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2015年11月17日火曜日

神戸灘区 敏馬神社

久々の神戸の神社紹介シリーズである。今回は、灘岩屋にある敏馬神社(みぬめじんじゃ)。阪神岩屋駅から歩いて5分くらいの距離にある。BBプラザ美術館のお隣である。国道2号線の北に面している。中規模の雰囲気の良い神社です。きれいに掃除が行き届いている。

鳥居 



縣社 敏馬神社 
 

ここで、Wikipediaによる解説。

   
敏馬神社
Minume shrine.jpg
拝殿
所在地兵庫県神戸市灘区岩屋中町4-1-8
位置北緯34度42分12秒
東経135度13分07秒
主祭神素盞嗚尊
社格式内社(小)・県社
創建神功皇后元年
本殿の様式流造
例祭10月10日


敏馬神社(みぬめじんじゃ)

神戸市灘区岩屋中町にある神社。式内社で、旧社格は県社
国道2号と 国道43号が東から西へ1本に重なる道路に北接する丘の上に鎮座する。阪神電鉄 岩屋駅の南東約150m。


御祭神
主祭神 素盞嗚尊
須佐之男命。歌川国芳作

御配神 天照皇大神・熊野坐神
天照皇大神


本来の祭神ミヌメ神(美奴売神・敏馬神)であった。ミヌメ神はその神名から水神の弥都波能売神と同神とみられ、現在では境内社の水神社に弥都波能売神が祀られている。


概略: 神戸市灘区の広報より)

神社は201年の創建と伝えられています。大化の改新(645年)の頃は「敏馬の泊まり」といわれ、万葉歌人を始め多くの歌人が遊び賑わうところで、万葉集にはこの地を詠んだ歌が11首もあります。
柿本人麻呂
「珠藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の埼(みさき)に船近づきぬ」
は有名で、境内に歌碑もあります。昭和初期まで白砂青松の景勝地でした。


由緒:
摂津国風土記』逸文に当社創建に関する記述がある。神功皇后新羅征伐に出発する際、川辺郡神前松原で戦勝祈願したとき、猪名川上流の能勢の美奴売山の神が来て、美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利すると告げた。その通りにして勝利を納めた帰途、古代には南に突き出した岬となっていた当地の沖で船が動かなくなり、船上で占いをするとこれは美奴売山の神の意志であるとわかったので、そこに美奴売神を祀ったという。


本来の御祭神は、能勢から来ていたんですね。戦勝のお礼として美奴売神を祀ったわけだ。
縁切りの神としても知られている。


古来より、この神社の前を、離縁を恐れて花嫁行列は通らない。女神が嫉妬するからだと言われているが、縁切りでも有名で、様々な縁切の方法が伝えられている。
それでは、写真によるお詣りを始めよう。まづは、拝殿下にある境内の様子。


由緒舎

常夜灯   

石灯籠 由緒言われがありそうです。


手水舎

閼伽井   三犬女清水(みぬめのしみず)とも呼ばれる井戸である。
かっては、湧水があったが、阪神・淡路大震災で涸れてしまったとのこと。


常夜灯と背後のビルとの取り合わせが面白いので写してみた。


社内社の稲荷神社

お狐様 御影石で作られていて真新しい。玉を咥えている(ように見える)。なかなかの面構えである。


もう一体のお狐様。 こちらは、例のごとく巻物を咥えている。

白玉稲荷大明神を祀っている。


敏馬浦跡とある歌碑   概略で説明した歌碑です。


達筆すぎて読めませんが、心配はいらない。隣に解説の歌碑がある。


万葉ゆかりの地

たまもかる 敏馬をすぎて なつくさの 野島のさき江 舟ちかづきぬ 人麻呂


かなが多い方が読みやすいですね。

拝殿に向かう石段


拝殿 ラッキーなことに、巫女さんがおられたので、そのお姿を写すことができた。

昭和27年再建された社殿は阪神淡路大震災で倒壊したが、その後復元された。


由緒板  この敏馬神社は、神戸で最も古い神社の一つです。


狛犬二基  立派なお姿です。


大絵馬  今年の干支の羊。最近大絵馬までも写すようになってきた。何故か? 絵柄が面白いからである。


拝殿のしめ縄

拝殿奥では、何らかの儀式が行われていた。神官が祝詞をあげていました。邪魔にならぬように、写させて頂いた。お賽銭のほうも、あげさせて頂きました。






本殿の様子。拝殿脇からの写真。




宝物殿というか倉庫だね。なぜこんなのを写したんだろう? 思い出した。再建に寄進した氏子の名札でした。


手水舎


再建碑  その後には、和歌の看板が幾つも立っている。万葉集の多くの歌人です。


境内の石垣の周りに和歌の看板が並んでいる。


后の宮(きさいのみや) 

御祭神は、神功皇后である。 




社横の石碑  神功皇后祠  とある。 室町時代のものである。


松尾神社    御祭神は、金山彦神・大山祇神・舟玉神の三柱。



水神社奥の宮の看板  同じ区画に祀られている。





 水神社  御祭神は、彌部波能売神(みぶはのめかみ)。
 



奥の宮 御祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命




 過敏馬浦之時の石碑



万葉集の歌人田邊福麻呂の短歌の歌碑でした。奈良時代の役人とあるが、勿論この歌人は知りませんでした。 画像は拡大すれば、読めるので、興味のある方は読んでみて下さい。



 境内に掲示されていた、古絵図や古い時代の写真を集めた看板。

面白い 写真集です。いつか時間があれば、古地図などを調べてみたいと思っております。





こちらの方の坂を下って、参拝を済ませた。


これでおしまい。
(追記:2017年8月13日一部修正改変)

3 件のコメント:

  1. こんにちは。この辺りはちょくちょく往来させていただいていまして、参拝はしては居ませんがちょっと気になるお宮さんの一つです。
    律令制の下、外国の使節団が渡来した際には必ずこの敏馬の泊に停泊してこちらの神社にて生田神社で醸した酒で使節らをもてなすのが決まりだったそうです。
    いわば迎賓館の役割が有った。
    その内実には、上代~古代大陸や半島からの往来が有る度毎に天然痘がほぼ同時に大流行し たその経験から
    直接首都の港湾である難波や住之江に入港させずに
    その一歩手前の敏馬泊で一旦引き留め使節ら(罹患、保菌者は舟人の可能性も高い)の健康状態を 観察するためだったのでしょう。
    また、安全保障上の問題ももちろん有ったとおもわれます。

    また、この伝承からは生田神社が酒造りを専らにしていた事や敏馬神社と深いつながりが窺い知る事ができます。
    因みに、この時代の生田神社は現在地ではなくて新幹線の新神戸駅北側の布引山に有りました。
    (意味不明な理由(大雨で山が崩れる)から無理やり御神体が引きずり下ろされたのは確か、鎌倉時代の事か。その留守居にはちゃっかり八幡宮(熊内八幡宮)が収まったと言うオチ)

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    1. 森岩光様
      コメント全く読んでいませんでした。そのご無礼をお詫びいたします。

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  2. 森岩光様
    貴重なコメント有り難うございます。敏馬の泊が外国使節団の宿舎を担当していたとは全く知りませんでした。しかも生田神社の酒でね。熊内八幡宮が生田神社のちゃっかり身代わり神社というのも初耳でした。面白い情報を感謝します。

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