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2015年7月28日火曜日

須磨寺 I 

しばらく遠出する予定がないので、致し方なく地元神戸の神社仏閣案内シリーズである。今回は、前回のマイナーな神社と比較すると著名な、歴史的にも由緒ある須磨寺である。
このお寺は、平安時代初期に開山し、1100年以上の歴史がある源平所縁のお寺で 「須磨のお大師さん」として人々に親しまれている。
当たり前のことだが、古くからの神社仏閣はやはり見どころが多いのだ。
村上帝社と関守稲荷神社

前回と同じく、垂水の息子の店の皿洗い後に取材にでかけた。地元民ゆえ、須磨寺には何度か行ったことがあるが、取材するほど熱心には見学していなかったのである。殆ど何も見ていなかったと言って良い。所が、記事を書き始めてから、歴史を知り面白いものを発見することが結構多くなった。記事を書くため、写真を見ながら調べなおすというのも楽しい。老人のお寺巡りや神社巡りにはそういう再発見の楽しみという側面があるんだろうね。

と、いつもの意味のない能書きを垂れてから今回の記事を始める。

通常は、JR垂水駅からJR六甲道まで快速で帰ってしまうのだが、須磨寺参拝のため山陽電鉄を利用して、須磨寺で下車したのである。梅雨あけのクソ熱い日でした。

須磨寺駅

駅前には、須磨寺周辺マップの掲示板があった。

駅から智慧の道をまっすぐ、北に上っていけば須磨寺である。

須磨寺はお大師さんの寺であり、須磨寺綱敷天満宮(天神さん)を結ぶ道は、弘法大師・菅原道真がともに「学問・智慧」と縁の深い人物であることから、「智慧の道」と呼ばれている。

須磨寺前商店街  赤い幟には、智慧の道とある。その道を智慧のない私が歩いている。


須磨寺の鳥居みたいだが、違っていて須磨浦商店街のゲートですな。


商店街では、こんなパンフを作って配布している。

 
ゲートの手前に休憩所がある。
 
ここには、小坊主3人のなかよし像や源平合戦の顔出し看板がある。
 


その横には、このような智慧の輪くぐりがあり、腰を低くして頭を低くしてこの互角の穴をくぐり、弘天さんをお詣りしたのである。功徳としては、全ての難関をくぐり抜けることができるという。


弘天さん とは誰ぞや? 弘法大師(空海)と天神さん(菅原道真)を一緒くたにした呼び名である。


この祠、モダーンな祠である、に祀られているのが弘天さんである。その実体は、七歳の弘法大師と五歳の天神様なのであった。


また須磨浦商店街のゲートを越えた道路向かいに須磨霊泉がある。


須磨観光協会の記事では、このように紹介されている。

須磨寺門前の北東角に湧いている地下水は「須磨霊泉」と呼ばれて親しまれており、須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いているといわれています。
須磨霊泉」の左側には石碑が建っており、そこには1924(大正13)年建立とあります。
 

比較的新しい石碑です。風格や書体からして、江戸時代のものかと思っていただけに意外でした。
口を漱がして頂いたが、それほど冷たい水ではない。飲用可です。

1938(昭和13)年の阪神大水害や1995(平成7)年の阪神・淡路大震災の時には、貴重な水源となり、多くの被災者を救ったところから、地元では「命の水」とも呼ばれています。

さて須磨寺に到着。 Wikipediaにより、その概略を学ぼう。


須磨寺
Sumadera02s2040.jpg
本堂
所在地兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
位置北緯34度38分59秒
東経135度6分42.5秒
座標: 北緯34度38分59秒 東経135度6分42.5秒
山号上野山
宗派真言宗須磨寺派
寺格大本山
本尊聖観音
創建年仁和2年(886年)
開基聞鏡、光孝天皇(勅願)
正式名上野山 福祥寺
札所等真言宗十八本山2番
新西国三十三箇所 第24番
摂津国三十三箇所 第7番
摂津国八十八箇所 第88番
福原西国三十三箇所 第7番
神戸七福神
神戸六地蔵 客番
神戸十三仏 第11番
神仏霊場巡拝の道 第72番
文化財木造十一面観音立像、絹本著色普賢十羅刹女像、本堂内宮殿及仏壇(重要文化財)
不動明王立像、石造十三重塔、当山歴代古記録2巻(兵庫県文化財)
 


須磨寺(すまでら)

兵庫県神戸市須磨区にある仏教寺院。真言宗須磨寺派大本山。山号は上野山(じょうやさん)。本尊は聖観音である。宗教法人としての公称は福祥寺
平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を886年(仁和2年)に聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりとされている。
平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘敦盛首塚義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡が存在する。
源平を偲んで訪れる文人も多く、境内には正岡子規松尾芭蕉句碑がある。

源平所縁のお寺なのである。大本山だけあって、沢山の伽藍塔頭が密集している。
 
それらを写真でお詣りしてまわろう。
 
須磨寺の境内
 
 
 
 お寺の入り口に当たるのが仁王門である。
その前には、小川が流れ龍華橋が架かっている。


橋の手前にある、正覚院


 1938年に再建された建物である。御本尊は愛染明王であり、

西国愛染十七霊場第6番になっている。

因みに、愛染明王密教の怒れる明王の一つである。如来が変身したものとされる。

この明王です。(by Wikipedia)



