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2015年1月17日土曜日

阪神淡路大震災1.17のつどい



先日に引き続いてだが、神戸市中央区の東遊園地に行った。
市が主催する「阪神淡路大震災1.17のつどい」に参加するためである。昼からの数時間にすぎぬがその記録をここに残しておく。

自宅を9時過ぎにでる。自宅裏にある墓地には、この日いつになく沢山の献花がありました。震災で亡くなられた方のお墓があるのかもしれぬ。



大学入試センタ試験の1日目であり、神戸大の試験場を目指して高校生たちが坂を登ってくる。
若き人たちは、この日を知らずとも日々の重要な行事をこなしているのである。


徒歩でJR六甲道までいき、JR新長田へ向かった。長田区は、震災の被害が最も大きかった地区である。笑顔の笠やその他の震災20年のイベントがあると新聞で知り、出かけたのだ。このときの記事は次回にまわす。

大正筋商店街での震災関連のイベントを見終えてから、中央区の東遊園地に向かった。

着いたのは12時を少しすぎていた。遊園地の入り口である。沢山の方が集まりつつあった。


阪神大震災の記憶をあらわすMARINA像である。手に持つ時計は5時46分で止まっている。



神戸市の広報から、この行事の案内を引用する。

「阪神淡路大震災1.17のつどい」について

日時=平成27年1月17日(土曜)5時~21時
場所=中央区東遊園地(神戸市役所南側)

朝5時
・ 「1.17(竹灯ろう)」点灯
・ 記帳・献花受付開始(~21時)

5時46分
・ 黙とう
 -神戸市震災20年追悼の集い-
    ご遺族による追悼のことば
    新成人代表によることば
    市長による追悼のことば
    献花

14時46分
・ 黙とう

17時46分
・ 黙とう

21時
 「阪神淡路大震災1.17のつどい」終了

English (神戸市震災20年追悼の集い)(PDF形式:42KB)

世代にも継承します。


これはシンサイミライノハナです。神戸の学生たちが主体になってやっているプロジェクト(Co.to.hana)の1つである。「震災の記憶を未来に伝え、人と人のつながりを育むために」だそうです。 神戸だけでなく、インドネシアなど震災を受けた様々な国や地域で咲かせているそうです。


花びらには、このようなメッセージが。


つらいときこそ、笑顔で生ていこう。^ο^

雪で作られた像にも、お花が供えられていました。

 
鳥取県奥大山 江府町からのの竹灯ろうです。 全国各地の名がある。
 

会場には、このように沢山の竹灯ろう(以下灯ろう)が用意されている。





  震災犠牲者の数と同じ6434本の灯ろうを「1.17」の形に並べ、犠牲者に鎮魂の祈りを捧げる。 このように1つ1つ、ろうそくに火を灯していく。  
  写真の奥にみえる沢山のテントで、記帳し献花を受け取ることができる。          
 

見えにくいが、左端にある緑の鉄柱の高さが、東北大震災のときの津波の高さ(約10m)だそうだ。


慰霊の灯火である「1.17希望の灯り」には、沢山の花束や献花が飾られていた。
 


私も心ばかりの寄付をさせて頂き、記帳し白菊の献花を受け取った。寒いので、手袋をしていました。追悼の意が足りませんね。


その献花を「慰霊と復興のモニュメント」の水槽に浮かべました。


モニュメントの中から見た献花。もっともっと増えるのでしょう。

 

中は沢山の人で動けないほどでした。前回は2,3人でしたので閑散としていました。また、お花や千羽鶴も増えてました。


 名簿板の前でお花を前にして、熱心にお祈りを捧げているお年寄りの方がおられた。(写真を撮る際は、遺族の方にご配慮をという掲示があり、写真はぼかしてある。) 
 
 
 追悼のセレモニーのため、このようにボランティアの方々が用意をされていた。 


朝は快晴だったが、昼過ぎに曇りだし、雨が降り出した。強い雨風である。14時46分の黙とうまで居るつもりだったが、傘を持ってこなかったので、ハーバーランドで食事を済ませてから帰宅することにした。 黙とうは、心の中ですませた。

