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2015年1月21日水曜日

陳舜臣逝去



陳舜臣先生が、今朝5時46分に老衰のため亡くなられた。 阪神淡路大震災が起きたのと同じ時刻です。 90歳でした。


写真・図版

脳内出血から、必死のリハビリで回復された陳舜臣先生の写真です。
慈しみに満ちたお顔をされています。
 

 
心から尊敬する歴史小説家でした。 立派な先生です。 深い学識とそれに基づく壮大な構想力、そして何より人々に対する深い思いやりがありました。 神戸の誇る文化人です。 ワイフが日本国籍の台湾人ということもあり、昔から近しい作家でした。 また、畏れ多いのですが、「陳舜臣アジア文藝館」については、記事を書かせて頂きました。 
「陳舜臣アジア文藝館」 オープン予定 
「陳舜臣アジア文藝館」 プレオープン記念の集いに出席

昨年10月上旬に肺炎を患い、市内の病院に入院されていた。  陳舜臣さんの長男陳立人さんのお話です。 

「入院したあとも呼びかけなどにしっかりと答え、最後まで日中の友好について気にかけていました。最近、日中関係が悪化しているといった話に接するたび、ささいないさかいは越えて、友好な関係を保ってほしいとずっと言い続けていました。」

 
陳舜臣先生のお言葉を再記したいと思います。85歳の時のお言葉です。

志 いつも曹操  

 私の好きな曹操の詩、「歩出夏門行」にこういうくだりがあります。 

老驥伏櫪 (老驥は櫪に伏すも)
志有千里 (志 千里にあり)
烈士暮年 (烈士暮年)
壮心不已 (壮心やまず)

老いたる驥(き:名馬)は櫪(うまや)に伏すとも志は千里にあり。
烈士は暮年にも壮心 己(とどめ)あえず。

老いたる名馬は厩で寝そべっていても千里のかなたまで走ることを夢見ている。
男は老いてなお意気盛んでなくては、という意味です。

また生かされた、と感じています。

そればまだ作家として書き残したことがあるからだと思います。
生きている限り、仕事をしたいという気持ちを失わず、
前へ向かって行くつもりです。


心からのお悔やみを申し上げます。

合掌

 

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