先日 山田風太郎の 人間臨終図鑑の文庫本 残り3巻を買ってきた。ぽつり、ぽつりと毎晩寝る前に読んでおった。 現役のときは、寝る前に数学とか物理の本を読んでいたのだから、えらく変わったものだ。 知的に堕落しきってしまったのだ。 情けない。 で、この文庫本です。
4巻で表紙の絵柄が揃う。 ブログに色々と書こうと思って附箋を沢山つけたので、ピタッとくっつけられずに、少しづれてしまった。
この本はやっぱり、以前読んでいたのだ。すっかり忘れていただけであった。
再読したわけだが、健忘症のため殆ど内容は忘れていたので初読と同じである。
結構面白い本である。 名著と言って良いかもしれない。
この本で取り上げられた人物について、いささかの感想を書きたいと思ったのが、この記事を書く動機であった。
この本を読むと、色んな著名人物(小説家が多い)がいて、色んな死に方をしている。千差万別である。 概して高齢になってからの死は、苦痛が少ない。しかし、高齢になってからの汚辱に塗れた死というのも結構多いのだ。晩節を汚すというやつだ。 それに比して若い年齢での死は痛ましい。アンネの日記のアンネ・フランクはそうですね。
最近、図書館のアンネフランクの本を破った30代無職の男が逮捕されましたね。
不心得な人間がいるものである。
極めて長命の人。 以前に紹介した熊谷守一(97才)や平櫛田中(107才)などは、大往生ですね。
熊谷守一 広島旅行 2013.4.11-12 (II)
平櫛田中(ひらくし(又はひらぐし) でんちゅう) 1872年2月23日 - 1979年12月30日
日本の彫刻家。本名は平櫛倬太郎。旧姓は田中。井原市名誉市民(1958年)、福山市名誉市民(1965年)、小平市名誉市民(1972年)。
107歳まで生きた田中はギネス世界最長寿の芸術家。
どなたもよく知っている長寿の彫刻家ですね。 本にも書いてありますが、
六十・七十は鼻たれ小僧。 男ざかりは百から百から。
わしもこれから これから
というセリフが有名です。こんな言葉を吐いてみたいが、気力体力ともに自信が無くなっている現在では到底無理ですな。
82才で文化功労者に選ばれたとき、「あれはくれぬのか」 と言ったり (注: あれ=文化勲章)
90才で文化勲章をもらったとき、「いまごろになってなんだ。」 と言った御仁です。
最期の未完成の作品は、地唄舞いの武原はんの像です。 著作権の関係で、この像はアップできないので、武原はんとのツーショットをあげる。
詳しくは、井原市立「田中美術館」 に作品や人となりの説明がある。
自己中で、明るい性格の人ほど長生きしそうである。 欲は大いにあった方が良いらしい。
欲はあるが性格は明るくないので、私には長生きは無理らしい。 自己中ではあるが・・・。
長生きするのはまあ目出度いが、活動期に死ぬのは痛ましい。
小説家、評論家の 伊藤整(いとうせい)は、64才で内臓全体に広がったガンで亡くなった。
伊藤 整(いとう せい) 1905年1月16日 - 1969年11月15日
日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。
本名は伊藤 整(いとう ひとし)。日本芸術院会員。
彼は沢山の評論や小説を既に書いていたが、未完の長編があり、ライフワークたる「日本文壇史」を完成させずに終わった。 日記に、涙流れる程心残りであるという文章を残している。
人は死に臨んで、 多くはおのれの「事業」を
一片でも後に残そうとあがく。
それが後にのこる保障は全くないのに。---- これを業という。
風太郎の言葉であるが、その通りですな。 私も業に苛まされています。
私は、伊藤整の全集(22巻)と日本文壇史(18巻まで)の全巻を持っています。 青壮年期の愛読書でしたが、今は共にめったに読まない。日本文壇史のほうは、資料として残るだろうが、火の鳥、氾濫、変容、発掘 などの長編は読まれなくなるだろうな。 そんなものかもしれない。
高名な陽明学者であり、吉田茂始め歴代首相や財界人から「老師」と呼ばれた安岡正篤(やすおかまさひろ)は、晩節を汚した例でしょうな。 そのきっかけになったのは、あの細木数子である。
この方は、右翼の大物思想家で、著作は殆ど読んだことはないが、「安岡正篤一日一言」という本があって、これは読んだことがある。例のごとく、何が書かれてあったかは全く覚えてはないが。
安岡 正篤(やすおか まさひろ) 1898年2月13日-1983年12月13日)
陽明学者・思想家。
Wikipedia からそのスキャンダルを引用する。
銀座のクラブのママであった細木数子は、1983年(45歳)に、政財界にも力を持つ事で知られる陽明学者の安岡正篤と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が反対する中、安岡と交わした結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡は他界した。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。
年をとって、ぼけてきたんでしょうね。 やっぱり、色ボケの方かね。
という感想を持つだろうが、実態は少し違うようである。
溝口敦『魔女の履歴書』講談社、2006年)によると、
細木は安岡を籠絡した手段について問われた折「お酒よ、お酒。家じゃ飲ましてもらってないようだから、わたしが好きなだけ飲ましてる。お酒で"殺した"のよ」 「ドジョウと同じ」と答えたという。
私もお酒には、注意をせねばならない。
もう一人の例は、あまりにも有名ですが、サマセット・モームである。
彼の場合は、同性愛の相手と娘との確執である。
彼の小説は、異国趣味があり、私は大好きで沢山の短編長編小説を読みました。
Wikipedia より引用。
ウィリアム・サマセット・モーム William Somerset Maugham | |
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誕生 | 1874年1月25日 パリ |
死没 | 1965年12月16日(満91歳没) ニース |
職業 | 小説家、劇作家 |
国籍 | イギリス |
代表作 | 月と六ペンス 人間の絆 |
1874年1月25日 - 1965年12月16日
イギリスの小説家、劇作家。
フランス、パリ生まれ。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。医師になり第一次大戦では軍医、諜報部員として従軍した。1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。平明な文体と物語り展開の妙で、最良の意味での通俗作家として名を成した。作品に『人間の絆』『お菓子とビール』や短編「雨」「赤毛」、戯曲「おえら方」など。ロシア革命時は、イギリス情報局秘密情報部に所属した情報工作員であった。同性愛者としても知られている。
風太郎の本から引用する。
名声と巨万の富を得、十一人の召使いにかしずかれて南仏リヴィエラの宏壮な邸宅ヴィラ・モーレスクに暮らしながら、晩年のモームは、絶望とほとんど狂気のひとであった。
「私は、一生を通じて失敗者だった。
間違いにつづく間違いだらけの人生だった。」
・・・ しかし今となっては何もかもあとの祭りだ。」
「・・・ この人生で魂を失ってしまって、あとには何も残っていないということもあり得るんだ。」
痛ましいセリフの羅列ですな。 私には、まだそんな実感はないが、いずれそんな風に思うかもしれぬ。
あまり、長生きはしたくないものである。
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