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2015年10月2日金曜日

本願寺神戸別院

神戸寺院仏閣シリーズである。今回は、本願寺神戸別院の紹介。地元の我々は、モダン寺と呼んでいる。JR線に乗ると、花隈あたりで背の高い異国風の教会らしき建物が見える。パッと見るとイスラム寺院みたいに思えるが実は違う。由緒正しき浄土真宗は、本願寺派の寺院である。

寺院の前はしばしば通っているが、寺院の写真は撮っていなかったので、今回紹介したい。まづWikipediaによる解説を引用する。

本願寺神戸別院
Honganji KobeBetsuin.jpg
本堂
所在地兵庫県神戸市中央区下山手通8-1-1
位置北緯34度41分9.75秒
東経135度10分48.54秒
宗旨浄土真宗
宗派浄土真宗本願寺派
本尊阿弥陀如来
創建年1639年(寛永16年)
開基良如
正式名本願寺神戸別院
別称モダン寺
公式HP浄土真宗本願寺派 本願寺神戸別院

親鸞聖人御像
 
 
本願寺神戸別院(ほんがんじこうべべついん)
 
兵庫県神戸市中央区下山手通にある浄土真宗本願寺派の寺院である。
同派本山の西本願寺(京都市)直属の別院である。「モダン寺」の愛称でも呼ばれている。
1917年の本堂焼失後、大谷光瑞、大谷尊由らの手により復興が進められる。尖塔や壁面彫刻などインド様式を取り入れた斬新な建築様式で知られている。
1995年改築後は、ホールや会議室などを備えた多目的施設も備えており、仏前結婚式も行われる。本堂は、別院では珍しく内陣に畳を用いず、椅子席規範に準拠した門主席、新門・前門席、礼盤及び内陣となっている。
 
階段下から本堂を写した。見た通りの鉄筋コンクリート造りの寺院である。
インド様式を取り入れていて、当時は斬新な建築様式であったが、改築後の今は巨大コンクリ寺院でしかない。中にも入ってみたが、寺院というより大きな仏壇を設えたホールという感じである。
 
 
入り口玄関
 
 
1階ホール  奥が本堂内陣になっている。
 
 
 
 
寺院には、縁を基として仏前結婚式を営む方々が沢山いる。パンフの2枚目に見るように、本堂が結婚式場に変わるのである。
 
パンフ
 

 
 
神戸の教会の向こうを張っている訳ではない。 20年位前から、結婚式場としても使われている。
 
本堂を撮影することは叶わなかったので、仏壇店のホームページより借用した。
 

勿論本堂で葬儀も行われる。というより、こちらが本務である。撮影は禁じられているので、写真は(御寺院様・会館利用事例)のぺージから取得した。



これが30年前のモダン寺。この頃のお寺のほうが良かったと思うのは私だけだろうか。


本堂の前にある親鸞聖人のブロンズ像
 
 
最後に夜のモダン寺
 
 
 
 
これでおしまい。

2015年10月1日木曜日

マックス・エルンスト

趣味で好みのマイナーな画家の作品を紹介しているが、今回はマックス・エルンストである。超現実主義大画家である。絵画や評論だけでなく多方面で活躍した有名すぎる画家なので、私の趣旨に反するが、好きな絵画が沢山あるということで紹介したい。

関連文献や画集などは、非常に沢山あり、ウエッブ上でも関連ページが400万件位ある。それで、引用はWikipediaの日本、ドイツ、フランス、英語版に制限する。ドイツ版が最も充実している。
 Max Ernst
   
マックス・エルンスト
Max Ernst
生誕1891年4月2日
ドイツの旗 ドイツ ブリュール
死没1976年4月1日(84歳)
フランスの旗 フランス パリ
国籍ドイツの旗 ドイツ
著名な実績絵画
運動・動向ダダイスム、象徴主義
 
マックス・エルンストMax Ernst, 1891年4月2日 - 1976年4月1日)
 
