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2014年9月7日日曜日

水木しげるの妖怪全集 3



後追い小僧


神奈川県丹沢地方東部に伝わる妖怪で、丹沢の山霊(山の神霊)の一種。




後追い小僧の伝わる丹沢山地

Wikipedia による概要:
   

姿は4歳から10歳程度の子供のようで、ときには15歳ほどのこともある。
服装はぼろぼろのむしろや、絣(かすり)の着物、毛皮などを纏っている。

山中を人間が歩いていると、後追い小僧は無言でその者の後をつけて歩く。
つけられた者が気配を感じて後ろを振り向くと、木や岩の陰に隠れ、姿を消してしまう。

後を追うだけでなく、ときには道案内のように前を歩くときもある。
土地の古老によれば、日中の午後に現れることが多いというが、夜に現れる場合は提灯のような火を灯している。

声を出すことも物音を立てることもなく、人間に対して危害を加えることもないが、何度も後追い小僧に遭った人は、食べ物を辺りの岩や切り株の上に置いて行ったという。

水木しげるが描いたのは、これである。
鬼太郎とゆく 妖怪道五十三次 やのまんブックス の四十四番石薬師図 の中央下の蓑傘を被った小僧として描かれている。


タイ人とかトルコ人によるブログページでは、後追い小僧はこんな風な画像として引用されている。出典は不明。

 




鐙口(あぶみくち)


鐙口(あぶみくち)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本妖怪で、馬具の一種)が変化したとされる付喪神の一種。  (Wikipedia による。)
 


鳥山石燕画『百器徒然袋』より「鐙口


実際の鐙口です。
 
水木しげるの説によれば、鐙口はもとは武将の使うであり、本来は持ち主である武将と運命を共にするはずが、その武将が戦死し、野に捨てられた鐙が妖怪と化し、飼い主を待つ犬のように、帰るはずのない主をいつまでも待ち続けているのだという。

但し原典『百器徒然袋』にはそのような伝承は述べられておらず、妖怪探訪家・村上健司はこれを、石燕が絵解きとして創作した物としている。

鬼太郎とゆく 妖怪道五十三次 やのまんブックス の三十三番二川図 の左上手に描かれている。2つ目玉の鐙口である。       

鐙口のイラストを与える。 これらは、出典は、妖怪亭・妖堂 日記帳 などより。 妖怪の下にその名前の書かれている画像の出典先です。 その他は略。



 





油すまし


Wikipedia によると、

油すまし(あぶらすまし)とは、熊本県に伝わる日本の妖怪の一種。

とあり、説明不足。 謎の妖怪らしい。

熊本の天草郡栖本村字河内(現・天草市)と下浦村(現・同)とを結ぶ草隅越という峠道を、老婆が孫を連れて通りながら「ここにゃ昔、油瓶さげたん出よらいたちゅぞ」と孫に話していると、「今もー出るーぞー」と言いながら油ずましが現れたという。

この峠は熊本県天草郡有明町(現・天草市)による調査の結果、有明町と天草郡栖本町(現・同)を繋ぐ草越峠だと判明しているが、それ以外には伝承が少なく謎の妖怪である。


 水木しげる画の油すまし



水木しげるロードに設置されている油すまし」のブロンズ像は、これ。


映画 妖怪百物語 での油すまし。

つぎは、イラスト集。


(ニューバージョン)




油すまし

 
フィギュアもある。
 
 

勿論鬼太郎アニメにも出演している。


おまけにお弁当にもなっている。 こいつは、謎の妖怪のくせに人気者なのだ。
 

 

天邪鬼


悪鬼神もしくは小鬼、また日本の妖怪の一種とされる。 (Wiki より)


 
十返舎一九による「天邪鬼」の画
 
民間の説話においては、人の心を察して口真似などで人をからかう妖怪とされるが、地方により伝承が異なる。
 
天稚彦(アメノワカヒコ)は葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされたが、務めを忘れて大国主神の娘を妻として8年も経って戻らなかった。そこで次に雉名鳴女を使者として天稚彦の下へ遣わすが、天稚彦は仕えていた天探女(アメノサグメ)から告げられて雉名鳴女を矢で射殺する。
しかし、その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう。

この天探女(アメノサグメ)が天邪鬼のモデルとされる。

天探女は悪者ではなかったが天稚彦に告げ口をしたということから、天の邪魔をする鬼、つまり天邪鬼となったと言われる。

 
 
 
2枚ともに水木しげる画です。
 
鬼太郎アニメでは、このように描かれている。
 
天邪鬼

まあ本来は、灯篭を担いだり、四天王執金剛神に踏みつけられている悪鬼ですね。





天邪鬼のイラストです。

 
 
 
 
 

アマビエ

アマビエは、日本に伝わる半人半魚の妖怪。海中から現れ、豊作や疫病などの予言をすると伝えられている。  (Wiki による説明)
 
   


アマビエを描いた当時の瓦版
 
 
江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。

弘化3年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われていた。

役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った
 
 
水木しげる画
 
 
アニメの鬼太郎でのアマビエ
 
 

アマビエのイラスト集




彼女も結構人気者のようです。

3回目は、これでおしまい。 ごきげんよう。

 
 

 
 

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