間、息子は10円を取り上げた。只でゲームをしたわけで息子は営業妨害です。間違っても100円玉を入れてはいけませんよ。
展示水槽 浅い海を模している。 ホシエイ、ドチザメ、ツバメウオなんかが泳いでいる、あるいは寝そべっている。
それでは展示水槽の魚たちを観賞する。
岩礁を泳ぐ魚 ハタの仲間か? アズキハタかも。
砂底のキス
カゴカキダイの群泳
それを下から覗いているクエ 高級魚です。
熱帯魚も駿河湾には来るようです。ベラの仲間。
スズメダイの仲間
2階に上がると、駿河湾をテーマにして深海生物をメインに展示している。左側の壁に
深海生物の水槽が並んでいてヌタウナギなどの深海魚が展示されていた。ダイオウグソクムシもいた。しかし水槽は暗いしガラスが結露で曇っていて余計に見えない。脇にハンドワイパーが備え付けられていたので拭いてみたが変わり映えはしない。まあ深海魚は沼津深海水族館ですべて鑑賞したということで写真は省略した。
それ以外の駿河湾の魚の写真。 カワハギの仲間だが派手な模様だね。
メバルの赤ちゃん
クマノミ チョコマカ動くのでピンボケ写真しか撮れなかった。
ふれあい水槽 ウニやヒトデなどに触れることができる。
水槽にはフジツボやウニが見受けられる。貝殻も置いてある。
ドチザメ 触れてみたがやはりサメ肌でした。
飼育員達は、展示用の魚を調達するために漁にでかける。その時に様々な事件がおこる。そのファイルを写真入りで説明している。 女性飼育員さんの命がけの活躍が素晴らしい。
駿河湾 水深200mの世界を再現する。
タカアシガニ こんなのが深海を蠢いている。
色鮮やかな将軍エビの捕獲レポート
2階展示水槽を見おえて1階におりると左奥の方に大きな水槽がある。
淡島の海が再現された大水槽である。この水槽は淡島周りの海を水量100tの水槽で表わしてしている。ここでは魚たちの産卵が一年を通して見られるそうだ。
この水槽は淡島水族館の中で最も大きな水槽で、12:00と14:00の1日2回(休日は16:00を含む3回)ここで水族館お魚の解説が行われる。
飼育員のお兄さんが解説してくれます。
ここから南入口にでるが、我々は北出口から入ったので南出口ともいえる。
沿岸小道に設置してあるブロンズ像 母子像でしょうか。
同じくブロンズ像だが肉体の一部を思わせてエロチックだね。
桟橋に止まり海を眺めるカモメ そっぽを向いている。
海峡の景色 長い筏が浮かんでいる。何かの生簀でないかと思える。
これでおしまい。次回は III でカエル館の紹介である。
まづはプールで水泳をしているペンギンがお出迎えしてくれる。フンボルトペンギンである。どこの水族館にもいるお馴染みのやつです。繁殖力が強いのかと思いきや、実は絶滅危惧種なのである。
日本の水族館でよく見られるのには理由がある。Wikipedia より引用すると:
フンボルトペンギンは、南アメリカ沿岸地域の温帯に生息しており、日本の気候で飼育しやすいため、水族館や動物園で見かけることが多い。日本でもっとも飼育頭数の多いペンギンであり、飼育頭数は70以上の施設で1600羽を超えているといわれ、日本でのペンギンの飼育頭数の約1割を占める。この数は世界的にみても大きな数である。飼育しやすい日本の気候に加え、孵卵器で雛を孵す技術や病気の治療法を確立させ、順調に繁殖させてきた背景がある。
という事で、飼育員さんの努力の賜物で日本の水族館で元気に泳いでいるのだ。
売店前にはカエルのヌイグルミをだっこする「ラブライブサンシャイン!」のキャラがいる。足元にはそのカエルの山。このマリンパークにはカエル館がある。
淡島水族館 北入口(実は出口) テント屋根なのだが皇帝ペンギン君が出迎えてくれる。
キャッチコピー
淡島水族館は、「淡島の海」をテーマにした水族館で、淡島の周りの海で生活している生き物たちを展示飼育しています。
