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2014年4月20日日曜日

「陳舜臣アジア文藝館」 オープン予定

 

今朝の毎日新聞に、 「陳舜臣アジア文藝館」 が、5月6日に神戸税関メリケン波止場庁舎に
プレオープンするとの記事が載った。 所蔵資料や生原稿を集めた文藝館です。
直筆の原稿や机、万年筆なども展示し、彼の書斎を再現するそうだ。 
オープンの集いに参加したいと思い早速メールで申し込んだ。 
先着100名なので、ワイフと共に参加できるかどうかは分からない。

陳舜臣 は、神戸の生んだ偉大な小説家です。 
司馬遼太郎とならぶ、歴史小説家だと思います。 



陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年2月18日 - )

推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。
1924年神戸市生まれ。43年大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)卒。
61年「枯草の根」で江戸川乱歩賞受賞。69年 「青玉獅子香炉」で撞木賞受賞。
71年「実録アへン戦争」で毎日出版文化賞受賞。
代表作に 「太平天国」 「秘本三国志」 「小説十八史略」など。
「ルバイヤート」の翻訳でも知られる。本籍は台湾台北だったが、1990年に
日本国籍を取得している。 日本芸術院会員。

彼の邸宅は、以前六甲中学の筋向いにあり、散歩の途中よくその前を通ったものです。
私の自宅からいうと、裏手にあたる伯母野山に邸宅がありました。
今は、引っ越してしまい別の方が住んでいます。 

ここで、4年前の感動的なインタビュー記事を載せます。 

2010年4月6日毎日新聞の記事です。 

(記事の再現にえらく時間がかかりました。難しい漢字はうまくスキャンできなかったので、
記事を見ながら打ち込みましたので、間違いがあるかもしれません。) 



タイトルは、 志 いつも曹操  です。 


私は1924年、神戸の元町に生まれました。戦後3年ほど台湾で過ごした時を除き、
ずっと神戸で暮らしています。

その神戸は20世紀になって、三たび大きな災厄に遭いました。1回目は38年の
神戸大水害で、神戸は泥の町になりました。2回目は空襲です。45年3月と6月
の2回の空襲で、文字通り神戸は灰燼に帰しました。そして最後は95年の阪神大震災です。

21世経の今、振り返ってみると、そのすべてを体験した私は、神戸とともに慟哭の世紀
を生き抜いてきたのだなど感じています。

人の生と死について深く考えたのは、あの戦争でした。友人の戦死の報に接するたびに
大きなショックを受けました。43年に私は大阪外語を繰り上げ卒業し、母校の研究所の
助手をしていました。出征する友人は学校に寄り、別れを告げにきます。おそらく二度と
会えないだろうと、お互い分かっていますが、それを口に出すことはできません。
普段通りの別れをしました。無常感を味わいました。

94年8月、70歳の時、脳内出血で倒れ5カ月入院しました。この時は、精神的にも肉体的にも
衰えを感じました。特に作品を推敲している時に、着想があっても、それを頭の中から
スムーズに取り出せないと感じた時は、病と死を二重に意識しました。

震災に遭ったのは退院して4日目です。体が動かなくなったことと震災の悲惨さが重なり、
生への執着が薄れ、悟りの境地に近いものを感じたこともありました。
それは虚無感のようなものではありません。

神戸が過去2度の災厄に続き、3度目の災厄からも立ち直る姿を見ることができたことは
心強いことでした。ボランティア活動が活発になり、日本の「ボランティア元年」となったのは
うれしいことです。人を信じ、愛を感じ、互いに助けあう精神を身につけました。

神戸が率先して、民間や行政を網羅した先進的な地域になってほしいと思います。
私もリハビリに積極的に取り組みました。

95年の4月から朝日新聞に「チンギス・ハーンの一族」の連載が始まりました。
右半身まひで右手が使えなかったので、最初の二十数回の原稿は
左手で書きました。それでも、動きにくい右手も無理にでも使わなければ機能の回復が
遅れるので、左手で支えて右手で書くようにしました。
2年間の連載で2200枚以上の原稿はそうして書いたと思います。

リハビリは厳しかったです。医師から「家族が鬼にならないと回復しませんよ」と言われた
そうです。家内はその通り厳しく指導しました。つらくて泣きました。それを見てて家内も
泣きました。でもそのお陰で、機能は順調に回復しました。海外の取材旅行にも出かけ、
杖を持つ以外は、以前と変わらないまでに回復したと思います。

しかし、2年前の08年1月、83歳で再び脳内出血に襲われました。今度は左半身をやられました。
今は歩くことが出来ず、しゃべることも不自由です。特に字を書けないのはつらいです。

でも運命です。嘆いても始まらない。

私の好きな曹操の詩、「歩出夏門行」にこういうくだりがあります。 

老驥伏櫪 (老驥は櫪に伏すも)
志有千里 (志 千里にあり)
烈士暮年 (烈士暮年)
壮心不已 (壮心やまず)

老いたる驥(き:名馬)は櫪(うまや)に伏すとも志は千里にあり。
烈士は暮年にも壮心 己(とどめ)あえず。

老いたる名馬は厩で寝そべっていても千里のかなたまで走ることを夢見ている。
男は老いてなお意気盛んでなくては、という意味です。

また生かされた、と感じています。そればまだ作家として書き残したことがあるからだと
思います。生きている限り、仕事をしたいという気持ちを失わず、
前へ向かって行くつもりです。

(記事の編集は、毎日新聞の編集委員 鈴木敬吾による。)

作家として、いや人間として極めて立派としか言いようがありません。 

見習いたいものです。 プレオープン参加できるといいな。 

(注意) 歩出夏門行 曹操(ほしゅつかもんこう そうそう) のページを張り付けておきます。
漢詩の朗読もあります。この漢詩ではありませんが、他の有名な漢詩が沢山あります。 

オリジナルを引用します。

神亀雖寿
猶有竟時
騰蛇乗霧
終為土灰
老驥伏櫪
志有千里
烈士暮年
壮心不已


神亀は寿(いのちなが)しといえども
なお終る時あり
騰蛇は霧に乗ずるも
終には土灰となる
老驥は櫪に伏すも
志 千里にあり
烈士暮年
壮心やまず

現代語訳  

亀の中には稀にものすごい長寿のものがあるというが、
それでも命に終わりはある。
竜は霧に乗って舞い上がるというが、
最後は土くれになってしまう。
しかし千里を駆ける駿馬は、たとえ老いて馬屋にあっても
志は千里を駆け巡っている。
男児たるもの、年老いたからといって
熱い気持ちを止められるものではないのだ。

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