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2015年4月13日月曜日

姫路城グランドオープン 見学記 III

記事を書くためお城の写真は沢山写してきたのであるが、実際に書き始めると整理が面倒で、全部書こうとすると記事が長くなりすぎ、いささかうんざりする。 読者の方もそうであろう。
それで、出来るだけ短くまとめたいと思っている。 見学記 I 見学記 II

ということで、姫路城見学記の最終回。  前回は大天守の見学であったが、今回は長局の見学。



これが、西の丸・百間廊下のパンフ。長局のことです。 この西の丸は、池田氏のあとに入封した本田忠正が嫡男 忠刻・千姫夫婦のために造営した曲輪といわれる。


裏面。このような細長い廊下がつづいている。概略図の一番下のワの櫓から入場する。ここからずーと登っていって化粧櫓にいたる。各ブロックごとの説明は、これを見て頂くことにして省略。


歴史上の人物として、千姫は実に有名で映画、TVドラマ等で描かれている。 私はそれほど詳しく知っている訳ではないので、ついWikipedia を引用してしまう。悪い癖である。 

せんひめ
千姫

千姫姿絵(弘経寺蔵)
生誕慶長2年4月11日(1597年5月26日)
山城国伏見城(現 京都市伏見区)
死没寛文6年2月6日(1666年3月11日)
江戸(現 東京都)
墓地傳通院・天樹院弘経寺・知恩院
国籍日本の旗 日本
配偶者豊臣秀頼 → 本多忠刻
子供勝姫、幸千代
養子:天秀尼徳川綱重
徳川秀忠、江

千姫(せんひめ)

安土桃山時代から江戸時代の女性。豊臣秀頼本多忠刻の正室。父は徳川秀忠、母は継室の。号は天樹院

その生涯の説明は、Wiki千姫 にある。波乱に富んだ一生です。70歳まで生きたとは、知らんかった。当時としては、長生きですね。

渡櫓の写真。土足厳禁なので、靴はポリ袋にいれて持ち歩くこと。


建造物文化財ゾーンというのがあって、そこでは城防御の仕組みとか伝統技術の解説がなされている。時間短縮のため、写真は1枚。


千姫ゾーンというのもあって、解説パネルや千姫ゆかりの品を展示してある。

例えば、これが

千姫 戦国時代の思惑に翻弄された幼少期 のパネル。



千姫 最も幸福だった姫路城時代国時代 のパネル。



千姫 信仰の時代 のパネル。


 
 と言った具合である。以下略。

千姫奉納羽子板。こんなのを見るのは面白い。


 
 気分を変えて、櫓の窓から見る桜。


カの渡櫓の写真。

 
千姫と忠刻の顔出しパネル。 こんなとこにも顔出し看板があったのか!
顔出し看板があると写真に写している。悪い癖である。

長田の三国志祭 
東洋のマチュピチュ 別子銅山--天空の産業遺産


ここが化粧櫓西の丸御殿でございます。板張りでなく、畳敷でございます。


千姫さまと娘子の勝姫さまでございます。かるた取りをなさっておいででございます。


と使いなれぬ敬語を御殿にて使ってみました。

西の丸の桜。


かくして3時間かかって、姫路城見学をようやくおえる。 行列ごくろうさんでした。

さようならは、しろまる姫ちゃんでした。 姫路のマスコットキャラ一覧 しろまるひめは、有名キャラ


城のお堀には、和船が浮かんでいる。
 



お堀の桜。桜の写真ばかり、ひつこくアップしている。


この和船は、姫路藩和船建造委員会が、復元建造したものです。

キャッチコピーは、

和船で 城を愛でる

であります。

 
乗船の料金は、大人1000円、子人500円です。
運行時期、時間は下の通り。
 
 
夜桜鑑賞会もあります。でも、もう終わっちゃったね。


 

 
これで、姫路城見学記はおしまい。記事は、この位の長さがいいですね。

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