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2017年12月1日金曜日

住吉大社 V 大海神社

今回は住吉大社摂社である大海神社(だいかいじんじゃ)を紹介しよう。前回の種貸社とこの神社とは接していてその境内への入り口がこの朱門になっている。

朱門

この門から大海神社境内に入ることができる。この場所から参拝を始めても良いのだが、このブログ記事では神社紹介はまづ鳥居から始めているのでその伝を踏襲する。

鳥居  拝殿に向かう参道は緩やかな坂になっている。



鳥居前 狛犬二基  吽(うん)の方の狛犬の耳の部分が欠けているのと阿(あ)の方の下顎も欠けているのは残念で少し痛々しい感じがします。



西門 この西門は、江戸時代前期の造営である。切妻造の四脚門で、屋根は本瓦葺国の重要文化財に指定されている。



山門の裏手から鳥居を望む。




ここでいつものように大海神社由緒ご祭神を記したいが、幸いWikipediaの独立記事があるのでそれを引用する。

大海神社

大海神社
Daikai-jinja, heiden-1.jpg
幣殿(国の重要文化財)
所在地大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89(住吉大社境内)
位置北緯34度36分50.05秒
東経135度29分37.21秒
座標: 北緯34度36分50.05秒 東経135度29分37.21秒
主祭神豊玉彦命
豊玉姫命
社格等式内社(小)
住吉大社境内摂社
本殿の様式住吉造
例祭10月13日
地図
大海神社の位置(大阪市内)
大海神社
大海神社
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鳥居


大海神社(だいかいじんじゃ)

大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社で、現在は住吉大社の境内摂社

祭神

豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

座っている二柱が豊玉彦命豊玉姫命である。



由緒:

新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「住吉垂水神」には神戸として22戸が充てられており、そのうち2戸は天平宝字3年(759年)12月29日符で摂津国から、1戸は天平神護元年(765年)9月7日符で備中国から充てられたと見えるが、この「住吉垂水神」を大海神社に比定する説がある(別説では吹田市の垂水神社に比定)。また『延喜式』臨時祭の東宮八十島祭条に見える「海神二座」、『日本紀略』天暦2年(948年)7月5日条に見える「住吉海神」を当社に比定して、住吉神とともに八十島祭に預かったとする説もある。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、摂津国住吉郡に「大海神社二座 小 元名津守安人神」と記載され、2座が式内社に列している。
その後も住吉大社の摂社として推移し、かつては住吉大社本宮の式年造営に際して当社社殿も建て替えられたという。

古文書文献に不案内なので以上の内容は全くわかっておりません。単なるWikiからのコピペにすぎません。すみません。

住吉大社のホームページにはこのように簡単に書かれています。

記紀神話によるとでは、海宮に赴いたときに出会った父神娘神の二神(豊玉彦命豊玉姫命)の伝説が残っている。
大海神社は、その舞台となった海宮、つまり龍宮そのものを表わすとされる。


それでは境内参拝を始める。

社殿
左に幣殿、右奥に本殿。本殿・幣殿の間には渡殿が建っている。


幣殿 幣殿割拝殿形式で、桁行三間、梁間二間の切妻造で、屋根は檜皮葺である。渡殿・幣殿は合わせて1棟として国の重要文化財に指定されている。



渡殿・幣殿は合わせて1棟として国の重要文化財に指定されている。

重要文化財指定石碑幣殿前の木製常夜燈


幣殿の神額と渡り殿扉絵  金箔張りで、松と千石船が描かれている。豪華ですね。


梁間

本殿屋根  


本殿は、江戸時代中期の宝永5年(1708年)の造営である。住吉大社本宮本殿(文化7年(1810年)造営、国宝)と同様の住吉造であるが本宮本殿よりも古く、また本宮本殿と同様に海の方向に西面する。

境内の石灯籠

朱門方面



境内常夜燈


手水舎  玉の井と名付けられている。


手水舎額  手水舎神額が架かっているのは珍しいですね。山幸彦海神から授かった潮満珠を沈めた処と伝えられている。


大海神社の境内にというべきかどうか悩んでしまうが、同じく住吉大社境内摂社である志賀神社が近くに鎮座している。


志賀神社 社殿


神額

祭り神
底津少童命 中津少童命 表津少童命 
の三海神であり、本社は九州志賀島にある。表記から住吉三神の子供時代の神かもしれない。(確かめていません。)


これで今回はおしまい。住吉大社編はまだつづきます。






2 件のコメント:

  1. 住吉大社の摂社、大海神社は近世までは大社を社家である津守氏(ホアカリ/ニギハヤヒ(=ニニギ(出雲の伝))~海部/尾張氏の末流)の歴代の当主が宮司/神主に奉仕(就任)して、
    その後継者/嗣子が大海神社の歴代の宮司/神主に就任、奉仕する慣わしだったと言います。

    それほどに津守氏にとって重要な神社だと言います?

    妄想ながら、
    楠木/楠が神木とされる謂れを何方も説明出来ていませんね?
    楠の文字を分割すると、木+南。反転させたら南+木、、、「なぎ」・・・イザナギ(元々は出雲神族(神=王)らの最高神で始祖のクナト大神を大和朝廷が横領し改竄したもの。(出雲の伝承))

    出雲族は最高三柱神を信奉すると共に龍蛇神も(神の形代として)信奉。
    出雲族の分流、葛城(葛木)族は葛の姿形(蔓が巻き付いて何処までも伸びる様や木肌がまるで龍蛇神の鱗の様)龍蛇神な形代として敬っていたとか?
    葛はかづら。また、クス/クズ。
    同様な龍蛇神の鱗のような木肌で真っ直ぐ天界へ伸びて行くかのような神の依代の木(神木)、、、楠木、、、

    多分、これでほぼ間違いないと考えます。

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  2. 森岩光様
    何も知らずで神社の参拝記事を書いていますが、森岩様のお勧めのように住吉大社は見どころが満載でした。津守氏の歴代の当主がこの大海神社の宮司を務めているとは露知らずでした。津守氏を祀る社があるのを知ったことさえ驚きでした。
    殆どの神社で楠がご神木とされるのは単に杉のようにでかくなるからと思っていました。違うんですね。
    龍蛇神の鱗のような木肌で真っ直ぐ天界へ伸びて行くかのような神の依代の木なるがゆえにご神木であるというのは卓見だと思います。
    機会があればまた色々ご教示ください。

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