木造愛染明王坐像 東京国立博物館蔵、鎌倉時代、重要文化財
 
Wikiの記事では、こう記述されている。
 
日本密教の愛染明王は、『金剛頂経』類に属するとされる漢訳密教経典の『瑜祇経』に由来し、この経典は正式名称を『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』といい、同経典の「愛染王品第五」に愛染明王が説かれている。
その修法は、息災・増益・敬愛・降伏の『四種法』の利益をもって記述され、その功徳は、「能滅無量罪 能生無量福」(よく無量の罪を滅して、よく無量の福を生じる)とも説かれている。

無病息災やお金儲けのご本尊ですね。

延命地蔵尊水子地蔵尊  福々しいお顔が延命地蔵尊で沢山の小さいお地蔵様が水子地蔵尊。


龍華橋から、その脇橋を写してみた。小さな糸トンボが飛んでいた。


仁王門 左右に仁王様が2体奉られている。


 
 仁王門は、源三位頼政が再建したもので、仁王力士は運慶及び湛慶の作と伝えられている。

仁王力士(吽形像)

仁王力士(阿形像)

阿吽の呼吸で、お寺を訪づれる人を見守っている。勿論文化財である。

法岩五鈷水 手水舎なのだが、大きな弘法岩が祀られている。



法岩五鈷水

大きな五鈷を石の台座に置いた手水処にすることになった後、予定地にお大師様だと思わせるような山のような像形が浮かび、そのような石を求めて四国各県を訪ね歩いたそうです。
そしてめぐり合った大岩を「弘法岩」と称し迎えられました。
 
四国から持ってきた大岩なのですね。五鈷の画像。
 
 
 
 
千手観音菩薩を祀るお堂
 

塔頭の桜寿院   御本尊は阿弥陀如来である。
 


その石柱


桜寿院 の額(大日如来や弘法大師も祀っている)と、

 看板。

境内の建物や石像、彫像などを見ていこう。

寺務所・納経所
 
与謝蕪村の句碑

笛の音に 波もよりくる 須磨の秋

達筆すぎて、やっぱり読めないね。蕪村の自筆を模刻した句碑である。一ノ谷の合戦で討たれた平敦盛の「青葉の笛」にちなんで詠んだ句だそうです。源平の庭前にある。

源平の庭

須磨寺のホームページより:

今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。
寿永3年(1184AD)一ノ谷合戦の際、源氏の荒武者熊谷直実は、海上に馬を乗り入れ沖へ逃がれようとする無官大夫平敦盛を呼び返して、須磨の浜辺に組み討ちその首をはねた
平家物語が伝える最も美しく最も哀しい有名な史話である。
敦盛は時に齢(よわい)十六、笛の名手であった。

その遺愛の青葉ノ笛は今も当寺に伝えられている。




源氏の熊谷直実

平治の 平敦盛

熊谷直実は、年端もいかない、敦盛の首を刎ねて戦いの儚さ、無常を知る。
首を刎ねた少年の懐からこぼれ落ちた縦笛に 昨夜の美しい音色が繰り返し鳴り響く。

宝物館には、こんな青葉の笛をふく、平敦盛石像があった。ただの石っころだがね。


わらべ地蔵  下の説明板が、訓話風になっている。


 七福神マニコロ      亀の背中にのった七福神を回しながら拝む。マニ車の変形バージョンかな?


ぶじかえる  嘘か本当か知らんが、ビックリしたい人は目玉、借金に困っている人は首を回すと良いらしい。目玉を回したが、別にビックリはしなかった。


宝物館 

青葉の笛などの平敦盛公と源平ゆかりの宝物や須磨寺の歴史的宝物が展示されている。

中央に見えるのが青葉の笛

これである。


その他にも 青葉の笛由来記、敦盛所用の弓敦盛人形、敦盛公錦絵、弁慶の鐘 等々が展示されている。



塔頭の蓮生院    1934年に再建された。御本尊は不動明王


一の谷 鯖大師 貞照寺 とある。 寺内寺ですね。


このお寺前には、十六羅漢石造釈迦如来石がある。


厄除大師堂


傍らの弘法大師像。 左の2体がそうで、右の1体はお地蔵様。


石段を上ると、別の山門が見える。


山門を抜けたところにある手水舎
 

本堂

仁和二年開創当時の本堂には、松風村雨物語で有名な在原行平が参籠して、勅勘を許されたと伝えられますが、その後、火災、洪水、地震などの災害によりたびたび建て直されました。
現在の本堂は慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼再建したもので、建築奉行は片桐且元でした。

但し内陣の宮殿は応安元年(1368)の建造になるもので、重要文化財です。
本尊聖観世音菩薩脇侍毘沙門天不動明王が祀られています。
昭和47年、文化庁の指導で全面解体修理が行われ、六百年前の姿に復原されました。
この後、阪神淡路大震災の被災を乗り越え、平成17年にも復元のための修理が行われ現在の姿になっています。




鐘つき堂

弁慶の鐘が架かっている。一の谷の決戦のとき、この鐘を弁慶は長刀の先にかけ、前には提灯を灯して鵯越を担ぎまわったという。伝説ですね。


写経輪堂
その額

 
お堂の足には車がついており、回転できる。ぐるっと一周させると一回写経したことになる。
マニ車とやはり同じ思想だね。

途中だが、今回はこれでおしまい。電波状況が非常に悪く、満足に文章がタイプできないからである。 記事が長くなりすぎたのかもしれぬ。 須磨寺 II につづく。
 

 

 


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