20世紀のドイツ人画家・彫刻家。ドイツのケルン近郊のブリュールに生まれ、のちフランスに帰化した。ダダイスムを経ての超現実主義(シュルレアリスム)の代表的な画家の1人である。
作風は多岐にわたり、フロッタージュ(こすり出し)、コラージュ、デカルコマニーなどの技法を駆使している。

何かと便利なので、Wikipediaに従ってその生涯を要約する。と言っても長いけどね。情熱的というか自由奔放な人生を送ったようです。女性にとって、とても魅力的な男性でした。

生涯:

・1891年  
マクシミリアン・エルンスト(マックス)は、ブリュールでフィリップ・エルンストを父とし、ルイーゼを母として生まれる。父フィリップは厳格なクリスチャンであり、マックスを敬虔な信徒として教育するとともに、彼を絵画のモデルとして使っている。

・1909~1912年
ボン大学において、哲学、心理学、美術史を学ぶ。フィンセント・ファン・ゴッホの絵画に触れ、画家を志す。
 
・1914年
第一次世界大戦勃発。砲兵隊員として軍務につく。
 
・1916年
ダダイストたちとの最初の展覧会。
 
・1917年
『デア・シュトゥルム』誌が論文『色彩の発達』を掲載。
 
・1918年
美術館副管理長のルイーゼ・シュトラウスと結婚。

・1919年
ジョルジョ・デ・キリコに捧げたコラージュ・アルバム『流行は栄えよ、芸術は滅ぶとも』出版。
 
・1920年
ポルノグラフィー制作の容疑で起訴され、父からの呪詛とアンドレ・ブルトンらパリのダダイストよりの共感を受け、展覧会開催を勧められる。息子ウルリッヒ(ジミー・エルンスト)誕生。

1921年
セレベスの象』制作。



 
・1922年
ルイーゼとの離婚を済ませぬ前に、ガラ・エリュアール夫人と友情を越えた関係を持つが、夫のポールは黙認するどころか集団恋愛に耽る。

・1923年
アンデパンダン展に作品を出品。

 
ダダのメンバーである友人たちをコラージュしたエルンストの作品

 
・1924年
絵画『美しき女庭師』でキュビストとして賞賛を得るが、ナチスに作品を持ち去られ、「退廃芸術展」にて晒しものにされる。サイゴンに旅行し、失踪しようとしたエリュアールを説得。
 
・1925年
フロッタージュの手法に目覚める。シュルレアリスム・グループ展に参加。
 
・1926年、『博物誌』出版。パリで初の大規模な作品展を開催。ジョアン・ミロとともにセルゲイ・ディアギレフのバレエのための衣装、装置を制作。

 

 
・1927年
映画脚本家ジャン・オーランシュの妹マリー・ベルト・オーランシュと結婚。


ピカソの影響が見て取れる。
 
・1929年
百頭女』を出版。1931年、アメリカで初の作品展を開催。


 
・1934年
アルベルト・ジャコメッティとスイスで過ごし、彫刻作品を手がける。『慈善週間』を出版。
 
・1936年
レオノール・フィニと親密になり、2年ほど交際する。マリーと別離。
 
・1937年
『カイエ・ダール』誌に評論『絵画の彼岸』が掲載される。アルフレッド・ジャリの戯曲『鎖につながれたユビュ』の装置制作。女性画家レオノーラ・キャリントンと親密になる。