淡島の海をそのまま切り取ったような展示水槽(生態展示)に力を入れているので、水槽の中では飼育生物たちが求愛をしたり産卵したりと、海の中でしか見られないような自然の営みを見せてくれます。
また、水族館の2階には、ウニやヒトデなどに触れる「ふれあい水槽」や大きなタカアシガニが出迎えてくれます。
入ってすぐに目についたのが島太郎のくるくるコインゲームである。トイレではない。
「お金を入れてみてね、くるくる回って面白いよ!」
と書いてある。息子が10円を取り出して早速やってみる。10円がくるくる回りながら真ん中の穴に落ちていこうとする瞬間、息子は10円を取り上げた。只でゲームをしたわけで息子は営業妨害です。間違っても100円玉を入れてはいけませんよ。
展示水槽 浅い海を模している。 ホシエイ、ドチザメ、ツバメウオなんかが泳いでいる、あるいは寝そべっている。
それでは展示水槽の魚たちを観賞する。
岩礁を泳ぐ魚 ハタの仲間か? アズキハタかも。
砂底のキス
それを下から覗いているクエ 高級魚です。
熱帯魚も駿河湾には来るようです。ベラの仲間。
スズメダイの仲間
2階に上がると、駿河湾をテーマにして深海生物をメインに展示している。左側の壁に
深海生物の水槽が並んでいてヌタウナギなどの深海魚が展示されていた。ダイオウグソクムシもいた。しかし水槽は暗いしガラスが結露で曇っていて余計に見えない。脇にハンドワイパーが備え付けられていたので拭いてみたが変わり映えはしない。まあ深海魚は沼津深海水族館ですべて鑑賞したということで写真は省略した。
深海魚展示水槽
それ以外の駿河湾の魚の写真。 カワハギの仲間だが派手な模様だね。
メバルの赤ちゃん
真っ赤なイソギンチャク
クマノミ チョコマカ動くのでピンボケ写真しか撮れなかった。
ふれあい水槽 ウニやヒトデなどに触れることができる。
ドチザメ 触れてみたがやはりサメ肌でした。
ナマコ への字型にへこたれていました。
飼育員達は、展示用の魚を調達するために漁にでかける。その時に様々な事件がおこる。そのファイルを写真入りで説明している。 女性飼育員さんの命がけの活躍が素晴らしい。
タカアシガニ こんなのが深海を蠢いている。
色鮮やかな将軍エビの捕獲レポート
こいつです。 この写真もピンボケだね。
2階展示水槽を見おえて1階におりると左奥の方に大きな水槽がある。
淡島の海が再現された大水槽である。この水槽は淡島周りの海を水量100tの水槽で表わしてしている。ここでは魚たちの産卵が一年を通して見られるそうだ。
この水槽は淡島水族館の中で最も大きな水槽で、12:00と14:00の1日2回(休日は16:00を含む3回)ここで水族館お魚の解説が行われる。
飼育員のお兄さんが解説してくれます。
大水槽を泳ぐ出目のフグ
ここから南入口にでるが、我々は北出口から入ったので南出口ともいえる。
沿岸小道に設置してあるブロンズ像 母子像でしょうか。
同じくブロンズ像だが肉体の一部を思わせてエロチックだね。
桟橋に止まり海を眺めるカモメ そっぽを向いている。
海峡の景色 長い筏が浮かんでいる。何かの生簀でないかと思える。
これでおしまい。次回は III でカエル館の紹介である。
2017年9月29日金曜日
神戸北区 日下部天満神社
今回は神戸の神社シリーズで北区の日下部天満神社である。淡河八幡神社取材の帰りに立ち寄った神社である。当初の予定には含まれていなかった。神戸北区 淡河八幡神社 I 神戸北区 淡河八幡神社 II 神戸北区 淡河八幡神社 III
神戸電鉄 道場南口駅より北北西へ280mの距離にある。徒歩約5分(老人の足で若人ならば3分)。
道場南口駅 初めて来ましたがこんなオレンジ屋根瓦の駅舎だったんですね。
道場南口駅 周辺案内図 これを見ると付近に神社が5ヵ所あるのがわかる。日下部天満神社、岩﨑天王稲荷神社、愛宕神社、大歳神社、八多神社である。この案内図を見て最も近い日下部天満神社にお参りをすることに決めた。残りの四社もそのうち機会を見つけて取材したいと思っている。
