琵琶湖バレイハイキングも早めに終わって、いささか時間があるということで、日吉大社にお参りすることになった。 この石の鳥居が、日吉大社の入り口の鳥居である。
日吉大社については、私には何の予備知識もない。 それで、困ったときのWikipedia である。
日吉大社
日吉大社 | |
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西本宮 本殿(国宝) | |
所在地 | 滋賀県大津市坂本5丁目1-1 |
位置 | 北緯35度4分24.4秒 東経135度51分53.9秒座標: 北緯35度4分24.4秒 東経135度51分53.9秒 |
主祭神 | 西本宮:大己貴神 東本宮:大山咋神 |
社格等 | 式内社(名神大) 二十二社(下八社) 旧官幣大社 別表神社 |
本殿の様式 | 日吉造 |
別名 | 山王権現 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道149番(滋賀17番) |
例祭 | 4月12日-15日(山王祭) |
日吉大社(ひよしたいしゃ)
滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。西本宮と東本宮を中心に400,000m²の境内を持つほか、猿を神の使いとする。
そうなのだ。猿が神使で、猿の絵があっちこっちにある。 それと、東本宮と西本宮が交差するような形で建てられている。 不思議な気がする。
歴史は実に古くて、
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。
とある。 2100年前というのは、皇紀で数えているので眉唾であるが、それにしても由緒ある神社です。神道より仏教のほうが有力であるゆえ、天台宗の護法神という立場に立つ由縁なのだろう。
現在見られる建物については、
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたものである。
とあるから、やっぱり伝統ある神社(の大元締め)である。
この大社にも、2点の国宝とか多数の重要文化財がある。
日吉大社の全景。
拝観料はないが、「入苑協賛料」と いう形で入場料が必要である。
○入苑協賛料 個人:大人(中学生以上)300円、小人(小学生)150円 ※小学生未満無料 団体:30名以上 お一人様270円 100名以上 お一人様220円
当然といえば当然だが、この地区は歴史的風土特別保存地区になっている。
こちらが、日吉大社の鳥居。
日吉山王大権現の神馬絵である。 鞍の絵柄は、お猿さんである。
六角堂。これは、大して由緒なし。
求法寺走井堂である。
何気なく、おっさんが二人石橋を渡っているが、この石橋は重要文化財である。
ということなのである。川下から写してみよう。 なるほど、立派な石橋である。
参道を歩いてゆくと、
このような一風変わった鳥居前にでる。
さらに奥に進む。
すると、神馬と神猿の社がある。
ここには、檻の中ではあるが、実物の山王神使の神猿(まさる)がいる。
これは、やはり重要文化財の宇佐宮本殿。
こちらが、西本宮の櫻門である。
その入り口にあった、 日吉山王大権現の神猿絵である。 太閤様の顔が、お猿さんである。
Wiki によると、こんな説明がある。
豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。
軒下のマサルさんを写しました。
これが、国宝の西本宮本殿です。
その手すりにいる木製の狛犬。
こちらは、東本宮の本殿。やはり国宝。
このような包丁塚がありました。
重用文化財の宇佐宮拝殿。
同じく重用文化財の宇佐宮本殿。
白山姫神社本殿。
こんなお社もありました。
あと、境内の川べりの景色です。
出っ腹の赤ズボンの爺さんは無視。
その他にも、重要な建築物はある。 時間の関係で、奥の院のほうは見学しなかった。
これで、日吉大社の拝観はおしまい。 ごきげんよう。
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