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2014年3月15日土曜日

洲本城と芝右衛門狸

 

先日息子の車に乗せてもらって淡路島の洲本城へ行った。


 

三熊山の山頂にみえるのが、洲本城だ。
城は、大永6年(1526年)、三好氏の重臣 安宅治興が三熊山に築城した。

例により、 Wikipedia  によると:

洲本城(すもとじょう)は、淡路国津名郡、現在の兵庫県洲本市にある城。
別名三熊城。国の史跡に指定されている。

大浜海水浴場の前にある ホテルニューアワジの横にある山道を登っていく。
かなり急な坂だが、20分くらいで山頂に達した。 


ここが、大浜海水浴場。 海水は澄んでいる。

 

これが天守閣で、 鉄筋のチャチッポイ建物である。 中には入れない。
付近の石垣には趣があっただけに拍子抜けであった。


 

                          石垣の写真です。
 
天守閣の妙に安っぽい理由が、調べてみて分かった。  
実は、1928年時点での資材で建築されたものであった。

曰く:

現在ある模擬天守は、1928年(昭和3年)に御大典(昭和天皇の即位式)を記念して、
鉄筋コンクリート製で築造されたもので、江戸時代の天守を復元したものではないが
模擬天守としては日本最古のものである。

という事だった。

木造で再建してくれれば良かったのに。

城内の石垣の脇の階段を登って行くと、遠く大阪湾を一望できる展望台がある。


ここが、洲本八景のひとつらしい。 2以下 どこにあるか調べていない。



眼下には、海水浴場と洲本市の町並みを見渡す事が出来る。

それで書きたかったことは、芝右衛門狸のことである。 

 
頂上の城跡に、芝右衛門狸(しばえもんだぬき)の祠 がある。 
垂れ幕に舞台俳優であった 藤山寛美 の名が見える。


隣にはこのような説明書きがある。


芝右衛門狸は、聞いたことがある。 

手元にある、文庫本

京極夏彦 著 巷説百物語 角川文庫


の p.109-p.281 までが、芝右衛門狸 の章である。

手軽に Wikipedia で調べてみると、

芝右衛門狸(しばえもんたぬき)は、兵庫県淡路島に伝わる化け狸。
佐渡島の団三郎狸、香川県の屋島の禿狸と並び、日本三名狸に数えられている。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも記述がある。
人間に化けて芝居見物をしている最中、犬に襲われて命を落としたといわれるが、
詳細は地域や文献によっていくつかの異説が見られる。

とあり、簡潔に説明されている。 

狸にも、日本三名狸 なんてあるんですね。 知りませんでした。

地元兵庫県ヴァージョンは、要約する(それでも長いが)と次のようになる。

芝右衛門狸は淡路島の洲本市の裏山の三熊山の頂上に、
妻のお増(おます)と共に住み、月夜にはよく陽気に腹鼓を打っていた。
親切な行ないもする誰からも憎まれていない狸であった。
あるときに芝右衛門は浪速の中座で大人気の芝居があると聞き、
お増と共に人間に化けて大阪へ渡った。
大阪を見物する内に2匹はすっかり陽気になり、化け比べをすることになった。
まずはお増が大名行列に化け、芝右衛門の前を通り過ぎた。
続いて芝右衛門が化かす番で、お増の前を長い殿様行列が続いた。
お増が「うまいうまい」と声を上げて褒めたところ、たちまち行列の1人の武士に斬り殺された。
行列は本物だったのである。
悲嘆に暮れた芝右衛門は淡路へ帰ろうとしたが、お増も見たがっていた芝居を見ることにした。
術で木の葉を金に変えて芝居小屋へ通うようになったが、
芝居小屋では毎日の入場料に木の葉が混ざっているのに気付き、
タヌキが人間に化けて紛れ込んでいると疑い、番犬を見張らせることにした。
芝居見物も今日を最後にして淡路へ帰ろうと、芝右衛門は小屋へやって来ると、
苦手な犬がいた。芝右衛門は木戸口を通り抜けたが、その隙をついて犬が襲い掛かってきた。
たちまち芝右衛門はタヌキの姿に戻ってしまい、追い回され、遂には頭を殴られて命を落とした。

淡路には大阪で化け狸が殺された噂が届き、芝右衛門の腹鼓が聞こえないことから、
彼が殺されたとわかり、人々は口々に彼の死を惜しんだ。

芝右衛門の死後、中座では客の入りが悪くなり「芝右衛門を殺した祟りだ」と噂が立ったので、
芝右衛門を芝居小屋に祀ったところ、また客足が良くなった。

以来、芝右衛門は人気の神として中村雁治郎、片岡仁左衛門、藤山寛美といった
多くの役者たちに厚く信仰されてきた。
後に芝右衛門の里帰りと称し、寛美仁左衛門らの寄進により
洲本市に芝右衛門の祠が建てられた。