八多川にかかる天神橋 神社の天神様に因んだご神牛のレリーフが橋柱に埋め込まれている。
この橋を渡ってしばらく歩くと石垣と高い杉の木が見える。その足元に石鳥居二基と拝殿がある。
真新しい石垣と玉垣が神社の境内を取り囲んでいる。
Wikipediaには記載がないので、いつもの如く兵庫神社庁と神戸の空の下での記事を参考にして基礎データを記述した。 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~
ご祭神:
菅原道真公 (すがわらのみちざね)
今回は怒った道真公の像
天之水分神 (あめのみくまりのかみ)
龍神です。画像はイラストから。
火産霊神 (ほむすびのかみ)
絵馬から。犬が吠えついている炎神様です。実体はありません。
愛鬘尾命 (うけのりかみのみこと)
別名 天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと) こちらのイラスト画像です。
由緒:
社伝によると創建は、鎌倉幕府成立直後の正治2年(1200年)に、この地の地頭日下部則康が神諭を受けて社殿を建立したとある。
16世紀半ば頃、この地域を治めていた松原越前守貞時によって松原城が築かれ、領地内の総鎮守とされた日下部天満神社は手厚い庇護を受けることになった。しかし別所長治方についた松原氏は、勢力を拡大してきた織田信長公の勢力と衝突。松原義富公が守る松原城は羽柴秀吉公旗下の中川清秀公 ・ 塩川国満公 ・ 山崎家盛公 ・ 池田輝政公に包囲され、一斉攻撃によってあえなく落城の憂き目に会った。総鎮守だった日下部天満神社にも累はおよび、新たにこの地域の領主となった荒木村重公によって山林以外の神領は没収されてしまった。
安土桃山時代に入り、太閤秀吉公の治世となる。公は有馬温泉を大層気にいり湯治に訪れた。公は有馬湯治の際、当社を度々参拝し、墨附等を始め多数の品を寄進した。しかし、天保12年(1841年)4月、社坊相応院護摩堂・宝蔵等の火災により、宝物等の大半を焼失し、現在2、3を残すのみである。
明治4年(1871年)にはその山林も国に上地されてしまう。
歴史も由緒もある立派な神社であったが、変遷の結果現在のこじんまりとした神社に落ち着いたようです。神社のお隣は公園になっていて子供たちが遊んでいました。
それでは境内の参拝を始めよう。
お隣のお寺さんである成徳寺のほうからも参道があるがこの時は扉が閉まっていた。それで脇参道から境内に入る事となった。
脇参道前の石鳥居 真新しい鳥居で階段には手すりがついている。
拝殿前鳥居 天満宮 と書かれた石の神額が掛っている。脇参道前の鳥居とほぼ同じ。
手水舎 なみなみとご神水が鉢に張られている。
拝殿 新装なったという感じの拝殿本殿です。
拝殿 神額 奉納 天満宮 塩川幸三郎 とある。 塩川幸三郎さんについては何のデータもない。この地域の有力な方だったのであろう。
狛犬二基 小ぶりでこの神社では従の守り神である。こちらは年期を積んでいそうです。
狛牛二基 こちらが主たる守り神である。 天神様にはご神牛と決まっている。年月の結果角も身体も丸くなってしまっている。
四基ともしめ縄を巻いて貰っている。
本殿屋根 真鍮の飾りがねが張ってあり造りも手が込んでいる。
社殿側面
境内概観
神事の際に奉納相撲がここで行われるようだ。
白山 稲荷社
この本家の養父神社は取材したことがあります。2年前になりますね。森の中にあります。狼の狛犬が特徴でした。 養父神社
本家 養父神社拝殿
小森大明神を祀る社
参拝をおえ道場南口駅まで帰ってきた。これでおしまい。
神戸電鉄 道場南口駅より北北西へ280mの距離にある。徒歩約5分(老人の足で若人ならば3分)。
道場南口駅 初めて来ましたがこんなオレンジ屋根瓦の駅舎だったんですね。
