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2015年8月29日土曜日

藤田嗣治の自画像と戦争画

藤田嗣治の人生と画業を記事にしたいと思いつつ、延び延びになってしまった。放っておくと、日々の日記が積み重なり、いつになるか分からないので、トピックを決めてその絵画を紹介したい。収集した画像をお見せしたいと思ったわけです。 レオナール・フジタ展  藤田嗣治(Wiki)

まず、簡単に彼に略歴を示す。
藤田嗣治
 
 

1886年 東京に生まれる。
1910年 東京美術学校西洋画科を卒業。
1913年 渡仏。ピカソやモディリアーニ、スーチンらと交友しつつ研鑚を重ねた。やがて乳白色の平滑なマチエールに面相筆による線描を生かした独自の技法を編み出す。
1919年  サロン・ドートンヌに入選。会員に推挙される。
1921年 サロン・ドートンヌ審査員となる。
1923年 サロン・デ・チュイルリー会員となる。
1929年 一時帰国。
1930年  再び渡仏。1933年までパリを中心に中南欧各地で制作。
1934年  二科会会員となり、第21回二科展で特別陳列される。
1937年 秋田で大壁画『秋田の行事』(秋田市平野政吉美術館蔵)を完成。
1939年  三度目の渡仏。
1941年  帝国芸術院会員となる。
1943年 朝日文化賞受賞。
戦争画も描いたが、戦後は複雑な日本画壇と離別。
1949年 アメリカ経由でフランスに渡り定住。
1955年  フランスに帰化
1956年  カトリックの洗礼を受けてレオナルド・フジタと改名。晩年はランスのノートル・ダーム=ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭。またガラス絵の制作に傾注した。
1957年  レジオン・ドヌール勲章受章。
1959年 ベルギー王立アカデミー会員となる。
1968年  チューリッヒで歿。

1.自画像

独創的な画家は大抵そうだが、藤田も自意識の非常に強い画家で、自画像にもその意識が顕著に表れている。しかもその意識が構図や愛着する猫などの描写にシンボライズされている。魅力的な自画像が多い由縁である。その主だったものを見ていこう。

これは、東京美術学校の卒業制作で描いた作品。残されている、最初の自画像と思える。青年藤田の気質が直接に表現されている。


以下パリで、名をあげてからの自画像。素晴らしき乳白色の画法が取り入れられている。大概、猫が一緒に描かれているのだが、彼の表情は常に口をすぼめ、秘かなアンニュイを漂わせている。


 
 
「Autoportrait dans l'atelier」 


 
 
 
 猫のいない自画像。

 
妻であったモデルのフェルナンド・バレエとの自画像。
 
 

帰国して、戦争画を描いていたころの自画像。



パリに帰った晩年の自画像。




2.戦争画

戦時中日本に戻っていた藤田嗣治には、陸軍報道部から戦争記録画(戦争画)を描くように要請があった。国民を鼓舞するために大きなキャンバスに写実的な絵を、と求められて描き上げた絵は100号200号の大作で、戦場の残酷さ、凄惨、混乱を細部まで濃密に描き出しており、一般に求められた戦争画の枠には当てはまらないものだった。

戦後になり、彼は半ばスケープゴートに近い形で戦争協力の罪を非難された。

渡仏の許可が得られると、彼は

絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい

との言葉を残してパリへ向かい、生涯日本に戻らなかった。

その戦争絵。以下一部分しか示されてないのもある。







 


 
 
 
 
戦争絵であっても、嗣治らしさは良く表現されている。

今回は、これでおしまい。

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