全国あちこち(600社)に住吉神社があるが、この神社は兵庫之津 住吉神社である。
社碑
住吉神社を調べてみると、近畿地方だけでこれだけある。びっくりである。
- 住吉神社 (桑名市) - 三重県桑名市
- 住吉神社 (高島市) - 滋賀県高島市
- 住吉神社 (京都市下京区醒ヶ井) - 京都府京都市下京区
- 住吉神社 (南丹市) - 京都府南丹市八木町西田山崎
- 住吉神社 (大阪市西淀川区) - 大阪府大阪市西淀川区野里
- 住吉神社 (寝屋川市) - 大阪府寝屋川市
- 住吉神社 (河内長野市) - 大阪府河内長野市小山田町
- 住吉神社 (交野市) - 大阪府交野市
- 住吉神社 (神戸市兵庫区) - 兵庫県神戸市兵庫区切戸町
- 住吉神社 (明石市) - 兵庫県明石市魚住町
- 住吉神社 (加古川市) - 兵庫県加古川市
- 住吉神社 (宝塚市) - 兵庫県宝塚市安倉
- 住吉神社 (小野市) - 兵庫県小野市垂井町
- 住吉神社 (三田市) - 兵庫県三田市大川瀬
- 住吉神社 (加西市) - 兵庫県加西市北条町
- 住吉神社 (加東市上鴨川) - 兵庫県加東市上鴨川
Wikipediaには、この神社の記述はない。それで、神戸市兵庫区の広報を基にして紹介する。
兵庫之津 住吉神社
由緒:
創建は、この兵庫津に明治10年運河(新川)が完成し、船の退避、通運が安全になり、地元住民が海の守護神である 住吉大神を勧請 しようとの熱意がたかまり、 大阪の住吉大社 より、ご勧請することとなった。
由緒:
創建は、この兵庫津に明治10年運河(新川)が完成し、船の退避、通運が安全になり、地元住民が海の守護神である 住吉大神を勧請 しようとの熱意がたかまり、 大阪の住吉大社 より、ご勧請することとなった。
だから大阪の住吉大社が起源なんだね。
住民の敷地奉献により、約700坪の境内地を造成し、社殿を竣工し明治11年6月3日遷座奉祝祭を斎行された。
大正12年に、周辺の市電整備などにより、 清盛塚 が境内の一角に移設され、現在共存しています。
住民の敷地奉献により、約700坪の境内地を造成し、社殿を竣工し明治11年6月3日遷座奉祝祭を斎行された。
大正12年に、周辺の市電整備などにより、 清盛塚 が境内の一角に移設され、現在共存しています。
清盛塚の隣でなく、住吉神社の境内に清盛塚があるのです。大いなる錯覚でした。
戦災により焼失し、昭和39年に再建された。
平成10年は御創祀百二十年に当たり、奉祝に大石鳥居の建設があった。これを機に付属舎、境内整備等の奉賛事業を完了、平成11年7月25日に奉祝際を斎行した。
平成10年は御創祀百二十年に当たり、奉祝に大石鳥居の建設があった。これを機に付属舎、境内整備等の奉賛事業を完了、平成11年7月25日に奉祝際を斎行した。
ご祭神:上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、神功皇后。
神功皇后こと、息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。
表筒男命(上筒之男命)
鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
底筒男命
徳島県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命
北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
航海安全、陸上交通安全の神として知られている。
由緒板
大鳥居
拝殿 この参拝時は、しめ縄の一方が外れていた。現在は直されていると思うけど。
なぜか拝殿の隣に置かれていた木彫りの象の置物。
境内社の橋木稲荷大明神の重ね鳥居 石の鳥居と木製朱塗りの稲荷鳥居
玉垣と社殿は稲荷社らしく鮮やかな朱塗りである。
守り神のお狐様 こいつはそんなに怖い顔はしていない。
これでおしまい。
(追記:2017年8月14日 記事:兵庫住吉神社、御崎厄除八幡宮、三石神社を分離改変)
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