関連文献や画集などは、非常に沢山あり、ウエッブ上でも関連ページが400万件位ある。それで、引用はWikipediaの日本、ドイツ、フランス、英語版に制限する。ドイツ版が最も充実している。
Max Ernst
マックス・エルンスト Max Ernst | |
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生誕 | 1891年4月2日![]() |
死没 | 1976年4月1日(84歳)![]() |
国籍 | ![]() |
著名な実績 | 絵画 |
運動・動向 | ダダイスム、象徴主義 |
マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891年4月2日 - 1976年4月1日)
20世紀のドイツ人画家・彫刻家。ドイツのケルン近郊のブリュールに生まれ、のちフランスに帰化した。ダダイスムを経ての超現実主義(シュルレアリスム)の代表的な画家の1人である。
作風は多岐にわたり、フロッタージュ(こすり出し)、コラージュ、デカルコマニーなどの技法を駆使している。
何かと便利なので、Wikipediaに従ってその生涯を要約する。と言っても長いけどね。情熱的というか自由奔放な人生を送ったようです。女性にとって、とても魅力的な男性でした。
生涯:
・1891年
マクシミリアン・エルンスト(マックス)は、ブリュールでフィリップ・エルンストを父とし、ルイーゼを母として生まれる。父フィリップは厳格なクリスチャンであり、マックスを敬虔な信徒として教育するとともに、彼を絵画のモデルとして使っている。
・1909~1912年
ボン大学において、哲学、心理学、美術史を学ぶ。フィンセント・ファン・ゴッホの絵画に触れ、画家を志す。
・1914年
第一次世界大戦勃発。砲兵隊員として軍務につく。
・1916年
ダダイストたちとの最初の展覧会。
・1917年
『デア・シュトゥルム』誌が論文『色彩の発達』を掲載。
・1918年
美術館副管理長のルイーゼ・シュトラウスと結婚。
・1919年
ジョルジョ・デ・キリコに捧げたコラージュ・アルバム『流行は栄えよ、芸術は滅ぶとも』出版。
・1920年
ポルノグラフィー制作の容疑で起訴され、父からの呪詛とアンドレ・ブルトンらパリのダダイストよりの共感を受け、展覧会開催を勧められる。息子ウルリッヒ(ジミー・エルンスト)誕生。
1921年
『セレベスの象』制作。
・1922年
ルイーゼとの離婚を済ませぬ前に、ガラ・エリュアール夫人と友情を越えた関係を持つが、夫のポールは黙認するどころか集団恋愛に耽る。
・1923年
アンデパンダン展に作品を出品。
ダダのメンバーである友人たちをコラージュしたエルンストの作品
・1924年
絵画『美しき女庭師』でキュビストとして賞賛を得るが、ナチスに作品を持ち去られ、「退廃芸術展」にて晒しものにされる。サイゴンに旅行し、失踪しようとしたエリュアールを説得。
・1925年
フロッタージュの手法に目覚める。シュルレアリスム・グループ展に参加。
・1926年、『博物誌』出版。パリで初の大規模な作品展を開催。ジョアン・ミロとともにセルゲイ・ディアギレフのバレエのための衣装、装置を制作。
・1927年
映画脚本家ジャン・オーランシュの妹マリー・ベルト・オーランシュと結婚。
ピカソの影響が見て取れる。
・1929年
『百頭女』を出版。1931年、アメリカで初の作品展を開催。
・1934年
アルベルト・ジャコメッティとスイスで過ごし、彫刻作品を手がける。『慈善週間』を出版。
・1936年
レオノール・フィニと親密になり、2年ほど交際する。マリーと別離。
・1937年
『カイエ・ダール』誌に評論『絵画の彼岸』が掲載される。アルフレッド・ジャリの戯曲『鎖につながれたユビュ』の装置制作。女性画家レオノーラ・キャリントンと親密になる。
・1938年
キャリントンとサン・マルタン・ダルデシュに移住し、彼女の小説『恐怖の家』『瓜実顔の夫人』の挿絵を手がける。
・1939年
第二次世界大戦勃発とともに、敵性外国人として監禁と解放が繰り返される。
・1940年
敵性外国人として逮捕されて逃亡する。この事件後、キャリントンはスペインに逃れるも衝撃によって精神を病み入院、エルンストと離別する。
・1941年
スペイン経由でニューヨークへ脱出、助力してくれた美術収集家ペギー・グッゲンハイムより迫られて結婚するが、間もなく離婚。
・1942年
『雨後のヨーロッパII』制作。ニューヨーク、シカゴ、ニューオーリンズで作品展。オシログラフ(振動描画)を経てアクション・ペインティングに目覚める。

・1943年
ドロテア・タニングと出会ってすぐ親密になる。
・1946年
ドロテア・タニングと結婚。アリゾナに移住する。

『ユークリッド』、彫刻『山羊座』制作。ハンス・リヒター監督の映画『金で買える夢』脚本協力。
・1948年
アメリカ国籍を得る。

・1949年
パリへ戻り、旧友たちとの生活を取り戻す。
・1950年、パリで回顧展。
・1954年
ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞。
・1956年
ベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられる。
・1958年
フランスの市民権を得る。
・1959年
パリで大回顧展。
・1964年、『マクシミリアナ』を出版。
・1968年
オリヴィエ・メシアンのバレエ『ラ・テュランガリラ』の装置を手がける。『美しき女庭師の帰還』制作。
・1972年
ジョルジュ・リブモン・デセーニュの『兵士のバラード』の挿絵制作。
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・1975年
ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展。
・1976年
満85歳の誕生日より一日前に、パリにて死去。
・2005年
故郷ブリュールにマックス・エルンスト美術館開館。
以下、彼の絵画を時系列は無視してアップする。勿論題目も無視する。
これでおしまい。
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