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2015年12月17日木曜日

明石 月照寺

明石 都心回遊路・時の道 の3回目。今回は、人丸山にある月照寺の紹介である。

10. 月照寺

月照寺への南参道


人麿山 月照寺の石碑。 灯篭を兼ねている。


その入り口にあるお地蔵様三体の祠。

 
このような急な山道になる。左側が墓地になっている。
 

悪い癖であるのを承知で、目ぼしい石碑や墓をアップする。

剣士 野村弥生の碑


野村弥生は、男性である。ひ孫の方がブログを書いており、その方の記事によるとこのように書かれている。
Next Step 武士に二君無し

かなりの剣の達人で、幕末に彰義隊に入隊、徳川慶喜と共に上野の寛永寺にたてこもったらしい。
明治時代に陸軍中将への任官の誘いがあったらしいが、頑なに拒否。
そのときに言ったことが、「武士に二君無し」とか。





石碑によると、姫路師範学校の剣道教師を務めたそうである。その息子が町会議員などを務める名士で、娘婿と共にこの碑を建立したらしい。



日本国 かっぱ村 明石支村長 田中庸介氏のかっぱの石碑と田中家のお墓。

 
田中庸介氏は、“河童コレクター”として全国津々浦々にその名を知られていたそうです。
 
12年前の、明石市立文化博物館での企画展ポスター。
 
 
そのコレクションの1つ。須磨の海浜水族園で展示されていた、河童のミイラ


昭和48年に隠岐でカニ漁をしていた城崎の漁師さんが持ち帰ったもので、当時は新聞などで話題になったそうです。ミイラという不気味な名にそぐわない、小さな顔がとてもかわいらしい本資料ですが、クジラの脊椎骨ではないかとも考えられています。

河童のアイテム好きの方のための博物館 河童博物館

一品を紹介したい。刀の鍔。


六地蔵の祠


狛犬を従える鍾馗様

月照寺山門


明石市指定の文化財である。 



月照寺の重厚な山門は豊臣秀吉が伏見城の薬医門として建てたのが始まりで、明石城の切手門を経て、明治16年にここに移築されました。明石の指定文化財になっています。

月照寺の由緒

人丸山上月照寺は、元和4年に明石城築城に伴って、柿本神社とともにこの地に移ってきました。柿本神社の別当として歌人だけでなく朝廷からも崇敬を受け、寺内に国の重要文化財に指定されている「桜町天皇宸筆と一座短籍」や明石市の指定文化財である「船乗十一面観世音菩薩像」、「三十六歌仙と和歌式紙」などがあります。
境内には人丸観世音菩薩像が安置されています。

境内に入り拝観を始める。

仏塔


 
 石の上のお地蔵様群。 小坊主のお地蔵様がとても可愛いい。


子安千体地蔵尊  ガラスケースの中に子供の玩具も飾られてある。


境内の様子  左が本堂




石庭

ふれ愛観世音

洗心長寿観世音菩薩



北村西望102歳の作である。 長崎旅行記 IX 島原城 で紹介している。



これがオリジナル。



八ツ房の梅

説明板には、こう書かれている。

元禄十五年(一七〇二)赤穂浪士大石良雄、間瀬久太夫の両人、当山へ参拝して、素願の成就を祈り大石氏は墨絵鍾馗の図を描きて奉納。
間瀬氏は持参の梅の鉢植え八ツ房を移植して祈願の印しとなした。この梅は紅梅で一つの花から七、八個の実を結ぶので八ツ房の梅と称せられ多くの人々に親しまれている。現在は三代目である。




この梅の木である。
 
その石碑

本堂

鐘つき堂
 


海上安全「船乗十一面観世音菩薩」の碑

 
船乗十一面観世音菩薩
 

賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)
 

 

賓頭盧尊者はお釈迦さまの正法を伝える十六羅漢の一人で神通力(超能力)がとても強い人だったと言われています。一方で、あまりに神通力をもてあそんだためにお釈迦様に叱責を受けたそうです。
病人が自分の患部と同じところを撫でると病気が治るという信仰があり、いつもたくさんの人が賓頭盧尊者像を触っています。そのため、撫仏(なでぼとけ)とも呼ばれています。


私も頭をなでました。今更あたまのビョーキが治るとは思えんが。
本堂へのお詣り口にある石碑。 曹洞宗 人麿山 月照寺






この石碑の前に、天文科学館が建っている。

11は、抜けているのである。何をオミットしたのだろう? 都心回遊路・時の道 を参照。


12. 赤トンボの標示柱

天文科学館の裏側に、球の上に赤トンボがとまった標準時子午線の標示柱があります。1928年に測定した結果、子午線が月照寺の境内を通過することが分かり、最初は月照寺の正面に建てられました。標識の設計者は神戸高等工業高校の古宇田実博士で、当時としてはとても新しいデザインでした。しかし、1951年に再観測したところ、東経135度子午線が11.1m東を通過することが判明。1956年に現在の位置に移されました。
標識に赤トンボがとまっているのは、トンボの古名が「あきず(平安以降はあきつ)」であり、日本国の異称である「秋津島(あきずしま)」を象徴しているからです。





表示柱のある場所は、小さな広場になっていて、そこには蛸壺塚水平日時計が置かれている。

句碑


蛸壺や はかなき夏を 夏の月    松尾芭蕉

明石らしい句ですね。 蛸壺塚の碑

 

水平日時計

今回はこれでおしまい。

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