ページビューの合計

2018年2月19日月曜日

神戸東灘区 大日霊女神社

横屋八幡神社の参拝をおえてから阪神魚崎駅に向かった。この駅で阪神電車に乗って深江駅で下車し、大日霊女神社(おおひるめじんじゃ)を参拝するのが次の目的であった。
この神社は退職後も参拝したことがあるのだが、その時はブログ記事を書いていなかったので殆ど記憶には残っていない。相も変らぬ健忘症である。それで初めての参拝と変わりはなかったが境内奥に多くの石碑境内末社があったのをかすかに覚えていた。当時は神社の中に別の神社の社が沢山あって面白いなと思っていた。現在では百社以上の神社を参拝して脇社境内末社などの無い神社のほうが稀であると知っている。少しは学習効果がでてきたようである。

神社深江駅をおりて南東すぐのところにある。モダンな神社らしからぬ社殿があるのですぐにわかる。平成12年(2000年)に新築再建されたものである。地元民からは大日っつぁんと親しみを込めて呼ばれている。

道路に沿って立つ神明鳥居  神明鳥居は数少ないがこれは中が空洞の鋼鉄製だと思われる。


社碑   黒御影石の立派な社碑です。

由緒舎

この由緒記を基にして神社の基礎情報を与える。

ご祭神:

大日霊女尊  (おおひるめのみこと)

以前も書いたけど天照大神(あまてらすおおかみ)のことです。今回はゲームキャラのこの画像。

アマテラス





宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)

稲荷神社の神様ですね。今回はアニメキャラの画像です。


えびす大神  (えびすのおおかみ)

何回も登場して頂いているが今回はこの悪人面のイラスト。


由緒:

創建年代は不明だが、鎮座地の深江北町四丁目から本庄町三丁目にかけて「薬王寺」という地名が残っていた。これは中世建立された真言宗薬王寺」に因むものとされていた。薬王寺大日如来本尊としていたが、文明13年(1481)に浄土真宗に改宗して、寺号を「延寿寺」に改名し、本尊阿弥陀如来に変えました。寺を出された旧本尊大日如来を村人が引取り、現在地に祀ったのがこの神社の始まりと伝えられている。

大日如来本尊とする神仏習合鎮守社として信仰されたが、明治維新の神仏分離令により、明治6年神社となった。

明治41年(1908年)には神明造の瓦葺流造本殿瓦葺入母屋造拝殿などが建てられた。しかし、昭和20年(1945年)8月の米軍による無差別大空襲によって社務所やだんじり庫、樹齢集百年の松が焼かれるなど大きなダメージを受けた。幸い本殿拝殿は何とか戦災を免れた。その社殿も平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で全壊する。
そして平成12年(2000年)に無事新しい社殿が再建された。


神社広報



それでは境内の参拝を始める。

手水鉢  節水のため蛇口をひねって適宜ご神水で手をお清めください。


渡し鳥居  石畳の参道両側は車と自転車で一杯。


境内


社殿側から見た境内

常夜燈


拝殿   新築なった立派な青銅葺拝殿です。漆喰塀のように見えますが全てRC製の社殿です。

拝殿前 常夜燈 同様のものが対面にもある。


拝殿前 狛犬二基  共に平成12年生まれで御年18歳のティーンエイジャーです。



社殿側面



本殿屋根部分 広報にも記されていたが千木(ちぎ)が内そぎ(地面と平行)なので女神を祀っている。ご祭神大日霊女尊なので当然と言う事です。


脇社稲荷神社 朱鳥居

百度石 

蓋の被せられた手水鉢

稲荷神社由緒板

つぎの二稲荷大神ご祭神として祀っている。

正一位 白玉稲荷大明神

正一位 末光稲荷大明神

両社殿とも当神社に遷移されたが社殿老朽化のため平成2年11月に改築された。より詳しくは由緒板を読まれたい。


白玉稲荷社 社殿

末光稲荷社 社殿

社殿前 狛狐二基 巻物と玉を咥えた二匹です。



社殿前 常夜燈 

本殿の左側が小さな庭になっていて深江史の庭と呼ばれる。この地域にあった記念碑や石碑を一同に集めた場所になっている。



庭の左端に末社社殿が二つ並んでいる。


右側の社殿には深江山の神を祀る。ご祭神大山祇大神(おおやまつみおおかみ)である。

山の神社殿

左側の社殿には深江塞の神を祀る。掲示板にある三柱の神(漢字で書けない文字があるのでご容赦)がご祭神である。



塞の神社殿


皇太子殿下御降誕奉祝記念碑 

御社殿新築再建記念碑

深江の童謡碑
 高橋の礎石

明治38年日露戦争凱旋の記念植樹碑

 雪見灯篭

魚屋道(ととやみち)の石碑


ここ灘の深江六甲山を縦走し有馬の温泉街に至る間道「とと屋道」の起点に当る。

とと」はのことであり、「とと屋道」とはその名の通り、早朝灘の早朝灘の漁港に水揚げされた魚を仕入れたとと(魚)が、有馬の温泉旅館に鮮魚を卸すため、魚を担いで六甲山を越える近道として栄えた。
その行程については看板を参照されたい。


これでおしまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