母の見舞いの帰り神戸電鉄に乗って、沿線の駅で降りて取材した神社を紹介していく。今回は神戸水天宮である。取材日は1月25日でかなり前になる。
神戸電鉄の長田駅から天神山の山頂にある神社が見える。これが神戸水天宮である。神鉄の線路に沿って5分位歩いて行き坂道を下る。そしてしばらくすると、Y字路に出るので右手の急な坂を道なりに上ると、その左奥に神戸水天宮の大きな看板が見えて来る。
結構急な登りで、私のような年寄りにはちとしんどい。
境内へは朱塗りの手すりが付けられている。
この看板である。
水天宮は安産祈願の神社として地元では知られている。 幸いWikipediaに解説記事があるのでそれを引用する。
神戸水天宮 | |
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所在地 | 兵庫県神戸市長田区長田天神町五丁目5番1号 |
位置 | 北緯34度40分55.4秒 東経135度08分46.3秒座標: 北緯34度40分55.4秒 東経135度08分46.3秒 |
主祭神 | 天御中主神 |
創建 | 不明 |
別名 | 水天宮さん |
例祭 | 10月5日 |
地図 |
神戸水天宮
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神戸水天宮(こうべすいてんぐう)
兵庫県神戸市長田区長田天神町に鎮座する神社(水天宮)である。
ご祭神:
主祭神 天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
右側の鉾をもつ女神である。左側は、イザナギ、イザナミの神。
配祀神 安徳天皇
第81代天皇で、その母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)
建礼門院(平徳子)
二位尼(にいのあま)平時子
平清盛の正室で徳子の母。
安徳天皇を抱いて入水する二位尼(平時子)を描く。
平清盛の正室で徳子の母。
由緒:
社伝によれば、当宮の鎮座する天神山には、「神代の頃に事代主神が天より降りてこられた」との言い伝えがあり、「宇奈弖(うなで)の丘」と称して神聖な山として守られてきた。
大正3年(1914年)、当宮の初代宮司西学治が中心となって、福岡県久留米市鎮座の水天宮より分霊を勧請し、兵庫区楠町に奉安の後、長田区熊野神社内に奉斎した。
大正11年10月、この宇奈弖の丘に仮本宮を建立して遷宮、翌12年4月、本宮に遷御し、「神戸水天宮」として鎮祭した。
という事で大正末に建立された比較的新しい神社です。そのせいか社屋も真新しい。平家物語に因む神社と言えよう。
大鳥居
由緒舎
拝殿への石段
拝殿 朱塗りの柱が鮮やかである。 安産祈願の幟が掛けられている。
社額
拝殿奥の本殿は木々に邪魔されて見えにくい。
手水舎 2本柱でしかも朱塗りである。
常夜燈 これまた朱塗りである。
拝殿横に境内社の長田社の社がある。
長田社 小さいけれどもその造りは立派です。
ご祭神: 事代主神 (ことしろぬしのみこと)
えびす神のことですね。
同じく脇社の白長社(しらながしゃ) 本殿の西側にある。
ご祭神: 大物主神
以前奈良の大神神社の記事でご祭神として説明した。蛇神様です。桜井 大神神社
脇社の種宮(とくさのみや) 白長社の横にある。
ご祭神: 西(にし)家(創始社家)御神霊
この水天宮を創設した西家の御神霊ということらしいが、良くわからない。初代宮司の西学治の人物像もはっきりしない。
ご神木の楠
境内と社務所
久しぶりの神社記事でした。今回はこれでおしまい。 これからも記事を以前のように書き続けられるかどうかは分からない。辛い所である。
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