それで、垂れ幕に 奉納 藤山寛美 とあったわけだ。

徳島県ヴァージョンは、略。

絵本百物語ヴァージョンは、次の通り。

その昔、淡路に芝右衛門という農民がいたが、
彼のもとによく老いたタヌキがやって来て残飯を求めていたので、芝右衛門は哀れに思い、
わざわざ飯を残してやっていた。
ある日、芝右衛門はタヌキを面白がり「人間にでも化けてみろ」と言うと、
タヌキは50歳ほどの人間の姿となり、日に日に芝右衛門のもとを訪れるようになった。
そして様々な物語や古事を詳しく聞かせたので、
芝右衛門は次第に物知りになり、人々にもてはやされた。
その頃、浪速から『竹田出雲』という芝居が淡路に訪れて興行を行なっていたので、
先のタヌキが化けた老人も見物に行ったが、運悪く帰り道に犬に噛まれて死んでしまった。
しかしタヌキだけあり、死後も半月ばかり正体を現さず、23日たって
遂にタヌキの正体を現したという。

巷説百物語 の中にある扉絵がこれです。


オリジナルは、 絵本百物語・桃山人夜話 巻第三・第二十 だそうだ。 

小説  巷説百物語 のほうは、話はもっと込み入っていて面白い。 
上の全てのヴァージョンを統合したものと言ってよいかもしれない。

絵本百物語 を基本に展開しているが、お家騒動や仇討話も含まれている。
話は、長くなるので簡単に要約できない。 是非読んでください。

狸話を続ける。 

物語作者:木戸内福美(キドウチヨシミ) の面白いページがある。

すもと八狸(やだぬき)ものがたり

洲本城の城下町には、有名な狸が八匹おり、
洲本八狸」 として ずうっと語りつがれてきた。


この狸どもを紹介したい。 
以下、 洲本市街地活性化センター 八狸委員会 より画像と説明を引用。


1)芝右衛門 

柳田国男の「日本の昔話」にも登場し、日本三大狸にも数えられる淡路狸の統領格で、
薩 摩の軍船を洲本沖に並べるなど大仕掛けな化け方を得意とした。
芝居好きで、木の葉のお 金で大阪道頓掘まで見物に出かけた話は特に有名。


               淡路狸の総元締め。 照れている処が可愛い。

2)芝助

柴右衛門の長男で、幼少期には城下で礫を投げ悪さをしていたとのことですが、
長ずると 全国に修行の旅にでて徳島場内の姫君に取り入ったりした後、
立派に柴右衛門の後を継い だとのことです。
学業、交通安全、子供の守り神として人気があります。

孝行息子狸。 カンフーの達人。
 
3)かいものお増

柴右衛門の恋女房で、柴右衛門との間に何十匹もの子狸をもうけたとのことです。 
また、 夜な夜な木の葉のお金で買い物に城下へで、木の葉をつかんだ店は
かえって繁盛したと伝 わり、商売繁盛、家内安全、安産、子供の守り神として
親しまれています。
 
あだっぽいお増姐さんだね。浪費家ですな。
 
4)夜回り武左衛門(ぶさえもん)

柴右衛門の眷属で、間形山に住み、毎夜更けに山麓の町の見廻りにでて、戸締りの悪い家 を探しては、家の外から錠前を掛け、妖術で邸内が火事のように見せ懲らしめたと伝わり、 防犯、厄除け、火の神さんとして親しまれています。

ぶさいくえもん 
 
5)お堀端の桝右衛門(ますえもん)
 

柴右額門の眷属で、酒好きで、小僧に化けて酒を買いに行く格好をして、
夜の城下の交通 を守り、酔って絡むものや乱暴者を、大入道に化けて
懲らしめたと伝わり交通安全、諸願成 就、水商売、勝負の神として
親しまれています。

 
のんべのお腹。
 

6)土手松の川太郎

柴右衛門の眷属で、千草川の土手に住んだ狸達のことで、
土手を守り、川を綺麗にするこ とを使命に思い、
毎夜毎夜土手の点検や清掃を手分けして行なったと伝わり、
掃除、土木 工事、農業の神として親しまれています。
 
 
魚を持ったニャン太郎だ。

7)たぬき銀行の頭取になった宅左衛門(たくざえもん)

柴右衛門の眷属で、長老として、洲本の狸がその日暮であることを嘆き、
講を結びお互い に貯え、困った時に融通し合う頼母子講をすすめ、
洲本だけではなく淡路各地の狸も参加 したと伝わり、
金融、家運隆盛、無病息災、縁談の神として親しまれています。


                    そろばん持ったドラえもん狸ですな。

8)台場のお松
柴右衛門の娘で、非常に美形で方々から縁談も多くあったところ、
阿那賀湊の金満家、与 茂太夫に嫁入りしたが、夫の放蕩に愛想を尽かし
洲本に帰って以来鯔池で後家暮らしをし たと伝わり、
美人の神、大漁満足、女性の守り神として親しまれています。


                         キティちゃん狸だね。

これで、全員紹介した。  

あー疲れた。 こんな宣伝をするなんて、狸に化かされてしまったようだ。

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