それで、写してきた写真はこれで終わりなのだが、記事はもう少しつづけたい。今日の毎日新聞夕刊は、全面が阪神大震災関連の記事である。

20年祈り 子へ孫へ


朝の業務があるので、午前5時46分には東遊園地には行けなかったので、新聞からの記事を引用したい。 Web版より。 

神戸市中央区の東遊園地を会場にした「阪神淡路大震災1.17のつどい」は午後5時現在、過去最多の7万5000人が鎮魂の祈りを重ねた。竹灯籠(たけどうろう)でかたどられた「1995 1.17」に加え、「3.11」の形に並べられた約300本の竹灯籠のろうそくがともされ、東日本大震災が起きた午後2時46分に黙とうした。

ろうそくでともされた「1・17」の文字の周りで黙とうをする多くの人たち=神戸市中央区の東遊園地で2015年1月17日午後5時46分、大西岳彦撮影

17日午前5時46分、阪神大震災の発生した時刻に合わせて「1.17」の形に並んだ竹灯籠の灯りが暗闇に浮かび、遺族や被災者らが黙とうをささげた。

午前中に1万4000人で昨年の3倍と聞いていたので、20年の節目で例年の10倍以上の方が来られたことになる。式典は9時に終了したが、後かたずけなどで今も沢山の方が遊園地内に残っているのだろう。

Web版の記事です。(阪神大震災取材班)

6434人の命を奪った阪神大震災は17日、20年の節目を迎えた。積み重ねた歳月は被災地を整った街並みに変えたが、家を失った被災者が住む災害復興住宅では高齢化や孤立化が進むなど、いまだ傷痕が残る。また、震災を知らない世代が被災地でも半数に迫り、あの日の教訓を受け継ぐ仕組みづくりも課題だ。20年を歩んだ阪神の被災地の姿が、東日本大震災など災害で傷ついた各地の被災地に「道」を指し示す。

記事をつづける。

兵庫県内の災害復興住宅は、65歳以上の入居者の割合を示す高齢化率が、昨年11月末現在で50.2%と調査を開始した2001年以来、初めて過半数に達した。復興公営住宅での「孤独死」は、00年以来の総計で864人を数える。兵庫県や神戸市などが、都市再生機構(UR)や民間から被災者向けに借り上げた「借り上げ復興住宅」は、来年度から順次、20年の契約期限に伴う返還が始まり、対応が迫られている。

経済的や病気、老齢化などの理由で、復興公営住宅からでられない人が多いので、やはり市はその方々には契約期間を延ばすか、同家賃の近隣住宅を斡旋すべきだ。それ位は可能でないかね。

大規模な火災で商店街や住宅街が炎に包まれ、甚大な被害を受けた神戸市長田区のJR新長田駅南地区(20.1ヘクタール)は、震災から2カ月後に決定された市街地再開発事業が今も続く。昨年10月末現在で37棟の再開発ビルが完成したが、空きテナントが目立つなど、街のにぎわいを十分に取り戻せずにいる。
 

明日記事に書くが、実際長田の商店街は寂れています。高層ビルは沢山できたが、商店街に若い人が集まって来てません。きれいな商店街になりましたが、スカスカです。もっと若い世代に魅力のある街づくりが必要なのかもしれない。イベントは今までも沢山計画され実行されてるんですけどね。難しいものです。

一方、当時活躍したボランティア団体は、東日本など各地で活動の輪を広げている。兵庫県内の自治体職員も延べ約17万8000人東日本の被災地に派遣され、震災の教訓を生かしている。

沢山のボランティアの方が、崩れ落ちた家屋や焼け落ちた廃材の片づけを手伝って下さった。食料の配給や老人のお世話もされていた。他の市の職員だけでなく、神戸大の学生も自らボランティアを志願してました。東日本大震災でも活躍されている。このような良質な日本人は沢山います。 

新聞を読んで、このような事を感じたのです。 この記事はこれでおしまい。

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