道場南口駅 周辺案内図 これを見ると付近に神社が5ヵ所あるのがわかる。日下部天満神社、岩﨑天王稲荷神社、愛宕神社、大歳神社、八多神社である。この案内図を見て最も近い日下部天満神社にお参りをすることに決めた。残りの四社もそのうち機会を見つけて取材したいと思っている。
八多川にかかる天神橋 神社の天神様に因んだご神牛のレリーフが橋柱に埋め込まれている。
八多川
この橋を渡ってしばらく歩くと石垣と高い杉の木が見える。その足元に石鳥居二基と拝殿がある。
真新しい石垣と玉垣が神社の境内を取り囲んでいる。
Wikipediaには記載がないので、いつもの如く兵庫神社庁と神戸の空の下での記事を参考にして基礎データを記述した。 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~
ご祭神:
菅原道真公 (すがわらのみちざね)
今回は怒った道真公の像
天之水分神 (あめのみくまりのかみ)
龍神です。画像はイラストから。
火産霊神 (ほむすびのかみ)
絵馬から。犬が吠えついている炎神様です。実体はありません。
愛鬘尾命 (うけのりかみのみこと)
別名 天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと) こちらのイラスト画像です。
由緒:
社伝によると創建は、鎌倉幕府成立直後の正治2年(1200年)に、この地の地頭日下部則康が神諭を受けて社殿を建立したとある。
16世紀半ば頃、この地域を治めていた松原越前守貞時によって松原城が築かれ、領地内の総鎮守とされた日下部天満神社は手厚い庇護を受けることになった。しかし別所長治方についた松原氏は、勢力を拡大してきた織田信長公の勢力と衝突。松原義富公が守る松原城は羽柴秀吉公旗下の中川清秀公 ・ 塩川国満公 ・ 山崎家盛公 ・ 池田輝政公に包囲され、一斉攻撃によってあえなく落城の憂き目に会った。総鎮守だった日下部天満神社にも累はおよび、新たにこの地域の領主となった荒木村重公によって山林以外の神領は没収されてしまった。
安土桃山時代に入り、太閤秀吉公の治世となる。公は有馬温泉を大層気にいり湯治に訪れた。公は有馬湯治の際、当社を度々参拝し、墨附等を始め多数の品を寄進した。しかし、天保12年(1841年)4月、社坊相応院護摩堂・宝蔵等の火災により、宝物等の大半を焼失し、現在2、3を残すのみである。
明治4年(1871年)にはその山林も国に上地されてしまう。
歴史も由緒もある立派な神社であったが、変遷の結果現在のこじんまりとした神社に落ち着いたようです。神社のお隣は公園になっていて子供たちが遊んでいました。
それでは境内の参拝を始めよう。
お隣のお寺さんである成徳寺のほうからも参道があるがこの時は扉が閉まっていた。それで脇参道から境内に入る事となった。
脇参道前の石鳥居 真新しい鳥居で階段には手すりがついている。
拝殿前鳥居 天満宮 と書かれた石の神額が掛っている。脇参道前の鳥居とほぼ同じ。
常夜燈 左右二基づつある。
手水舎 なみなみとご神水が鉢に張られている。
拝殿 新装なったという感じの拝殿本殿です。
拝殿 神額 奉納 天満宮 塩川幸三郎 とある。 塩川幸三郎さんについては何のデータもない。この地域の有力な方だったのであろう。
狛犬二基 小ぶりでこの神社では従の守り神である。こちらは年期を積んでいそうです。
狛牛二基 こちらが主たる守り神である。 天神様にはご神牛と決まっている。年月の結果角も身体も丸くなってしまっている。
四基ともしめ縄を巻いて貰っている。
本殿屋根 真鍮の飾りがねが張ってあり造りも手が込んでいる。
社殿側面
境内概観
上で見るように神社内は実に綺麗に整備されています。神主さん始め氏子さんのご努力の賜物なのでしょう。
境内社の猿田彦神社
白山 稲荷社
白山 稲荷大明神を祀る。
山ノ口 養父神社
この本家の養父神社は取材したことがあります。2年前になりますね。森の中にあります。狼の狛犬が特徴でした。 養父神社
本家 養父神社拝殿
神社の後方には鎮守の森が広がっている。