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2017年12月20日水曜日

大阪 四天王寺 IV

四天王寺境内の参拝はまだまだつづく。

絵堂

ここには聖徳太子の誕生からお亡くなりになられるまでの数々の伝説がお堂の内壁いっぱいに描かれている。 この絵堂は通常、月に1日(毎月22日)のみしか入れない。この日当然の如く閉鎖されていました。




もし開いていればこの聖徳太子絵が見られるのである。

絵堂第四面の聖徳太子絵

開かれている時は僧侶が太子絵の解説をして下さる。機会を作って是非とも見たいものですね。



石槽

一塊の花崗岩を削って貫いて造った石槽である。もとは、四天王寺の西大門の外に手本鉢として使われていたもので、大阪市指定の重要文化財です。


長持形石棺蓋

四天王寺近隣にある茶臼山古墳から出土したとされる。四天王寺境内の亀井堂東の溝に橋として使われており、この橋を渡ると安産になると伝えられてきた。
明治時代に調査され、古墳時代の石棺蓋であることが判明してからはこの場所に移動され保管されている。


石鳥居 笠石(部分)  鎌倉時代 永仁2(1294)のもの。


鳥居最上部のもので、本品は忍性上人建立の石鳥居笠石の一部と伝える。


写真はボケてしまったが、かってのご神木らしき楠。 神仏混淆の名残りなのでしょうか。


五重塔金堂

中の門からの参道に祀られている不動明王


本坊西通用門


本坊の中庭  蘇鉄の大木が植わっている。

石畳の歩道が美しい。 本坊の庭園を観賞したかったのだがこれまた閉園していました。



英霊堂  こちらも4時を過ぎていたので閉鎖されていました。

英霊堂はもとは鐘楼であり、明治39年に建設された。聖徳太子1300年御遠忌を記念して巨大な梵鐘を鋳造し、これを吊るために柱間3間四方の破格に巨大な鐘楼がつくられた。大規模な梵鐘、鐘楼をつくることは中世以来の歴史があり、四天王寺の巨大な鐘楼もこの伝統が近代にまで受け継がれた数少ない遺構といえる。その平面、高さともに、わが国最大級の規模である。中之門から本坊にいたる主要参道に面して建ち、巨大な鐘楼は地域のランドマークとなっている。


扁額

堂碑

かっての英霊堂  この写真を見ると鐘楼だったとすぐ分かりますね。



大黒堂 

ご本尊は一体の像に大黒天毘沙門天弁才天の顔を持つ三面大黒天である。
三面大黒天は、三神の霊験を併せ持つ仏尊とされ、豊臣秀吉出世守りの本尊にもされたそうです。


本堂


三面大黒天像


この大黒様は三面らしく見えないですね。こちらは別所のものですが三面が明確です。




手水舎



扁額


堂内の大黒天提灯


元三大師堂  4時を越えているのでこのお堂も閉鎖されていた。そればっかりですな。

聖徳太子の師である 慈恵大師(じえだいし)を祀っている。

門扉


はしたないが扉の隙間から堂内を写した。

堂宇の周りには、六時堂と同様に「賓頭盧尊者」と「おもかる地蔵」が祀られているそうです。




無縁塔


地蔵堂

二連の地蔵尊

地蔵尊阿弥陀仏の石像


中の門  外国人旅行者のお姉さんが写真を撮っていました。



これでおしまい。 次回はお待ちかねの中心伽藍の参拝である。

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