・1938年
キャリントンとサン・マルタン・ダルデシュに移住し、彼女の小説『恐怖の家』『瓜実顔の夫人』の挿絵を手がける。

・1939年
第二次世界大戦勃発とともに、敵性外国人として監禁と解放が繰り返される。
 
・1940年
敵性外国人として逮捕されて逃亡する。この事件後、キャリントンはスペインに逃れるも衝撃によって精神を病み入院、エルンストと離別する。

・1941年
スペイン経由でニューヨークへ脱出、助力してくれた美術収集家ペギー・グッゲンハイムより迫られて結婚するが、間もなく離婚。
 
・1942年
雨後のヨーロッパII』制作。ニューヨーク、シカゴ、ニューオーリンズで作品展。オシログラフ(振動描画)を経てアクション・ペインティングに目覚める。


 
・1943年
ドロテア・タニングと出会ってすぐ親密になる。

・1946年
ドロテア・タニングと結婚。アリゾナに移住する。

アリゾナにて

『ユークリッド』、彫刻『山羊座』制作。ハンス・リヒター監督の映画『金で買える夢』脚本協力。


・1948年
アメリカ国籍を得る。


アメリカ時代のエルンスト

・1949年
パリへ戻り、旧友たちとの生活を取り戻す。

・1950年、パリで回顧展。

・1954年
ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞。

・1956年
ベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられる。

・1958年
フランスの市民権を得る。

・1959年
パリで大回顧展。

・1964年、『マクシミリアナ』を出版。

・1968年
オリヴィエ・メシアンのバレエ『ラ・テュランガリラ』の装置を手がける。『美しき女庭師の帰還』制作。


・1972年
ジョルジュ・リブモン・デセーニュの『兵士のバラード』の挿絵制作。


・1975年
ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展。

・1976年
満85歳の誕生日より一日前に、パリにて死去。

・2005年
故郷ブリュールにマックス・エルンスト美術館開館。

 


以下、彼の絵画を時系列は無視してアップする。勿論題目も無視する。




 









 








 
画風の変遷が著しいのが見て取れる。

これでおしまい。
 
 

南京町 中秋祭

今回は、地元神戸南京町での、お祭り中秋節の紹介。中国のお祭りです。今年で18回目になる。9月26日から28日までで、先日終了した。他の記事が多くて報告が遅れた。 お祭りのホームページ より。



中秋節とは旧暦の8月15日(十五夜)に、月を愛で、秋の収穫を祝って地の神様を祀る節句です。今年の中秋は9月27日(日)にあたります。この時期の満月は一年で最も円に近く、最も美しいとされてきました。
中国では昔から、中秋節には家族揃って円形に食卓を囲み、欠けのない満月のように円い食器で食事をして家族団らんを楽しみます。また、この時期には「月餅げっぺい」を親しい人やお世話になった人に贈る習慣があり、中秋節月餅はかかせません。

月餅
 
ポスター
 



大きなお祭りではないのですが、獅子舞などが出現する。休日だけあって、結構な人混みであった。

獅子舞の被り物。これを被って、南京町内をまわって各店からご祝儀をもらう。


 
 その後姿。

広場中央に祭壇が設けられ、ここにお線香を持って参拝する。お一人様線香1本100円 である。日本式の短いやつでなく、30㎝位の長いお線香です。

 
その周辺
 

福球
 
巨大ガラポンで、1回500円。
 

特等賞 5,000円分金券 (組合加盟店共通金券)
一等賞 3,000円分金券 (組合加盟店共通金券)
二等賞 1,000円分金券 (店舗指定金券)
残念賞 500円分金券 (組合加盟店共通金券)
ハズレなし  1回500円
 
となっており、一応は損はしない。
 
獅子舞は、広場を踊り廻ってから1階の店舗に入り、さらには2階飲食店に上り、遂には3階のビルの居住者の部屋まで上がりこんで、ご祝儀を頂くのであった。観客へのサービスも忘れない。

 
 

 
最終日の午後5時からは、うまいもん広場で南京町の9店舗から各店自慢の一品が集結した。

◆出品店舗 50音順 栄和飯店『フカヒレ炒飯』500円  東紫縁『自家製水餃子』300円
吉祥吉『ステーキ』500円      朋榮『エビ焼売と肉焼売』300円(2個セット)
京華楼『焼小龍包』500円     民生『アゲソバ』500円
皇蘭本店『プルコギ』300円    メリケン・波止場『串かつ』300円
東栄酒家『広東郷土風焼きそば』400円

栄和飯店『フカヒレ炒飯』は、これ。その他の画像は省略。



南京町の様子。こちらの通りは人が少ない。


元町商店街を歩いていて遭遇した、ゆるキャラの着ぐるみ。

 
調べてみたが、こいつの素性がわからない。画像検索でも引っかからない。
気持ち悪いが不明のままである。
 
今回はこれでおしまい。