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2015年11月12日木曜日

亀岡 出雲大神宮

亀岡駅から、タクシーを飛ばして出雲大神宮に行った。バスならば200円だが、時間がないので止むを得ぬ処置である。1800円もの痛い出費だったが、見ごたえのある神社であった。

参道  常夜灯がずらりと並んでいる。


このような石畳の道が拝殿までつづく。 紅葉がきれいである。

 
丹波国一の宮 出雲大神宮 の石碑
 
 
名神鳥居(石鳥居)
 
 
横手から見た鳥居
 
 
国幣中社 出雲神社 とある。 地方官の祀る中規模の神社という意味。

 
 
それでは、Wikipedia 様に一通りの解説をして頂こう。
 

 

出雲大神宮
Izumo-daijingū keidai-2.JPG
境内
所在地京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地
位置北緯35度3分33.86秒
東経135度34分42.28秒
座標: 北緯35度3分33.86秒 東経135度34分42.28秒
主祭神大国主命
三穂津姫尊
神体御蔭山(神体山)
社格式内社(名神大)
丹波国一宮
旧国幣中社
本殿の様式三間社流造
別名元出雲・千年宮
例祭10月21日
主な神事粥占祭(1月15日)
鎮花祭(4月18日)
神体とする御蔭山
手前は宮池。
鳥居


出雲大神宮(いずもだいじんぐう)

京都府亀岡市千歳町にある神社。式内社(名神大社)、丹波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。
旧称は「出雲神社」。別称として「元出雲」や「千年宮」とも。

概要:

亀岡盆地東部に立つ御蔭山(みかげやま)の山麓に鎮座し、御蔭山神体山として祀る神社である。
元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝(後述)に由来する。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲神社」と言えば出雲大神宮を指していた。
重要文化財に指定されている本殿や木造の男神像が伝えられている。

現在の出雲大社とは、別法人の神社である。紛らわしいが、こちらが元祖と言える。

御祭神
主祭神
  • 大国主命 (おおくにぬしのみこと)
    出雲大神宮では、別名を「三穂津彦大神」や「御蔭大神」とする。

  • 三穂津姫命 (みほつひめのみこと)
    高産霊尊の子で、大国主の国譲りの際に大国主の后となったと伝える。
     
稲をもつ三穂津姫命
 
配祀神
  • 天津彦根命
思いがけず、カードゲームのこんなお姿が出現してしまった。


  • 天夷鳥命
同じく、カードゲーム上では、こんなお姿であった。

祭神に関しては、天津彦根命・天夷鳥命・三穂津姫命の3柱とする説や、元々は三穂津姫尊1柱のみであるという説もある。

案内図




それでは、写真による参拝を始めよう。

鳥居横にある、末社と思える 弁財天社
御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)

 朱鳥居
 
神池に張り出すようにして祀られている。
 
 
 由緒舎
 
社伝では、和銅2年(709年)10月21日に社殿が建てられたとする。『古事記』・『日本書紀』には国譲りの神事が記載されるが、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点にあり、国譲りの所由によって祀られたとされる。
境内には横穴式石室を持つ後期古墳があるほか、西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳があり、古くから御蔭山を神体として祀る氏族がいたと推測されている。

大鳥居から拝殿を望む。


鳥居の額  立派なので写してみた。


常夜灯

手水舎

 
真名井のいずみ  御神水である。



この磐座の横からご神水がほとばしっている。


 
夫婦岩鳥居
 
大黒 恵比寿舎  信楽焼の大国様と恵比寿様が祀られている。


拝殿


狛犬二基


舞台

本殿

本殿のご様子

本殿
 

本殿横の社屋だが、名称がわからない。



境内の西側にある、名神鳥居


西側の常夜灯

西側にある 丹波之国一ノ宮 出雲大神宮の石碑。


名称不明の社 石のお地蔵様が祀られている。


この神社では、交通安全のため車のお祓いをしている。そのためのお祓い場所。


西側から見た本殿


本殿の裏手が鎮守の森になっている。入り口には、木製の鳥居

 
磐座

山道を登っていくと、本殿内の赤い神殿が見える。


再び石造りの鳥居が現れる。


春日社で、やはり磐座を祀っている。


御祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)と天兒屋命(アメノコヤネノミコト)である。


さらに山道を登っていくと、稲荷社に着く。

鳥居


稲荷社御祭神は、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。
さらに登ると御蔭の滝に至る。


稲荷社朱鳥居

  お狐様が見当たらない。


御蔭の滝  竜神乃神をお祀りしている滝。


磐座  この中には立ち入ってはならない。禁足地になっている。


大きな岩である。信仰の対象となっても不思議ではない。


ここをさらに登ると古墳が現れる。


横穴式、五世紀~六世紀前に作られた、前方後円墳車塚古墳とされる。

その様子。



やはり結界が張られ、古墳内は禁足地になっている。

上の社への参道にある、常夜灯磐座


しめ縄の張られた磐座はあちこちに見受けられる。


上の社鳥居

上の社


御祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)。

 
 これより先は、御神体山に向かうことになるので、社務所でお清めの襷を受け取って、それを肩にかけて登らねばならない。

 
鳥居をくぐり、この砂利道を登ってゆく。



磐座がそこかしこに見える。


またもや鳥居が現れる。


鳥居を抜けると、この一帯が 御神座磐座群である。
 

燈篭が二基置かれてあり、その間には磐座がある。



しめ縄は張られていないが、磐座群がある。



これより先は、 御神体山となり立ち入り禁止で、このような杉木立の中、参道を戻らねばならぬ。


途中の道すがらにある 磐座


 
笑殿社

御祭神は、事代主命(コトシロヌシノミコト)と少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)。


 
 社  ここにも、磐座が祀られている。

 

 
さらに参道を下り、手水舎のある入り口付近まで戻ってきたのである。


まだ末社の紹介が残っている。西の鳥居から少し離れた所に別の神社らしき一角がある。


この場所も、出雲大神宮の境内なのだが、その内に祖霊社 と黒太夫社がある。

祖霊社



出雲大神宮歴代の神職、役員、総代氏子、ならびに特別崇敬者の物故者を顕彰してお祀りしているそうである。

黒太夫社


 
御祭神は、猿田毘古神(サルタヒコノカミ)と大山祇神(オオヤマツミノカミ)。

これで出雲大神宮の紹介はおしまい。

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