福良港周辺のホテルや施設、商店それにお寺や神社が示されている。この地図の中央右上にあるぐるりエイトと記載されている横の挿絵のある場所が福良八幡神社である。
福良港から山側に向かって5,6分くらい歩いたところにある。小高い丘の上にある、こじんまりとした、雰囲気のよい小さな神社です。この神社の周りには、脇社や社内社が沢山ある。調査不足でその名がわからない社もあるが、できるだけ紹介したい。
福良八幡神社の鳥居 横書きの八幡宮の額が掛かっている。
その奥には拝殿に向かって急な石段がつづいている。
福良八幡宮の石碑
この石碑の横に御神楠がある。八幡大神より授かられたこの鎮守の森のご神木である。
この木である。
鳥居横の由緒舎だが、文字が消えてしまって読めませんね。
安政4年(1857年)ころの八幡神社の絵図
これを見ると、その当時も3か所の石段があり、それぞれの石段に通じる神社が三社あるのが見てとれる。中央の石段を登ったところにあるのが、八幡神宮である。右側が住吉神社、左側が八阪神社である。配置から共に八幡神社の脇社と思える。しかし鳥居のあるのは、八幡神宮だけである。丘の上で三社の境内がつながっていると思える。
淡路名所図会には、もう少し鮮明な絵図がある。
Wikipediaには、福良八幡神社の記載はない。福良の施設 の記事中に現れるだけである。それで兵庫県歴史博物館のホームページで神社情報を取得した。
福良八幡神社は、福良湾を見下ろす丘の上に建つ神社である。創立年代は不明だが、1600(慶長5)年に本殿が再建されたことが棟札により分かる。祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)である。鎌倉期の作といわれる3体の木造男神坐像があり、三間社流造の本殿は県指定文化財で、もとは桃山風に彩色されていたという。
御祭神 誉田別命=応神天皇
応神天皇
鳥居横の棟札では、
「社伝によれば貞観元年(西暦859年)清和天皇の勅願により、奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡宮の御分霊を奉じて京都男山へ勧請の途次に当福良浦によって創祀されました。貞応二年(西暦1223年)釣島城主福良義邦が社殿の大造営をなし同時に神宮寺を建主し八幡宮別当としました・・・」
と記されている。
石段を登ったところにある鳥居 こちらには縦書きの八幡宮の額がかかっている。
境内にある百度石と千度石
狛犬は、拝殿前と拝殿内の二基づつ計4基おられる。
拝殿前狛犬二基
常夜灯
拝殿内狛犬二基
拝殿の大しめ縄 鮮やかな黄色に染められている。
本殿は、県指定の文化財になっている。
拝殿の奥が本殿の正面になる。
本殿
社内社の護国神社の鳥居
護国神社の社
護国神社にある明治天皇の御製の歌
限りなき世に残さんと 国のため たふれし人の 名をぞとどむる
陰陽石 夫婦和合のシンボルですね。
その由来を記した石版。
八幡神社の社内社なのだが、名前がわからない。
その鳥居
社
同じく別の社内社の鳥居 こちらも名前がわからない。
社
福良八幡神社縁起の石碑
山門
この山門の石段を下ると、八阪神社の鳥居にいたる。
石段の途中にある常夜灯。淡路で最も古いものらしい。
石段を下ると平坦な場所にでる。
二連の鳥居と社 これまた名前がわからない。かっての八阪神社の境内にあったと思われる。
同じく名称不詳の二社。
さらに石段を下ると、八阪神社の鳥居前にでる。
住吉神社の鳥居
御神燈 随分真新しい。
石段
石段を登りきったところにある鳥居と社。 これまた名前がわからない。
社内社の金毘羅宮の鳥居
金毘羅宮の社
住吉神社の拝殿 とても小さい。金毘羅宮の社なみの大きさ。しかし敷地内には砂利が敷き詰められている。
住吉神社拝殿新築寄付者名の石碑
八幡神社にむかう通路に鎮座されていた稲荷神社
朱鳥居 額には、正一位稲荷大明神とある。
三連鳥居
稲荷社 朱塗りで真新しい。
お狐様2匹
稲荷神社社殿改築費寄進者名の石碑
これでおしまい。
追加の神社訪問記事:
八幡神社からは離れているのだが、慈眼寺から川沿いに坂を登っていったところに秋葉神社がある。こんもりとした丘の上にあり、コンクリの参道と石段が付けられている。
とても小さい神社で、拝殿はないが石の社が祀られている。
境内(これだけである)の様子。 周囲は民家で、この神社のみが小高い所に位置している。
調べても神社情報は、出てこない。石碑から、少彦名命がご祭神の一柱と思える。
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